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二人の物語は終わる②

 青年が扉を抜けた先に広がるのはまさに謁見の間と呼ぶに相応しい程に広く、寂しい空間だった。

 純白の大理石で作られたその空間に存在するのは大きな王座のみ。いや、正確にはそこに座る長い金色の髪を持つ“神”と呼ばれる存在の二つのみだった。


「……」


 名を失った青年はゆっくりと歩を進めながら左腰に差した黒い心刀の柄に手を掛けた。

 ここで眠っているように目を閉じている神を殺せば全てが終わると思っていたからだ。相手が無防備な姿を晒してくれているならば、ここで一気に手を打つのが最適解だった。


 青年には力が無い。知識も無い。


 あるのはここまで戦ってきた経験と、恐怖心の無さだけだった。

 空虚だと思った。それでもここまで歩いてきたのにはそれ相応の理由と覚悟があった。世界中の誰もが自分を覚えていなかったとしても――例え、世界がやり直された事で運命の女神が自分を創造せず新しい世界に自分が存在しなかったとしても、このまま神を放置しておくのは解決にはならないと理解していた。


「我の眠りを妨げるとは命知らずな者も居たものだ……」


 だが、奇襲のチャンスは訪れなかった。

 青年が柄を握ったのと同時に神が目を開いたからだ。その口から紡がれる言葉は美しく、鼓膜を優しく揺らすような音だったが途轍もない疲れを感じさせた。


「まさか……神が女だったとは思わなかったな」

「誰かと思えば忌子か……お前がここまで辿り着いたという事は――あぁ、下はそういう結末を迎える事になったのか」

「……無関心そうだな。仮にもあんたの世界だろうに」

「下がどうなろうと我が知った事ではない。だが―――」


 神の視線が青年を貫く。

 圧倒的な威圧感。今まで青年が戦ってきたどんな相手よりも死を感じさせる目線にその歩みは本能的に止まった。


「出来損ないの分際で……人にも神にもなれぬ半端者の分際で、我の眠りを妨げるどころかこの命さえ奪おうと言うのであれば看過できぬ」


 暴風が吹いていると感じた。

 真正面から全身を強烈に叩く風の中を自分は立っていると。


「出来損ない……」


 神の言葉を反芻して、青年は自嘲気味に笑みを浮かべる。

 全くもってその通りだと。今の自分は――いや、自我が芽生えてここまで歩いてきた自分の足跡を振り返ったとしても自分は何者でもなかった。

 与えられた力と与えられた記憶。与えられた使命を胸に事前に用意されていた道を自分の意志だと信じ込んで歩いてきただけだ。


「……最期くらい、自分で考えなくちゃな…………」


 青年には力が無い。知識も無い。与えられていた記憶もない。植え付けられていた使命感も砕け散った。

 既に目の前に道はなく、歩き続ける理由さえもない。

 こうして神に挑もうとしているのさえ、植え付けられた使命感の残滓に過ぎない。


「あぁ……」


 考えて、考えて……考え抜いて。

 その最後に残った欠片が答えだった。


「この刀、人を斬るにあらず」


 風は、もう吹いていなかった。

 一歩踏み出すと神の眉がピクリと動く。だが、それだけだ。相手からの攻撃は一切無い。

 ただ、ゆっくりと歩みを進める青年を神は不機嫌そうな顔で見ているだけだ。


「この刀、神を斬るにあらず」


 カチリ、と鯉口が鳴ってゆっくりと漆黒の心刀がその刃を見せる。


「……」

「……」


 距離ゼロ。

 座る神の目の前に何者でもない青年は立った。

 紅い瞳と黄金の瞳が交差する。


「アンタは疲れたんだろう。きっと、俺が想像も出来ないような理由があって……この世界を管理する事さえ出来ない程に疲れて、壊れてしまったんだ」

「ソレが事実だったとして、お前に何が出来る? その刃を持って我をここで断ち切るか?」

「この刀は人を斬る物じゃない。神を斬る物でもない……斬れないんだ。この刀を生み出した何百何千という世界を歩んだ“俺たち”が最後に望んだ事の結晶だから」


 青年は左手で神の肩を掴んで、右腕を矢を引き絞るように後方へと引く。

 漆黒の心刀に込められた想いはたった一つ。どの世界を歩んだ青年も最後の最期に望んだ事。


「救いたい―――」

「……」

「誰を、とか……何を、とかじゃなくて何でもいいから救いたかった。呆れるだろう? 今わの際にあっても俺たちは無差別に救いたいとどうしようもなく願ってしまったんだ」

「それは……」


 神はその瞳を揺らす。

 目の前に居る中途半端な存在が救いたいのだと嘆く姿を一笑に付す事は簡単だった。だが、ソレは出来なかった。

 何故なら、青年が抱くその感情は――


「神性な物だ」

「―――そうか」


 青年は笑った。

 自分は創り者であった。だが、それでも、確かに運命の女神と血と魂が繋がっていたのだと理解出来たからだ。

 コレはまやかしなんかじゃない。

 与えられた物ではなく、自分が最初から持っていた物なのだと確信できたからだ。


「俺も……生きていたんだ……」

「……我を救うと? 力も知識も記憶も無い紛い物の身で世界の管理者たる我を救えると?」

「どうだろう……やってみなければわからない」

「ソレを今まで散っていったお前自身が許すとでも?」


 神がそう言うのと同時に青年の背後から足音が鳴った。

 何十、何百と聞こえる足音。ちらりと背後を横目に見てみればそこには顔が見えない自分と同じ背格好をした男たちが並んでいた。

 その姿を見た青年は顔に笑みを浮かべて視線を神へと戻す。


「許してくれるさ。ここで俺が失敗したとしても、世界は救われるんだから。俺たちが果たそうとした使命は既に果たされている。俺という存在を覚えているやつなんて一人も居ない。ここで散ったとしてもなんの問題もない」

「そうか……だが、お前は一つだけ勘違いしている。例え、世界がやり直されたとしても我はお前の事を覚えている。神にもなると干渉を一切受けないのだからな」

「……あんたは覚えていてくれるのか」


 青年は目を細めて神の胸――その中心へと狙いを定める。


「不思議だ。俺は今、救われたと感じた」

「生物が死ぬのは命が尽きた時ではない。誰からも忘れ去られた時だ。お前は死なない。私が覚えているからな」

「いい言葉だ」

「昔……誰かから聞いた言葉だ。我も気に入っている」


 青年は一つ頷いて右腕を突き出した。

 神速。およそ、人が認識できる速度を超えた剣先を神はしっかりと捉えていた。避けようと思えば自身の力をもってすれば余裕で避けられる。

 だが、神はその刃を受け入れた。

 名を持たない男は不相応にも自信を救うと言った。ならば、一度くらいならば賭けてみてもいいと思ったからだ。




 その結果、この苦しみから解放されるのなら―――――と。

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