フレアベル・ニーズベルト③
フレアさんと軽く雑談をしたあと、一緒にお茶でも飲もうという話になりふたりして喫茶店を目指して賑わう大通りを移動する。
さすがに俺が住んでいた日本ほどあちこちにあるわけではないが、この世界にも喫茶店のような店は多い。というか娯楽も含め大通りには多種多様な店が多い。
治安もよく人の暮らしも豊かで、国もいろいろと補助をしているのでスラムのようなものも無い。とはいえ、さすがに全員が全員豊かな暮らしを送れているわけではなく、俺が出会ったことがないだけで日々の食事にも困っている人もいるのだろう。
ただ、それでも俺が中世と聞いて思い浮かべるイメージよりはずっと少ない……本当にいい世界だと思う。
賑わう通りを見てそんなことを考えていると、直後に強い感情を感じて反射的に振り返った。俺は普段こういった人通りの多い場所を歩くときは、感応魔法をOFFにしている。しかし、時折そのOFFにしているはずの感応魔法が俺の意思と関係なく強制的にONになることがある。
それは、俺の近くで『大きな感情の動き』があった時だ。そして、今回感じたのは、苦しみ、焦り、葛藤……そんな焦燥感を煽るような強い感情。
振り返った視線の先では、果物を売っている店……その店頭に並んだ籠に手を伸ばす男性の姿が見えた。店の店主は他の客を対応しており気付いていない。
俺はすぐに声を上げようとしたが、それよりも先にフレアさんの声が聞こえてきた。
「感心できんな、窃盗などという行いは」
「ッ!?」
それは決して大きな声ではなかったが、鋭さを感じる声でやけにハッキリと耳に聞こえた気がした。籠に手を伸ばしていた男にも聞こえたようで、ビクッと手を引くのが見えた。
周囲の人たちも気付きザワザワと戸惑うような声が聞こえてくる中で、フレアさんは悠然と歩を進め男に近づく。すると再び男からは強い葛藤の感情が伝わってきた。
「く、くそっ!」
どこか焦った様子で男は懐からナイフを取り出し、近づいてくるフレアさんに向ける。刃渡りは決して大きくない。精々果物ナイフ程度のサイズではあったが、それでも刃物は刃物……周囲の人たちも男から距離を取り、通りに少しだけ開けた空間が出来上がった。
フレアさんは男がナイフを抜き放ったのを見て足を止め、少しだけなにかを考えるような表情を浮かべた。
「……ことの善悪については一旦置いておくとして、どのような形であれ挑まれたのであれば、応じるのが我が流儀」
「……」
そう告げるとフレアさんはゆっくりと腕を組み、足を肩幅に開く。
「少し回りくどい言い方になったな。分かりやすく言おう……かかってこい、相手になってやる」
「ひっ……うっぁ……」
瞬間、ズッシリと周囲の空気が圧し掛かってくるような威圧感を感じ、周囲が静寂に包まれた。フレアさんは決して魔力を発したり、大きな声を出したりしたわけではない。なんなら、腕は組んだままだし戦闘態勢というわけですらない。
しかし強者のオーラとでもいうのだろうか、その身から放たれる歴戦の雰囲気が周囲の空気を一瞬で鋭く張り詰めさせた気がした。
その雰囲気に気圧され、ナイフを持った男は怯えた様子で一歩後退する。しかし依然として焦りの感情は強く……どうやらもう後がないと自棄になったのか、下がったのは一歩だけで再び震える手でナイフを構えて、今度はフレアさんに向かって駆けだした。
そして男は腕を組んだ姿勢のままのフレアさんに向かって振り下ろすようにナイフを振るい。そのナイフは……フレアさんに当たる前に停止した。
「ぐっ……うぅぅ」
フレアさんが魔法的な力で防いだとかではなく、男の方がナイフを振る手を止めたように見えた。ギリギリのところで踏みとどまったとでもいうべきか、男から伝わってくる感情が強い焦りから、どこか諦めを含んだものに変わり、男はナイフを手放す。
そして力が抜けるように地面に両膝を突き、ガックリと項垂れた。
「……なるほどな。心まで卑に染まり切っているわけではなかったか」
俯く男を見て、フレアさんが言葉を発したタイミングで足音が聞こえ、人混みをかき分けて数名の騎士らしき人たちが現れた。
騎士たちは周囲を確認するように視線を動かし、途中でフレアさんに気付いて驚くような表情を浮かべたあとで深く礼をした。
「ふむ、我のことを知っているのか、であれば話が早いな……戦友よ」
「え? あ、はい」
