フェイトさんは相変わらず過ぎる
初めて訪れる神界は、非常に新鮮な光景で俺を迎えてくれた。
下層はどこか人界の街を思わせる造りで、数メートルはあろうかという巨大な花や、空に浮かぶ湖などが幻想的に広がっていた。
中層は、貴族の住む住宅街といった印象で、白く美しい建物が並び、所々に以前見たライトツリーに似た木が生えていて、街全体が淡い光に包まれているようだった。
そしてその二つの大地からさらに上、シロさんの住む神域を除くと最も高い位置にある大地……上層に到達した。
上層は緑の絨毯のように芝生が一面に広がるひらけた大地で、空には昼だというのに流星のように見える幾重もの光が流れていて、荘厳さを感じさせる。
そして視線の先……さらに高い上空に見える神域の最も近い位置、ドーナツ型大地の端には、三つの巨大な神殿が神域を囲むように配置されている。
一つ一つがまるで城のように大きく、かなり距離があるここから出ないと全容を把握しきれない。
そしてクロノアさんの提案で、シロさんの元に行く前にフェイトさんとライフさんの神殿を尋ねてみようという事になり、まずは一番近くにあるフェイトさんの神殿へ向かう。
ここに立ち入れるのは、最高神とその部下のみというのは本当みたいで、下層や中層では見かけた他の神族の姿がまったくと言っていいほど見えず、広い空間がやけに静かに感じた。
フェイトさんの神殿の中に入ると、俺はおろかメギドさんでも余裕で通れそうな広い廊下が続いており、正しく頂点の神が住む場所といった雰囲気を感じさせる。
まぁ、マグナウェルさんは絶対に無理ではあるが……それはマグナウェルさんのサイズが異常なだけ、そもそもあの方が入れる家とか、それもう家じゃなくて別の巨大なナニカだと思う。
長く静かな廊下を進み、巨大な扉の前に立つ。
扉がでかすぎて、全然開けられる気がしなかったが……クロノアさんは特に気にした様子もなく、扉をノックする。
「運命神、いるか?」
「……んぁ? 時空神? なにさ、もぅ……」
クロノアさんが扉越しに声をかけると、気だるそうな声と共に巨大な扉がゆっくりと開き、フェイトさんが姿を現す。
紫色の髪はボサボサであちこちはねており、着ている法衣もヨレヨレ……扉の中から見えるグラウンド並に広い部屋の中は、まるでボールが敷き詰められた子供用遊具みたいに、所狭しと大量のクッションが敷き詰められていて、どこでも寝転がれる状態だ。
……なんというか、これでもかという程、全方位隙のない駄目な感じのフォーメーションだ。ちょっと、だらけすぎなんじゃないですかねぇ……
今まで人界で会った時から怠け者な方だというのは分かっていたが……どうやら、恐ろしい事に、それでも人界に来る時は余所行き用に身なりを整えていたみたいだ。
ま、まぁ、なんというか……フェイトさんらしいと言えばらしい光景に、俺が茫然としていると……フェイトさんは半開きの目を擦りながら、眠たそうに告げる。
「……私は、いまリラックスに忙しいんだけ……ど?」
「……えっと」
しかしその半開きだった目は俺の姿を捉えると大きく見開かれ、フェイトさんは驚愕した表情で硬直する。
そして少しの間茫然と俺の顔を見つめた後、ダラダラと大量の汗を流し始める。
「……えと……もしかして……もしかしなくても……カイちゃん?」
「あ、はい。えっと、お久しぶりです」
「……ごめっ、ちょっと待って」
「え?」
言うが早いか、フェイトさんは待ってくれと告げた後で扉を閉じる。
え? 待つって、一体どのぐらい?
