積極的に動いてみようと思う
俺が屋敷に戻ってくるとリリアさんが呼んでいるらしく、リリアさんの居る執務室へ移動する。
扉を開いて中に入ると、リリアさんは神妙な様子で俺の方を向く。
「おかえりなさい、カイトさん」
「はい。ただ今戻りました」
「……それで、今度は誰ですか?」
「……うん?」
こちらを心配そうな表情で見ながら、リリアさんは手を微かに震えさせながら尋ねてくるが、俺はすぐには意味が分からず首を傾げる。
「……今度は一体どなたと知り合って来たんですか? 界王様ですか? 運命神様ですか? 何かあるなら今の内に言って下さい!!」
「……」
これは、何と言うか、俺はリリアさんを随分追い込んでしまっていた様だ。
それはもう、既に涙目になっている位……いや、本当に申し訳ない。
立て続けにとんでもない方々と出会っていて、リリアさんに本当に苦労をかけているんだと罪悪感を抱きつつ、今日知り合ったアリスの事を伝える。
しばらくアリスについての話を真剣に聞いた後、リリアさんは心底ホッとした様子で胸を撫で下ろす。
「……よかった。知らない方です」
「な、なんか、すみません」
「い、いえ、こちらこそ過敏になってしまって申し訳ないです」
うん。今度からもっとちゃんと細かな事でも報告する様にしよう。
そんな事を考えつつ、ふと視線をリリアさんの机に向けると、そこには多くの書類が置いてあった。
手紙と言う感じではなく、遠目ではあるが数字がずらりと並んでいるので経理関係の書類かもしれない。
「カイトさん? どうしました?」
「あ、いえ、リリアさんが仕事している所を初めて見たので……」
「ああ、成程……私も若輩ながら多くの者の生活を預かる身ですからね。それと、単純に性格ですがあまり何もかも人任せと言うのも気が引けますので、自分で出来る仕事は行う様にしているんですよ」
正直リリアさんに会うまで俺の中での貴族のイメージは、偉そうにふんぞり返っている様な感じだったが、それは勝手な先入観だったとこの世界に来てから実感した。
特にリリアさんは良い意味で貴族らしくないと言うか、俺と一歳しか変わらない筈だが、心から尊敬できる立派な人だ。
重要な機密の書類等は無いらしく、俺が見ても大丈夫と言う事なので、少し遠目にリリアさんの処理している書類を眺めてみる。
数字が沢山並んでいると言う事は経理関係、恐らく支出と収入を計算しているのだろう。
通貨が違うからだろうか? 俺の知る物とは形が違う、だけど用途は一緒……リリアさんが手にしているのは、この世界のソロバンじゃないかと思う。
その光景をしばらく眺めていて、俺の頭にはある疑問が浮かんだ。この世界には電卓とか、そう言うのは無いんだろうかと……
いや、決して電卓が全てにおいてソロバンより優れている等と言うつもりはない。ソロバンの熟練者ともなれば、凄まじい速度で計算を行う事も出来るだろう。
ただ、やはりそれはごく一部の存在に限る話……実際先程からリリアさんは、何度も書類を見て、その都度ゆっくりとソロバンを動かしながら計算を行っている。
アレでは全て計算し終えるまで、かなりの時間がかかるんじゃないかと思う。
ただでさえ俺のせいで色々気苦労をかけているリリアさん。出来れば何か力になってあげたい所ではあるのだが、残念ながら俺はソロバンなんて小学校の頃に授業で数度触った程度だし、特別数学が得意だったと言う訳でも無い。
無理に手伝おうとした所で邪魔になるのがオチだろう。
ただもしこの場に電卓があれば、俺でもリリアさんの仕事を手伝えるかもしれないし、そうじゃなくてもリリアさんの作業スピードの向上は確実に行えると思う。
しかし残念ながら今俺の手元に電卓は存在していない。正確に言えば、この世界に来た時点ではポケットサイズの電卓をバックに入れていたのだが……電卓は機械製品であり、今は法の女神様に預かってもらっている状態。
本来ならそこで話は終了する筈だが、俺の頭にはある考えが浮かんでいた。
この世界では魔法具と言う便利な道具が生活を支えており、それらの中には元の世界の機械製品を遥かに上回る性能の物さえある。
