【閑話】夜空の下で
次回、新章です。
とある訓練終わりの夜、俺は泊まっている屋敷にある露天風呂に浸かっていた。
「ふぅ……生き返るわぁ……まさか、この世界にも温泉があるとは思ってなかったなぁ」
濡れたタオルを頭の上に乗せ、ゆっくりと息を吐く。
あの侍女に見られながらする日々の訓練はとてもハード(肉体・精神的に)で訓練終わりの風呂が無かったら投げ出していたかもしれないと思えるほどだ。
「パパ、何だかお爺さんみたいだよ?」
一緒に入っている桜花がそんな事を言う。
あ、こら! お風呂で泳ごうとするのは辞めなさい。
「お爺さんって言うな……あと、お風呂で泳ぐのは辞めなさいって何回も言ってるだろ?」
「あっ……ごめんなさい」
まぁ、桜花くらいの子供はよく大浴場とかで泳ぎたくなるものだし、俺も子供の頃はやっていた気がするからあまり強くは言えない。
ちなみに、桜花と一緒に入っているのは俺がロリコンとかそういう理由ではなく、単純に桜花がいないと両目が使えずに事故が起こる危険性があるかもしれないという点を考慮しての事だった。
「ふぅ……あ、桜花。すまないけど右腕をここに乗せてもらってもいいか?」
「はーい」
桜花がこちらによってきて、俺の右腕を縁に乗せる。
寝華は脱衣所の大浴場入口に立てかけてある。
あそこだとギリギリ身体を洗う場所まではカバー出来るのだが、それ以上となると効果範囲外になって動かなくなるのだ。
翠華も一緒に入りたそうにしていたが、例え俺が何も感じないとは言えなんだかマズイ気がして断固拒否してある。
桜花は俺の娘だし……まぁ、問題ないよな?
「……コレ、どうなってるんだろうな」
「左腕?」
「ああ……」
俺の左腕だが、長らく包帯を取っていなかったから気づかなかったんだが、何やら切断面に氷が張っていた。
最初は驚いたが、次第に好奇心が勝って色々と試した所、この氷はお湯に浸けたとしても溶ける事がないという事がわかった。
そのお陰でこうして安心して温泉に浸かる事が出来るわけだ。
「凍華お姉ちゃんのかな?」
「恐らくな。左腕は凍華との契約で使ったから、その影響でこうなってるんだと思う」
寝華と契約した際に右手人差し指が再生したように、凍華も俺の左腕を再生しようとしたのかもしれない。
だが、その際に折れていたためにこういう扱いになっている……あり得るな。
「凍華お姉ちゃんも早く直るといいね」
「龍剣の話では、二か月くらい掛かるらしいから……まぁ、気長に待とう」
龍剣に依頼した凍華の修復だが、準備に二か月掛かると言われその間修行していろと言われた。
修行を初めて早二週間なので、このペースで行ったら二か月なんてあっという間だろう。
美咲の事も気になるが、やけに詳しい(この世界で何千年も生きているのだから当たり前だが)龍剣曰く、まだまだ時間があるという事なので、今はあの魔王を倒すために大人しく修行に打ちこんでいる。
「……パパ、明日もあの子を使うんだよね?」
と、そんな事を考えて居ると、隣に居た桜花が不貞腐れたように言う。
あの子という言葉に誰だかわからなかったが、言葉的には龍剣から貸してもらっている無刀の事を言っているのだろう。
「まぁ、アレを使って訓練しろって言われてるしな」
「むぅ……」
俺がそう答えると、桜花はさらに不機嫌になる。
一体、どうしたと言うのか……。
「私の方がパパの事をよく知ってるし、切れ味も鋭さも上だし、やれる事も多いのに……」
「あぁ……」
桜花の言葉で何故不機嫌なのかを理解した。
つまり、この子は俺がずっと無刀を使っている事に対して嫉妬しているのだ。自分の方が性能が上だと言うのに、自分の持ち主が性能が下の刀を使っているという事が気に入らないのだ。
桜花もこうして見ると普通の女の子にしか見えないが、中身は刀という武器そのもの。
きっと、幼いながらにも……いや、幼いからこそ武器としてのプライドが高いのだろう。これが翠華や凍華だったら俺に必要な事だと思って表面上は賛成してくるはずだ。
