【閑話】苗木が育つまで
「んふふ~」
龍剣山の麓で純は隣を上機嫌で歩いている女性――桜を横目に見た。
桜は両腕で抱えるように鉢植えに入った小さな桜の苗木を持っており、それを見てニマニマと微笑んでいる。
「苗木一個でそんなに嬉しいものかね……」
純がどこか呆れたように口にすると、桜はムッと口を尖らせて純を睨む。
睨むと言っても、桜の顔立ちからしてどこか愛嬌がある睨みでありそこに威圧感の欠片も感じない。
「純君はそういう所がダメだと思うなぁ! 桜の木だよ!? こんな異世界にも桜の木があるなんて奇跡じゃん!」
「まぁ、そりゃ……こんな世界にもあるってのは驚きだけどさ」
「この子を魔王領で見つけた時は運命だと思ったもん!」
そう言って桜はフンっと顔を背けた。
それに対して純は苦笑気味に笑う。
桜が持っている苗木を見つけたのは、魔王領にある山だった。
たまたま、散歩をしている時に見つけて自分の名前である花だからかやけに詳しかった桜がその正体を看破したのだ。
魔王領では花は咲かない。
それは、大地が既に死に掛けているなどの理由から、花を咲かせる前に元から存在している木々に栄養を奪われてしまい枯れてしまうからだ。
故に、桜はその苗木を丁寧に掘り出し――まぁ、掘りだしたのは純なのだが。それを鉢植えに植え替えてきちんと育つ所に植えて上げたいと純に頼んだのだ。
純としても、桜の願いは極力……というか、全力で全て叶えてあげたかったため、過去に自分が行った事がある土地で苗木がきちんと育つ環境をいくつか絞り込み、こうして候補の一つである龍剣山まで一緒に来たのだ。
「ねぇねぇ、この子の名前どうする?」
「は……? 名前?」
「うんっ! 折角だから、いい名前をつけてあげたいでしょ?」
桜の苗木に名前を付けるという行為に対してどういう意味があるのかわからない純は、適当でいいんじゃないかと桜に言う。
すると、桜はまたしても唇を尖らせた。
「純君はわかってない!!」
そんな気持ち、わかりたくもないと思いつつも内心でそれを留め、襲ってきたワイバーンを右手に持った凍華で切り裂く。
魔王を倒した純にとって、この山に生息する魔物など片手間で倒せる程度の相手なのだ。
「っと、山の天気は変わりやすいし、いきなり寒くもなるから一応羽織っておけよ」
純は自分が纏っていたマントを桜へそっと掛ける。
「純君、私は魔刀だから風邪とかは――」
「桜……」
桜の言葉を途中で止める。
桜は「しまった」という顔をしてから、申し訳なさそうに純に謝る。
「ごめんね」
「いや、いいんだ……ただ、寒くなるのは本当だから」
「うん……ありがと」
鉢植えを抱えたまま、器用にマントを両手で押さえる桜を見て純はどこか悲しそうな目をした。
純にとって、どんな姿、どんな存在となろうが桜は桜であり最愛の"人間"なのだ。
「ねぇ、純君……この子の名前、一緒に考えてくれる……?」
こちらの機嫌を伺うように聞いてくる桜に対して、純は一種の罪悪感を感じた。
今、こうしてこちらの機嫌を伺うのは、純を怒らせてしまったと思っているからだとわかったからだ。実際には、純は怒ったわけではなくただ悲しんだだけなのだが……。
「ああ……そうだな。一緒に考えよう」
「うんっ! あ、私ね! 可愛い名前がいいと思うんだけど――」
純が怒っていないとわかると、先ほどと同じように明るい声で喋り出す桜。
それに微笑みながら、たまに襲って来るワイバーンを斬り捨てる純。
彼にもわかっていた。いや、彼も桜と同じなのだ。
――もう、この世界ではお互いしか信頼できる人間がいないという事に。
「んーっ! ついたー!」
山頂に着き、一旦鉢植えを置いた桜は大きく伸びをする。