ライターに近い役割の魔法具があり、エアコンに近い性能の魔法具がある。ならば、中には電卓の様な計算が行える魔法具もあるのではないか、仮に無かったとしても作る事は出来るのではないかと思った。
だけど俺はまだこの世界に関しては素人も良い所であり、そんな魔法具があるのか、本当に俺が考えている様な物が作れるのかどうかが分からない。
う~ん。ここはやっぱり、魔法具の生みの親であり、魔法に関する事なら一番頼りになるクロに聞いてみるのが一番だろう。
そう考えた俺は、これ以上リリアさんの邪魔にならない様に退室して、自室へ続く廊下を歩きながら、今度クロが訪ねて来た時に聞いてみようと思う内容を頭の中で纏めていく。
拝啓、母さん、父さん――色々と迷惑をかけてしまっているリリアさんに、何とか少しでも楽をしてもらいたい。だからちょっと――積極的に動いてみようと思う。
氷に包まれたアイシスの居城。その一室では界王・リリウッド・ユグドラシルが、非常に疲れた表情を浮かべていた。
精神的に心底疲労した表情を浮かべるリリウッドとは対照的に、この城の主であるアイシスは非常にご機嫌であり、包装された本の束を見つめている。
「……リリウッド……ありがとう……お陰で……カイトにあげる本……決まった」
『……良かったです。いえ、本当に、世界の経済バランスが崩れずに済んで……』
放っておけば古代魔法の載った魔道書や、秘薬の製法が書かれた禁書等、途方も無い価値のある本を贈ろうとしていたアイシスを必死に説得し、1000万を超える蔵書の中から、無難な物を選んで見繕う。それは本当に大変で長い時間がかかる作業であり、お陰でリリウッドはすっかり疲労していた。
「お邪魔するね、アイシス」
「……クロムエイナ……いらっしゃい」
「新作のベビーカステラが出来たから、お裾分けに……って、あれ? リリウッドも来ていたの?」
『……クロムエイナ。出来れば、もう少し早く来てほしかったです』
「え?」
すると丁度その時……まるで本選びが終わるタイミングを見計らったかのようにクロムエイナが現れ、リリウッドは大きく肩を落としながら呟く。
クロムエイナはそんなリリウッドの様子に大きく首を傾げながらアイシスの方を向き……再び首を傾げる。
「あれ? アイシス、凄く機嫌いいね。どうしたの?」
「……友達……出来た……人間の」
「え? 本当に!?」
『ええ、私も半信半疑でしたが、実際アイシスはその方の元に先日遊びに行きまして、それからずっと上機嫌です』
アイシスが嬉しそうに告げた言葉を聞き、クロムエイナは信じられないと言いたげな表情を浮かべ、少し前に同様の反応をした経験のあるリリウッドが補足の言葉を入れる。
「へぇ、凄い子も居るんだね。アイシス、それどんな子なの?」
「……クロムエイナとも知り合いって……言ってた……名前は……カイト」
「へ? カイトって……ミヤマカイトくん?」
『ご存じなんですか?』
「うん、殆ど毎日会ってる。今のボクの一番のお気に入りの子だよ」
アイシスが告げた快人の名前を聞き、クロムエイナは本当に心底驚いた表情を浮かべる。
「そっか……カイトくんが、アイシスと友達に……」
『クロムエイナ。そのカイトさんと言う方は何者ですか? アイシスの話では特殊な力を持っているとの事ですが、本当に死の魔力に抗う事など可能なのですか?』
「う~ん。確かにカイトくんは感応魔法って少し変わった力は持ってて、敵意の無い魔力に適応する事は出来るんだけど……それって誰に対してもってわけじゃない筈なんだよ」
『と、言いますと?』
「カイトくんの魔力は確かに他の魔力に適応するけど……大前提としてカイトくんが『その相手と友好的に接したい』って思ってないと適応しないし、瞬時に適応する訳でもないからね」
クロムエイナの言葉通り、快人の感応魔法は瞬時にあらゆる魔力に対応すると言う訳ではない。
あくまで快人が無意識にでもそれに適応したいと思う事、つまり快人の方も相手に敵意を抱いていない事が前提となる。
「つまり、カイトくんは……アイシスの死の魔力を感じ、それでもアイシスと仲良くなろうとして、それなりの時間死の魔力に晒されながら、必死に適応しようとした。だから死の魔力に適応出来たんだと思う」