「すまぬが、少し寄り道をしても構わぬか?」
「え、ええ、大丈夫です」
「感謝する」
俺と短いやり取りをしたあとで、フレアさんは騎士たちの先頭にいる……おそらくまとめ役らしき騎士に声をかける。
「未遂とはいえ罪は罪、本来であれば貴公らがこの男を連行するのが筋であろう。だが、すまぬ。この男の処遇に関しては、我に預けてはくれぬだろうか?」
フレアさんの言葉を聞いて騎士たちは少し戸惑うような表情で顔を見合わせ、そのあとでまとめ役らしき騎士が口を開いた。
「……分かりました。他ならぬ天竜殿の頼みとあらば、私の権限で今回の件は預けさせていただきます」
「すまぬな。また後ほど、我の方でシンフォニア国王へことの経緯と謝罪は伝えておく……あぁ、ソレと貴公らにもひとつ借りができた」
そう告げながらフレアさんは懐から、フレアさんの服の背中に描かれているのと同じ赤い爪が描かれたカードを騎士の人数分取り出して渡した。
「困りごとがあれば訪ねてくるといい、その時は貴公らの力になることを約束しよう」
「もったいないお言葉です」
騎士たちがカードを受け取るのを確認したあとで、フレアさんは一度頷いてから今度は被害にあいかけた果物屋の店主の方に顔を向ける。
「店の前を騒がせてしまってすまなかった」
「ああ、いえ……こちらは特に実害があったわけではないので……」
軽く謝罪を告げたあとでフレアさんは、先ほど男が手を伸ばしていた果物の入った籠を手に持つ。
「これをいただこう……釣りは迷惑料として取っておいてくれ」
そう言って金貨を一枚店主に渡し、籠を片手に持ちながらいまだ項垂れたままの男に声をかけた。
「ついてこい」
そう言ったあと俺に軽くアイコンタクトを送って歩き出したフレアさんに俺が続くと、男もゆっくりと立ち上がって俺たちについてきた。
堂々と歩くフレアさんの雰囲気に圧されて人混みが割れ、俺たちは騒ぎのあった通りから離れていった。
しばらく歩き、人気の少ない公園に辿り着くと、フレアさんはクイっと顔を動かし男にベンチに座るよう促した。そして、男がそれに従ってベンチに座ると、手に持っていた果物の入った籠……そしてマジックボックスから取り出したのか、いくつかの食材を男に差し出した。
「……まずは腹を満たせ、事情はそのあとで聞かせてもらおう」
フレアさんの言葉に男は戸惑った様子で籠とフレアさんを何度も見たあと、おずおずと手を伸ばして食事を始める。よほどお腹が空いていたのか、一度食べ始めるとあとは一心不乱という言葉がしっくりくる様子だった。
「すまんな、戦友」
「いえ、気にしないでください」
なぜフレアさんが男を庇うような形でここまで連れてきたのか、それは俺にも理解できた。なんとなくではあるが、この男は根っからの悪人という感じはしない。
最初に感じたのは苦悩と葛藤、そのあとは焦燥感、項垂れている時は諦めと後悔……そしていまは戸惑いと深い反省が感応魔法で伝わってくる。なにかしらの事情があったのだろうと察することはできた。
しばらくして食事を終えると、男はポツポツとことの発端……なぜ窃盗を行おうとしたかを話し始めた。
要約すると、男は起業家だったらしい。数年前に事業を立ち上げ、最初はかなりうまくいっていた。しかし、ある時大きな失敗をしてしまい、それがきっかけとなって最終的に事業は失敗……男はほぼ無一文になってしまったとのことだ。
それからは日雇いの仕事を行いながら、ギリギリの生活を続けていた。だがここの所巡り合わせが悪く、なかなか仕事にありつけず、空腹に耐えかねて窃盗を行おうとしたということだった。
話を聞き終えると、フレアさんはパイプを咥えながら静かな声で告げる。
「……それで? これからどうするつもりだ?」
「また仕事を探すつもりです」
「ふむ、だがそれでは同じことの繰り返しになるのではないか?」
「……私はどこかプライドを捨てきれてなかったのだと思います。惨めな自分を知られたくなくて、両親にも連絡を取れていませんでした。けれどそのプライドのせいで取り返しのつかない過ちを犯すところでした。貴女に止めてもらえて、本当に助かりました」
「なるほどな、仕事を探し見つからなければ身内に頭を下げて助けてもらうか……それで? その後はどうする?」
「……いつになるかはわかりませんが、いつかまたお金を貯めて……もう一度挑戦してみようと思います」
