見つめる者
水竜の血が湖を染め上げていく中に白華の剣先を差し込む。
小さな波紋を生みつつ湖の中へと入った白華は小さく鼓動を繰り返しながら水竜の血を飲み始めた。
『やっぱり、竜種の血は美味しいなぁ』
白華は何をするにしても血を消費する。
戦いになって力を発揮する時にでも俺の血を使うし、今みたいに消耗している時も回復するために血を必要とする。そのためにゴブリンを狩ったり魔物を狩ったりする必要があった。
赤く染まっていた湖が元の色に戻るのに左程時間は掛からなかった。
『ごちそうさまでした』
「コレでどれくらい回復した?」
『もう万全だよ。むしろ、ちょっと回復し過ぎたからユウにあげるね』
俺の身体を温かい光が包み込み、残っていた傷が全て癒される。
ただ、右目だけは治らなかった。白華曰く、この傷は特殊な魔力を纏った剣によって傷つけられており、自分の力では治すことが出来ないらしい。
まぁ、片目の生活には慣れているから別にいいけど。
「さて、帰るか」
『うん。でも、いいの?』
「……?」
『サオリの家から借りて来た包丁、沈んじゃったけど』
「……」
慌てて見てみれば、そこには水竜の死骸は無くなっていた。
「帰ったら謝ろう……」
『がんばって!』
白華の応援を背に俺は帰路へとついた。
◇ ◇ ◇
湖から立ち去る裕の姿を水晶越しに一人の青年が見ていた。
黒いローブを身にまとい、フードを深く被った青年の周りには様々な格好をした少女が数多く膝まづいている。
「僕が隷属させた水竜を簡単に倒しちゃうなんて、彼は一体何者なんだろう」
青年が見ている水晶に送られてきている映像は現地にいる自分の配下の視界なのだが、相手が強敵だったために遠くからしかその姿を見る事が出来なかった。そのため、体格などはわかっても顔までは見る事が出来なかった。
しばらく考えていた青年だったが、すぐに興味を失くしたように水晶から目を外した。
「ま、誰でもいいか。僕に勝てる相手なんていないんだしね」
青年の声に同意するように膝まづいていた少女たちが頷く。
その姿に気をよくした青年は座っていた椅子から立ち上がって両腕を広げた。
「あぁ、もうすぐだ……神崎さんが城から出た時は焦ったけど、こうして見つける事が出来た。コレはやっぱり運命ってやつだよね……待っててね、すぐに僕が迎えに行くから」
フードの奥に深い笑みを浮かべながら青年は笑う。
「誰であっても僕に勝てるわけがない。ほんと、神様は素晴らしい力をくれたよ」
腰から禍々しい短剣を引き抜き、青年は自分に膝まづいている少女たちを見て一度だけ頷いた後に指示を出す。
「さぁ、時間だ。僕の姫を迎えに行こう」
その言葉と共に少女たちは立ち上がり、それぞれの得物を掲げた。
剣、槍、斧、杖、弓――多種多様な得物と多種多様な種族で構成された少女たちの表情は無であり、それが傍から見れば不気味だった。
◇ ◇ ◇
家に帰った頃には既に神崎は起きており、朝食の準備をしていた。
謝るのは早い方がダメージが少ないと思った俺が包丁を失くした事を言うと、若干呆れた顔をしていたが別にそれくらいはいいと言ってくれた。
だが、そのあとに何をしに行っていたのかと聞かれた際にうっかり「水竜を倒しに」と言ってしまったのが間違いだった。
そこから神崎の説教が始まり、たっぷり三十分色々と言われた。その後、少し冷めた朝食を食べ始めたのがついさっきだ。
「まったく、一之瀬くんはどうして危ないことをするかな」
「……」
「まぁ、ユウと私にとってあれくらいなら強敵じゃないからね」
「でも、竜でしょ? 私がお城に居た時に呼んだ本だと軍隊を出すレベルって書いてあったけど」
「んー……でも、ソレって人間基準でしょ?」
「一之瀬君も人間だと思うけど……」
二人のそんな会話を聞きながら朝食を口へと運ぶ。
今日も神崎の手料理は美味い。今まで特に食事に対して何かを気にしてこなかったが、今となってはこの手料理を食べられるのが今日で最後だという事を少し残念に思うくらいだ。
「あ、そうだ。ユウ、言わなくていいの?」
「ん……? あぁ……」
白華に言われて一瞬何のことだかわからなかったが、そこでそういえば言っていなかったと気付いた。
「神崎、俺と白華は今日中にはこの村を出ていく」
「ぇ……」
正面に座っていた神崎の目が見開かれる。
手に持っていた木製のスプーンはスープの中へと落ちる。
「本当なら、もっと早く出ていくつもりだったんだけど白華の回復に時間が掛かってな……その、色々と世話になった。ありがとう」
誰かに礼を言うなんて久しぶりだったので少しだけ照れ臭かった。
「そっか……そうだよね、一之瀬くんには目的があるもんね」
「神崎……?」
照れくさくて外していた目線を戻すのと、顔を伏せていた神崎が顔を上げるのは同時だった。
少しだけ水分を多く含んだ翡翠色の瞳。それを隠すように浮かべられた笑み。
「じゃあ、今日は腕によりをかけてごちそうを作るよ!」
「あ……ああ」
「そうと決まれば、今から準備しなくちゃ!」
そう言って朝食もまだ食べかけなのに席を立つ神崎の背を俺は見送る事しか出来なかった。