「……」
『と、とてつもない方ですね。今だ信じられない気持ちでいっぱいです』
クロムエイナが静かに告げた言葉。
快人自身は感応魔法のお陰でと言っていたが、そもそも快人がアイシスに手を伸ばそうと思っていなければそれは起こり得なかったし、快人は辛い思いをしながらそれでもアイシスを仲良くなろうとした。
思わぬ所で分かった事実。それがよっぽど嬉しかったのか、アイシスは頬を真っ赤に染め、惚けた様に虚空を見つめていた。
そんなアイシスの反応とは対照的に、リリウッドは戦慄した様な表情を浮かべる。
「う~ん。この世界に来たばっかりの頃のカイトくんじゃ無理だったと思う。だけど最近のカイトくんは、びっくりする位カッコ良くなったし……誰かの為に、頑張っちゃう優しい子だからね。まぁ、だからボクも気に入ってるんだけど」
「……うん……カイト……優しくて……カッコいい」
『……成程。そう言えばクロムエイナは、ほぼ毎日会ってると言っていましたが……だから最近やたらシンフォニア王国に足を運んでいるんですね』
「あはは、まぁ、そう言う事だね」
クロムエイナとアイシス、両者の言葉を聞いて快人にますます興味を持ったリリウッドは、近々訪ねる時の事を楽しみにしながら頷く。
そしてクロムエイナが最近頻繁にシンフォニア王国に行っている理由も分かったと、穏やかな笑みを浮かべる。
『それでしたら、今回の勇者祭の打ち合わせ、シンフォニア王国に関してはクロムエイナにお願いした方がよさそうですね』
「やだ」
『……え?』
勇者祭を行う年には、人界と繋がりの深いクロムエイナやリリウッドは、分担して各国と打ち合わせ……勇者役の巡礼の順序や、勇者祭の催しについて話し合いを行っている。
今回の分担はまだ決めていなかったが、クロムエイナがシンフォニア王国に頻繁に通っているのなら、そちらの打ち合わせを頼めば快く引き受けてくれる……そうリリウッドは思っていたのだが、返ってきたのは嫌だの一言だった。
「あそこの国王は『カイトくんを除け者にした』から嫌い」
「……カイトを……除け者に?」
クロムエイナが告げた言葉を聞き、リリウッドは頭を抱えた。
その内容……シンフォニア国王が快人に招待状を送らなかった件は、実はリリウッドも眷族に調べさせ把握していたが、アイシスには話していなかった。
もしそれが知られれば、アイシスがどんな行動を起こすか考えたくも無かったので秘密にしていたが、アイシスの方は快人から別の用事で行けなかっただけと聞いており、数日前にホッと胸を撫で下ろしたばかりだったのだが……思いもよらぬ所から爆弾は投下された。
クロムエイナの言葉を聞き、アイシスは静かに呟いた後ですっと立ち上がる。
『ちょっと、アイシス。何処へ行くつもりですか?』
「……シンフォニア王国」
『ま、待ってください!? それは……』
「アイシス! ストップ!!」
「……クロムエイナ?」
明らかに座った目でシンフォニア王国へ……文字通り国王を抹殺しに行こうとしていたアイシスを、リリウッドが必死に止めようとしたタイミングで、クロムエイナもアイシスに制止の声を投げかける。
リリウッドはそれに安堵し、味方であろうクロムエイナの方を向くが……次の言葉で青ざめる事になった。
『そうですクロムエイナ。貴女からも言って……』
「ボクも手伝う!」
『ちょっと!?』
「……ありがとうクロムエイナ……一緒に……カイト虐める馬鹿……殺そう」
「殺すのは駄目、それだとカイトくんにも迷惑掛かっちゃうからね。二度と馬鹿な事出来ない様に『心へし折れるまで脅そう』」
「……分かった……『廃人』にする」
『何恐ろしい事言ってるんですか!? アイシスも納得しないで下さい!』
よく見るとクロムエイナ方も笑顔が消えており、明らかに怒っていると言う感じで、恐ろしい事を平然と口にする。
『待ってください!! 私が、私が何とかしますから!? ちゃんとシンフォニア国王に謝罪させますから!! お願いですから貴女達は動かないで下さい!!』
その日、静かな死の大地に……六王一の苦労性……界王の叫びが木霊した。