フレアさんと話すうちに男の目から迷いは消えていった。なんとなくではあるが、この人はもうどんなに苦しくても犯罪に手を染めたりしないと、そんな風に感じることができた。
そんな男の顔を見て、フレアさんはフッと微かに微笑みを浮かべたあとで、どこからともなく巨大な麻袋を取り出して男の前に置いた。
「ならば、すぐにやれ」
「……え?」
「この金は貴公にくれてやろう、ソレを使って再挑戦するといい」
「……なん……で……」
麻袋の中には大量のお金が入っており、男は思考が追い付いていないのか呆然とした様子で呟く。
「貴公は一度挑戦し、失敗した。だが同時に貴公は得たはずだ……失敗という経験をな。いま貴公の心の内には『あの時こうしていれば』という思いが燻っているはずだ。であるなら、それを不完全燃焼のままで終わらせるな。得た経験をもとに再挑戦してみよ。その挑戦のために金が必要で、貴公がそれを持ちえていないというなら、我がくれてやる」
「……ッ!? あっ……うっ……ありがとう……ございます」
フレアさんの言葉を聞き、男はいろんな感情がごちゃ混ぜになったような表情を浮かべながら、それでも震える手で麻袋を受け取った。
戸惑いながらも、その瞳には再起を目指す微かな光が見て取れるような気がした。
「二度目の挑戦だ。貴公には一度目で得たノウハウがあり、失敗の経験もある。その上で再び失敗するのであれば、その時は単純に貴公の実力が不足しているということだ」
「……はい」
「その時は我の元を訪ねてこい。『三度目』は失敗せぬように、我が鍛えなおしてやろう」
「……へ? え?」
「挑戦者にとって失敗とは敗北ではない。敗北とは『挑む心を失くすこと』だ。何度失敗しようと、幾度となく破れようと、その心に焔が宿り続ける限り貴公は敗者ではなく挑戦者だ。そして我は、挑戦者の味方だ。貴公がその瞳の光を消さぬ限り、見捨てたりはしない。何度でも背中を押して戦場へと送り出してやる。だから、失敗を恐れず全力で挑んでこい!」
「~~~~!?」
何度失敗しても見捨てないとそう告げるフレアさんの言葉を聞き、男は感極まったような表情で涙を流す。
「挑むことは勇気がいる。ましてや一度失敗し、再び挑むには一度目以上の勇気が必要だろう。だが、貴公は我に……竜王様が配下にして四大魔竜の一角たる我に、フレアベル・ニーズベルトに刃を向けて見せたのだ。それに比べれば、その程度の勇気を振り絞るなど容易い話であろう?」
「……はい!」
どこか楽し気に告げるフレアさんの言葉に、男は涙を拭きながらそれでも力強く返事をした。そして、そのあとで受け取った麻袋を掲げながら迷いのない言葉で告げる。
「ありがとうございます。このお金は、ありがたく『お借りします』」
「……くれてやると言ったはずだが?」
「いえ、それでは私の気が収まりません。この預かったお金は、必ず全額……いえ、倍にして返して見せます!」
「ほぅ……挑戦者らしい、よい顔つきになった」
どこか感心したように零したあとで、フレアさんはどこか楽し気に笑いながら言葉を続ける。
「倍返しをする必要はない。だが、そうさな、どうしても受け取った金額以上を返したいと望むのであれば……金を持って訪ねてくる際に、一本……酒でもいいジュースでもいい、貴公の気に入った飲み物を一本持ってこい。その時は、貴公の勝利を祝って祝杯のひとつでも上げようではないか」
「……はい!」
「……どうやら、『三度目』は必要なさそうだな」
力強く頷く男の瞳には強い光が宿っており、なるほど確かにフレアさんの言う通り、挑戦者と呼ぶにふさわしい顔だと、そう思えた。
そして、ソレを見たフレアさんは心底楽しそうな表情で頷いていた。
【活動報告にてシアのキャララフを公開しております】
ニーズベルト
実は竜王配下で一番お金持ち。基本的に彼女がお金を持ち歩いているのは、今回のような挑戦したいけどお金がないって挑戦者にあげるためだが……必要ないって言ってるのに、倍になったり数倍になったりで返ってくることも多くどんどんお金が増えている状態。
基本的に面倒見がよく、今回みたいに挑戦者を手助けしたり背中を押すことも多いので、あちこちで慕われていて人界でも知名度は高め、赤い爪痕の模様は「紅蓮の牙」としての模様ではなく、ニーズベルト個人が好んで使うマークであり、彼女を慕うものはよく服などに同じ模様を入れている。