桜の服装は黒いワンピースとその上に羽織った灰色のストール。
季節は春に入ったばかりといった感じであり、純がその恰好は寒いだろと突っ込んだ所、お気に入りだからいいの! と切り返されてしまった服装である。
だが、やはり寒かったのか純のマントは返さずに羽織っていた。
「下が騒がしいと思ったら、お主か……」
「ん、龍剣の爺さん。それに、椿さんも……」
純が声を掛けると、龍剣の後ろに控えていた侍女――椿もそっと頭を下げる。
椿はどんな時でも無表情であり、純としては中々掴みどころがない人だと思っている。だが、桜は違うようで初対面の椿に笑顔でアレコレ話しかけている。
「おい、桜……」
無表情だが、流石に困っているんじゃないかと思い桜を止めようとする純を龍剣が止めた。
「良い。椿も喜んでおるしの」
「喜んで……るのか?」
マジマジと椿の顔を見てみても、やはり無表情であり純にはわからなかった。
「純君、女性の顔をマジマジと見ちゃいけないんだよ?」
「ぐっ……正論なのに、お前に言われると何だか腹が立つな……」
「な、なんだとぉ!」
桜と純が今にも取っ組み合いを始めようとしていると、龍剣が大きく咳払いをした。
そこで二人とも正気に戻り、どこか恥ずかしそうに頬を掻く。
「して、そちらのお嬢さんがあの子じゃな?」
「ああ……"元"魔王の嫁だ」
"元"の部分を強調しながら純はつまらなそうに言い放つ。
その言葉から、純が自らの手で討ったにも関わらず魔王への憎しみが消えていないという事を龍剣は察した。
「そうか……して、今回は何用じゃ」
「あぁ……何か、桜がコイツを植える場所を探してるらしくてな」
そう言って地面に置かれた鉢植えを指差す純。
龍剣の視線が苗木に止まり、そこで「ふむ」と顎を擦る。
「見たことがない植物じゃな……お主はコレが何だかわかるのかの?」
「俺達の世界……というか、俺たちが居た国では普通に植えられてた植物だな。綺麗な花を咲かせるんだ」
「ほぉ……そんなに綺麗なのかの?」
「ああ。その花を見ながら食事をしたりするのが行事になるくらいには綺麗だな」
純の言葉に龍剣は「ほぅ……」と息を漏らす。
龍剣の頭の中ではそれはもう綺麗な花が咲いていた。
「それで、いくつか候補を決めて手始めにここに来たんだよ。ここ、龍脈が通ってるから栄養は豊富だし、アンタがいるなら外敵から守るくらい造作もないだろ?」
「勿論じゃ。この付近に儂に敵う者などいない」
その返事に満足そうに頷いた純は、椿と何やら話している桜の肩に手を掛けた。
「ん、どうしたの?」
「ここの主と話がついたから、植える場所を探しに行こう」
龍剣に案内されて山頂を歩く二人は、アレコレと相談しながら場所を吟味していた。
「次でラストじゃ」
そう言って案内されたのは、山頂の端にある小高い場所だった。
たまに何かで使うのか、何も生えていないそこは整地されており掃き掃除もされているようだった。
「静かな所だな」
「まぁ、ここは集まりでしか使われんからのぉ……やはり、殺風景すぎたか?」
「どうだろ……決めるのは俺じゃないからな」
そう言ってチラリと純と龍剣が桜の方を見ると、桜は鉢植えを持ってトコトコと広場の中央付近へと向かう。
そして、何やら頷いた後にそこに鉢植えを置いた。
「うん、ここがいいと思う」
純に振り向き、笑顔でそう言った桜に対して龍剣は頬を掻く。
どうやら、自分に向けられているわけでもない笑顔に照れを感じたようだ。
「言っておくけど、桜はやらねぇからな」
「なっ!! そんな事思っとらん!!」
ジロリと純に睨みつけられた龍剣が慌てていると、いつの間にか傍に来ていた桜が龍剣の手をそっと両手で握った。
「この木が大きくなるまで見守って欲しいんです――」