寝華? アイツはいつも寝てるからよくわからない。
「桜花、聞いてくれ」
「なに……?」
「これは、俺にとって必要な事なんだと思う。確かに、無刀に比べて桜花のスペックはかなり上だけど、それだけじゃ美咲を……桜花のお母さんを救い出す事は出来ないんだ。強い武器は使い手が使いこなせて初めて真価を発揮すると思うし、そうしなければヤツを倒すことは出来ないんだ」
「……パパが言ってる事、難しくてよくわからない……」
「そっか。まぁ、つまり……いざとなったらちゃんと桜花を使うから大丈夫だよって事だよ」
そう言って不機嫌そうな桜花に微笑みかける。
本当は頭を撫でてあげたいが、生憎俺の腕は両方とも動かないから不可能だ。
「……絶対?」
「あぁ、絶対」
だが、俺が言いたい事は何となく理解したらしく、桜花は「わかった」と呟いて頷いた。
この理解の良さはきっと美咲譲りだろうな。俺は子供の頃はこんなに理解が良くなくて何かと反発していたし。
「……」
ふと、夜空に目を向ける。
この世界でも空は一つしかないはずだし、もしかしたら……この夜空を美咲も見ているのだろうか。
「ふぅ……桜花、そろそろ上がろうか」
「んっ」
これ以上はのぼせそうだと判断して、考え事を振り切り桜花を連れ添って風呂から上がる。
最後にもう一度だけ、夜空に目を向けて。
魔王が住む城の一室に私は閉じ込められている。
部屋は最上階にあって、部屋から出る以外の自由は許されているから最近では本を読んで日々を過ごしている。
「はぁ……」
ふと、夜空に目を向ける。
魔王は忙しいのか私の所に顔を出すのは五日に一度くらいで、その間は思っていたよりも穏やかな時間が過ぎていっている。
だが、ふとした時にいつも脳裏に浮かぶのは裕くんの顔だった。
きっと、彼は私が勝手に決めてしまった事を怒っているだろう。もしかしたら、もう私の事なんて忘れてしまっているのかもしれない。
「でも……その方がいいのかも」
私は魔王の嫁であり、そのうち武器になってしまう。
コレは誰に教わったわけでもなく、ただ本能的に理解している事だった。
だから……これ以上、彼が私を想って苦しむよりもすっぱりと全てを忘れてしまった方がいいのかもしれない。
彼が忘れてしまったとしても、私が全てを覚えているし、彼との思い出は私の中で生き続ける。
「裕くん……」
名前を口に出してみても、彼の声が聞こえてくるわけではない。
それでも、たまに……こんなに綺麗に星が見える日はついつい口に出してしまう。
「あっ、日記を書かなきゃ」
毎日の日課を思い出し、部屋に設置された本棚から隠してあった日記帳を取り出す。
コレは“日記”と呼んでいるが実際に書かれているのは日々の記録ではない。
書く事は私と裕くんの“元の世界”での思い出を記しているのだ。
「えーっと……昨日は小学校のクリスマスまで書いたんだよね」
前回書いた事を思い出しながら、続きを綴っていく。
ゆっくりと、丁寧にその時の事を思い出しながら筆を動かす。最近、たまに裕くんとの思い出を忘れてしまう事があり、そんな時に読み返して思い出すために始めた日課だった。
「ふふっ……そういえば、お正月は一緒に初詣に行ったなぁ……」
思い出すのは中学校三年生の時に行った初詣。
私は初めて着物を着て行ったんだけど、裕くんは可愛いとも何とも言ってくれなかった。
それでも、長年一緒に居ればその表情からどんな感情を持っているかはわかったから、素直に嬉しかったし、どこか照れくさくて……やっぱり言葉にしてくれない事に悲しい気持ちにもなった。
「裕くん……」
気づけば、目から涙が落ちて日記に小さなシミを作っていた。
「あれ……おかしいな……」
拭っても拭っても溢れてくる涙をどうにか止めようとしながら、それでも止められなかった感情が口から出る。
「裕くん……会いたいよ……」
離れてより強く実感したこの感情を――もう、届ける事も伝える事も出来ない感情をどうすればいいのか私は未だにわかっていなかった。




