始まり
夢を……どこか懐かしい気もする夢を見ていた。
どこか仄暗い一室でこちらに背を向けている男性。
男性は黒いローブを着ており、フードを被っているためにその顔は見えない。いや、そもそもこちらに背を向けているのだから、見えるはずもない。
男性の左腰と右腰には日本刀が二振り差してあり、背中にも右肩から左斜め下に向かって二振りの刀が差されていた。
何となく、その刀は通常の物ではなく一振り一振りが魔刀なのだと理解した。
「……」
男性はずっと窓から外を見ている。
何を考えているのか……もしかしたら、何も考えていないのかもしれない。
ただ、この部屋に充満しているどこか重い空気から逃げ出すために窓の外を見ているのかもしれない。
「……どうしても、行くんだね……」
ふと、女性の声がした。
そちらに視線を向けてみれば、ベッドの上で座って居る女性が俯いて肩を震わせていた。
黒いキャミソールをその身に纏った女性。長い黒髪は結ぶことなくストレートに流されて……いや、右頬付近にある髪だけ少しだけ赤いリボンで纏められている。
表情はわからないが、肩を震わせている事からきっと泣いているのだろう。
「どうしても……必要な事なんだ。このままじゃ、アイツらはすぐにでも徒党を組んでここに攻め込んでくる。そして、俺を……いや、俺だけだったらいい。だが、桜……お前の事も確実に殺そうとして来るだろう」
ローブを着た男性がどこか震える声で言う。
よく耳を澄ませば、ギリッと歯を食いしばる音も聞こえてくる。いや、両手も強く握りしめられている。
「おかしいよ……こんなの絶対におかしい! どうして? 元はみんな同じ学校に通っていた友達じゃん!! それなのに、お互いに殺し合いをするなんておかしいよ!」
おかしいと連呼しながら、その首をイヤイヤと言いたげに左右に振るう女性。
その言葉に振り返った男性。顔は相変わらず見えないが口元は悔しそうにしていた。
「純君だって、もういいじゃん! 魔王を倒して、私も救ってくれた! 身体ももう自分の物じゃなくして、ボロボロに傷ついて……それなのに、まだ頑張るの……?」
純――その名前が出た時、俺の心臓は大きく脈打った。
あぁ、そうか。コレはきっと前世である純の記憶なのだろう。この夢にきっと俺が知りたい何かがあるんだ。
「やらなくちゃいけないんだ……目的があるから」
純が口にした“目的”とは、間違いなく桜を全てから守り切る事だろう。
そして、ソレをきちんと桜に言わないのはきっと言ってしまったら自分の事を責めると理解しているからだろう。
「……」
「……」
桜も顔を上げてお互いに見つめ合う形になる。
永遠に続くのかとも思った見つめ合いは桜が視線を外した事で終わりを迎えた。
「なら……約束して」
「なんだ?」
あぁ……“ここ”だったんだ。
「絶対に、何があっても、どんな状況でも……生きて」
ここから、この願いでもある呪いは始まったんだ。
場面が切り替わり、燃え盛る平原となった。
中心には俺が洞窟で見た黒龍が炎と多くの兵士に囲まれながら咆哮を上げていた。
そして、背中には純が両手に魔刀を握って黒龍に向かって叫んでいた。
「クソッ! 俺は、生きなくちゃ……!!」
純という人物は、きっと約束とかそういう事を積極的に守るような人間ではなかったと思う。だが、たった一人。桜との約束だけは何が何でも守ってきたのだろう。
故に、桜とした『生きる』という約束はどうしてでも守ろうとする。普通の人ならば諦めてしまうような状況でも生へ貪欲に食らいついていく。
だから『願い』は『呪い』になってしまったんだ――。
思わず顔を伏せてしまう。その光景から、目を逸らしてしまった。
疑問だった。どうして、純が桜にそこまで執着するのか。どうして、自分を犠牲にしてでも守りきろうとするのか。
理由はわかる。
純にとって桜は何よりも誰よりも……それこそ、自分よりも大切な存在なのだろう。だからこそ、約束を大切にする。
その行動が、その感情が、何よりも人間らしかった。
だから、直視できない。こちらから一方的に愛していたとしても、相手がソレを同じだけ返してくれるだろうか?
いや、返してくれる事などほぼないだろう。それなのにも関わらず、彼は彼女を愛し続け今も自らを削り続けている。
人間らしく、それでいて歪だ。
『――生きて』
彼女の願いはとても残酷だ。
あぁ、でも、とても美しい……
彼は想いが返ってくる事など求めていない。それどころか、その想いさえ届かなくてもいいとさえ思っている。
だが、彼女も彼と同じくらいにその身を賭してでも守ろうとしている。全てを賭けているのだ。
俺にも同じ事が出来るだろうか?
一方的に美咲を想い、その身を焦がし……それでも返ってこない想いに耐える事が出来るだろうか?
(きっと、出来ない……)
俺はソレに耐えられない。
人間とは、どこまで行っても見返りがなければ行動出来ない生き物なのだ。ソレを無償で何かをするのは気でも狂っているとしか言えない。
(美咲……)
あぁ、何故だろう……あの二人を見ていると、無性に美咲に会いたくなる。会えないと分かっていても、この手を伸ばしたくなってしまう。
美咲なら、どうだろうか? 桜のように、俺を想ってくれるのだろうか?
その答えは、わからなかった。
轟音――ソレに顔を上げてみれば、黒龍を中心として広い範囲で大地が崩れ落ち始めた。囲んでいた兵士に加えて黒龍と純も落ちていき、また場面が変わった。
「すまないな……お前をここから連れていく事は出来そうにない」
「グルゥゥ……」
目の前にはボロボロになった純と翼が傷つき地面に伏せている黒龍が居た。純の言葉からして黒龍はもう飛べないのだろう。それ故にこの落ちた場所から連れ出す事は叶わない。
そして、黒龍もソレをわかっているのだ。
「いつか、必ず迎えに来る……その間はコイツらにお前を守らせる」
純はそう言って背中から二振りの刀を抜く。
黒龍はその二振りを見つめ、意味を問いたいように純をその翡翠色の瞳で見つめる。
「この二振りはそれぞれ【回復・守護】と【停止・眠り】の能力を持っている。今から一本をお前に刺し、生物としての時間を止めて眠りにつかせる……魔刀は俺にしか抜けないから、お前が目覚めるのは俺が迎えに来た時になるな」
「グルゥ……」
「……すまない」
小さく謝った純は一振りを黒龍の背中に刺し、もう一振りを黒龍の目の前に刺した。
「絶対に、迎えに来るから……」
眠りについた黒龍を一撫でして純はその場から姿を消した。
きっと、魔刀の能力なのだろう。
(コレが始まりか……)
俺が出会った黒龍はこの時からずっと純を待ち続けているのだろう。崩落した大地が元に戻り、洞窟となり、その上に木が生える長い時をずっと。
夢から覚めるような感覚が俺を襲う。
まるで、見せたい物はもう見せたから帰れとでも言いたいかのようだ。
(わかってるよ。俺も、いつまでもココに居る気はない)
美咲に会いたい。
一層強くなったその想いを胸に俺は夢から覚める感覚に身を委ねた。




