【前編】貴方と私の軌跡
「それじゃあ、お願いね」
星の精霊がそう言うと、竈にくべられていた火が勢いを増し始める。燃え盛る火はやがて炎となり、それでも尚勢いは増すばかりだった。
「コレなら、溶かせそうだ」
老人は燃え盛る炎を見て満足そうに頷き、その筋力を持って常人には持ち上げる事さえ困難な大剣を両腕でしっかりと持ち上げて炎へと突っ込む。ここから先、しばらくは鍛冶師の領分だと判断した白華は隣に立っている星の精霊を見上げる。
身長は自分より高い。見た目の年齢は自分の所有者である裕よりも少しだけ高く見える女性は、白華に見られているとわかると顔を向けた。
黄金の瞳と深紅の瞳が交差し、先に声を発したのは白華だった。
「ユウと5000年前に出会ってたって本当なの?」
精霊は多くを語れない。
だが、白華が質問した事は星の精霊が自分から言った事だから答えられると判断しての質問だった。そのことを理解し、尚且つ白華が何を聞きたいのかを理解した星の精霊は懐かしむような笑みを浮かべてから口を開いた。
「ええ。と言っても、当時の事を詳しく話す事は出来ないわよ?」
「わかってるよ、それくらい。ただ……ユウが5000年前に存在したって事が信じられないだけ。私が聞いた話だと、ユウが囚われてる因果は前世――の前世か。から始まったらしいし、それも1000年くらい前らしいから」
だから、星の精霊が言っている事は信じられないのだと白華は言う。精霊は嘘を吐かないというのは文献で読んで知ってはいるが、隣に立っているのは精霊の中でも最上位に位置する星の精霊だ。それらの誓約を簡単に破る事くらいは出来るだろう。
「一之瀬 裕の因果は確かに仔猫ちゃんが思っている認識で合っているわね」
「どういうこと? あぁ、やっぱりいいや。どうせ、答えられないでしょ?」
「理解が早くて助かるわ」
星の精霊の言葉を一種の嫌味だと受け取った白華はジトッとした目で彼女を見上げた後、興味を失ったのか竈の方へと視線を移した。
そんな白華を見て懐かしさに微笑みながら、星の精霊も竈の炎へと目を向けた。ただ、その炎に対する感情は様々であり、白華に昔の事を聞かれた事もあって過去の記憶が脳内に浮かんだ。
(あの人を初めて見つけた時も、こんな炎の中だったわ)
◇ ◇ ◇
精霊とは生まれた後も大体眠っている。ソレは存在そのものが自然であり、自然は意識を持ち合わせないからだ。だから、生まれた事にさえ気づかない精霊が世の中には多く存在している。それらを彼女達は生き物の行動から取って『眠る』と表現する。
そんな精霊たちの中で、意識を芽生えさせ起きるのは全体の5%くらいであり、星の精霊はその中に含まれていた。
(眩しいわ……)
星の精霊が起きてから最初に思ったのは目を焼くような光だった。眼下で赤く、ユラユラと揺らめきながら何かが光を発していたのだ。
ソレが村の家屋が燃える炎だと知ったのは後々になってからだが、星の精霊が眩しいと思ったのは炎に対してではなく、その家屋の中に一際眩しい光を放っている存在に対してだった。
(アレが人の子……? 知識はあるのに初めて見るというのは違和感があるのね。あぁ、違和感ってこういう感じなのね。コレも初めてだわ)
意識が芽生え、生まれたての星の精霊は自らが感じる“感情”に一喜一憂した。全てが新鮮であり、彼女にとって初めての経験だったからだ。
(それで、この眩しさはあの子からね……可哀想に、まだ幼いのに一人になってしまったのね)
眼下で燃える村から一人の少年が覚束ない足取りで出て来る。ぱっと見では恐らく5歳前後の黒髪が特徴的な少年は一度村を振り返ってから近くにある森へと足を進めた。
(……)
星の精霊は目覚めたばかりで何をしていいのかわからず、とりあえず目についた少年を観察する事にした。
精霊にとって時間の概念などあって無いようなものだ。一年など瞬きするだけで過ぎ去り、一度寝てしまえば百年くらいは経っている。
だから、彼女にとって少年の成長は一瞬だった。