龍剣よりも背が低い桜に下から真剣な目で見つめられた龍剣は、照れて目を逸らした。
その先にどこか不機嫌な純が居て、今度は顔を若干青くする事になったのだが。
「本当にここでいいのか?」
「ここがいいの。きっと、この子もここが気に入ってると思うから」
純と桜の会話を聞いて、龍剣はやんわりと桜の手を離して頬を掻く。
「儂はもちろんいいんじゃが……本当に見守るだけでいいのかの?」
龍剣としては、純が褒める花を見てみたいという興味もあるためにここに植える事に反対はない。
だが、先ほど純からは『外敵から守れ』と言われたために見守るだけでいいのかが気になったのだ。
「うんっ、この子は一人でも大きくなれる強い子だから。でも、一人だと寂しいだろうから見守っていてあげて?」
龍剣が困ったように純を見る。
龍剣としては、桜の言葉も大事だがそれよりも何かと付き合いが長く借りもある純の言葉の方が最終決定なのだ。
それに、桜も純に絶対の信頼を持っているのが今までのやり取りで何となく察しる事が出来ていたのもあった。
「まぁ、桜がここでいいって言うならそれでいいけど。それじゃあ、頼めるか?」
視線に気づいた純が頷きながらそう言う。
「わかりましたわ。この龍剣、しかとこの桜を見守りましょうぞ」
桜は喜びながら置いてあった苗木の元へと戻る。
そこには、いつの間に来たのかスコップを持った椿さんが待っていた。
二人が作業するのを眺めながら、純は口を開く。
「さっきはああ言ったが、もしもの時は頼む」
「……あい、わかった」
「あと、俺からも頼みがある。もしも……この先、何年になるかわからないが、俺と似た魔力を持っていて魔刀を所持しているヤツがここに来たら、鍛えてやってほしい」
その言葉に龍剣は純の方を見る。
純が言った発現は、この先自分が死んでそれでも転生する可能性があるという事を意味していたからだ。
「転生でもする気かの?」
「いや……わからないが、もしもの時は頼む」
「……あい、わかった」
深くは聞かずに龍剣は頷いた。
純がそう言うという事は、きっと必要な事なのだと思ったからだ。
そこからは会話が無く、二人はただ桜と椿が作業するのを見守った。
夜――純と桜は用意された部屋を抜け出して、苗木の傍に並んで座っていた。
純の右肩に頭を乗せる桜は苗木を見つめながら幸せそうにしていた。
ちなみに、夜は朝よりも冷え込むだろうとマントは貸しっぱなしにしてある。
「ねぇ……この子が咲いた姿を私達は見る事が出来るかな?」
その言葉に純は考える。
この桜の品種はわからないが、ソメイヨシノであれば一般的に二年くらいで花をつけるという話を昔ネットで読んだ事があった。
「あぁ、見れるさ」
純は嘘をついた。
一般的に二年で花を咲かせる事があろうとしても、桜と純はこの先二年も生きていられるとは思っていないからだ。
魔王を倒したとしても、この世界にはまだまだこちらの命を狙う者が多い。それは、この世界の住人だけでなく、召喚された勇者なども含まれるだろう。
「うん、そうだね」
きっと、桜は嘘に気づいているだろうと純は思う。
それでも、それを指摘しないのはきっと……優しさと願望なのだろうと思った。
「ちょっと、疲れちゃったな……」
「まぁ、朝から動きっぱなしだったしな。ゆっくりと休むといいさ」
「うん……二人で、絶対に……桜、を……見よう、ね……」
途切れ途切れの眠そうな声でそう言った桜の身体を光が包み、光が収まった時にはそこに桜の姿は無く、純の右肩に立て掛けられるように置かれた日本刀と、その上から被さるように置かれたマントだけがそこにあった。
「……っ」
左手で顔を覆った純は、その場で一人静かに涙を流した。
 