森へと入り、木の棒を片手に我武者羅に生きるために森の魔物と戦い続け、サバイバルとも呼べない程の生活を送っていた少年は青年となった。その頃には右手に持つ木の棒は森で息絶えた冒険者の遺品である鉄の剣になっており、身長も伸びて日々の戦いで鍛え上げられた筋肉が全身を包んでいた。
変化があったのは少年だけではない。その人生を見ていた星の精霊も少年に合わせて成長していた。
彼が生きるために必死になって行動する様を美しいと感じ、洗練されていくその剣技に見惚れるようになった。彼に幸運が舞い降りれば嬉しいと思い、彼に不幸が降り注げば悲しいと思った。それ程までに一人の人間にのめり込んでいた。
青年となった男は森を出て、近くの町へと生活圏を移していた。そこで冒険者として生活していた彼に転機が訪れる。彼が居た国が隣国と戦争を始めたのだ。そのことから冒険者から傭兵へと職替えする人が多数発生した。彼もその剣技が認められて大きな傭兵団へと所属する事になった。
(ふふ、彼が笑った顔は初めて見たわ。笑い慣れていないせいかしら? 少しだけぎこちない笑顔だけど、とても可愛らしいわ)
傭兵団に入った青年はよく笑うようになった。
強さこそ正義の傭兵団において、彼の剣技は頭一つ、二つは抜きん出ており周りもそれを正当に評価したために一気に打ち解ける事が出来たからだ。
だが、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。
青年が傭兵団に所属して三年――青年が20歳になった時、傭兵団は戦場で壊滅したのだ。元々国としては一年半程での終戦を見据えて始めた戦争だったが、隣国の軍事力が想定よりも高かった事でずるずると戦争を続け、この頃には押され始めていたのだ。そして、隣国の奇襲を受ける形で東側で展開していた戦場は壊滅状態になり、運悪くそこに傭兵団も居た。
目の前でお世話になった傭兵団員が死んでいくのを見ながら、彼も必死に戦ったが最後は団長が命を賭けて青年を逃がした。
(……っ)
一人、逃げ帰る事になった青年は砦で涙を流した。自分の無力を呪い、失った仲間たちと共に死にたかったと心から願った。
星の精霊は魔素の源である星そのもの。星とは人々の願いを受け取る立場でもあった。そして、星の精霊は長年彼を見続けて来た事で一種の回路が繋がってしまっており、彼の感情がダイレクトに伝わって来て胸を締め付けた。
(ごめんなさい……私には、貴方を助けてあげる事が出来ないの……あの人達のように、貴方に手を差し伸べる事も、一緒に笑い合う事も、一緒に泣いてあげる事も出来ないの……)
星の精霊として天に輝く星に拘束されている彼女は地上に降りる事は出来ない。いや、仮に地上に降りられたとしても、青年に才能がなければ話す事はおろか彼女を視認する事さえ出来ない。
だが、それでもだ。
彼女は彼の傍に居たいと思った。叶わないのなら、せめて心だけでも彼に寄り添ってあげたいと願った。彼女が見て来た彼は孤独だった。少しの間だけそれが紛らわせていたが、傭兵団が壊滅した今、彼はまた孤独と向き合う事になった。
(ごめんなさい……せめて、心だけは貴方と共に在るから……)
星の精霊が見つめる中で、青年は立ち上がった。
団長の形見である魔獣の毛皮から作られた黒いマントを身に纏い、左腰に自分の剣を。右腰に団員の形見である剣を差してその目にこの世界全てに対する暗い憎悪の炎を灯し、新たな戦場を求めて歩き出す。
その先に待つのはきっとロクでもない死に方だというのは彼女には理解出来た。だが、手を伸ばす事も出来ない自分には止める事は出来ず、ただ黙っていつものように彼を見守るしかなかった。
【血涙の朝】
地神歴129年、ベルサク王国と戦争中であったダータル帝国は奇襲作戦を決行。
霧が深い朝方に行われた奇襲は魔法士200名を導入したとされており、ベルサク王国軍は為すすべなく壊滅状態に追い込まれた。
この報告を聞いたベルサク王国三十七代目国王 カントレ・フォン・ベルサクは血涙を流したという。
―――古文書【アルフレッファーマ手記】142ページより抜粋。