そう思っていると、扉はほんの数秒で再び開かれ、フェイトさんが姿を現す。
「やあ、ようこそカイちゃん! 私の神殿へ!」
「なっ!? え、えぇぇぇ!?」
再び姿を現したフェイトさんは、先程と激変していた。
サラサラと煌くような、光沢すら感じる美しい髪、皺一つない純白の法衣……先程見た感じでは足の踏み所も無かった広すぎる部屋も埃一つなく、床や壁は鏡のように磨かれていた。
「ささ、入って入って、お茶でも用意するからさ」
「……えと、なんか、さっきまでとその……激変してません?」
「あはは、なにいってるのさ、カイちゃん。私は『綺麗好き』だからこんなもんだよ。さっきはちょっと寝起きだったから……恥ずかしい所見せちゃったね」
寝起きだったからって……いや、問題はそこじゃ無くない!? 部屋! 部屋の方!! ちょっとだらけてるとか、そんなレベルじゃ無かったよさっきの!? クッションの海だったよ!? え? このほんの5秒間になにがあったの!?
「……貴様、そんな動きが出来るなら日頃からやれ……」
「もぅ、時空神もお茶目さんだね~私はいつも真面目で元気なフェイトちゃんだよ!」
「……一つ尋ねる。なんでそんなに気合いを入れている?」
うん、フェイトさんがいつもこんな感じじゃないってのは俺でも分かる。というかもう本当に、誰だこれって感じで、別人なんじゃないかと疑ってしまうレベルだ。
明らかに本気出してる感じがする。なんだろう? このそこはかとなく、嫌な感じ……
そしてその不安は的中していたようで、フェイトさんはクロノアさんの言葉を聞いて叫ぶ様に宣言する。
「そんなの、カイちゃんを口説き落とす為に決まってるじゃないか!!」
「……お~い……フェイトさ~ん」
「いや~何度か足運んだのに全然リアクション良くならないからさ、カイちゃんもしかしたら男色なんじゃないかと思ってたけど……」
「おい、こら、駄女神」
いうに事かいてなに言ってんだこの方は!! 誰が男色だ! 誰が!!
しかしそこは流石フェイトさん、俺の魂の叫びは華麗にスルーして言葉を続ける。
「でもさ、シャルたんから聞いたけど、冥王に死王……あとなんかエルフとも恋人になったとか!! じゃあ、チャンスじゃん!! いけるじゃん!!」
「……なにがだ……」
「冥王が恋愛対象でOKって事はさ、私の身長でもバッチシOKって事でしょ!! じゃあ、アタックするしかないじゃん! 目指せ、夢のヒモ生活!! ニート神に私はなる!!」
「……」
「……」
あっ、やっぱこの方はフェイトさんだ……ニート神って発言の時点で、救いようのない駄目さ加減が伝わってくる。
クロノアさんも完全に呆れているようで、こめかみに指をあて、ピクピクと頬を引きつらせている。
「という訳で、カイちゃん! とりあえず『キス』しよう!!」
「……いや、そんな居酒屋でとりあえず生、みたいな感じで言われても……却下です」
「えぇ~いいじゃん、ちょっと唇と唇をくっつけるだけだよ。今ならオプションで、胸も触らせてあげるよ!!」
「……」
ジリジリとこちらに詰め寄ってくるフェイトさんを見て、どこか既視感を感じながら後ずさる。
残念ながらクロノアさんはまだ混乱から立ち直っていない。
フェイトさんはそのまま血走った眼で、口元から微かに涎を垂らしながら歩み寄ってくる。
「大丈夫、大丈夫……軽い挨拶みたいなものだからさ……ぶちゅっと……」
「待ってくださいフェイトさん!」
小柄な体で飢えた肉食獣みたいに近付いてくるフェイトさんに思いっきり引いていると、突如アリスがどこか焦った様子で現れる。
「え? あれ? シャルたん? どうかしたの?」
「……今すぐ退いて下さい!! し、死にますよ!?」
「え? 一体何言って――はっ!?」
焦った様子のアリスの言葉にフェイトさんが首を傾げるのとほぼ同時に、部屋全体が『黒い霧』に包まれた。
それが何かはフェイトさんも即座に理解したのか、青ざめた顔で滝のような汗を流し始め、その背中を空中に浮かんだ金色の瞳が睨みつけていた。
「……す……凄いよこれ……私……いまだかつてないよ……ここまで死をリアルに感じたのは……や、やだなぁ~た、たた、ただのスキンシップ……だよ?」
「フェイトさん! 謝って!! 早く!!」
「ご、ごめんなさ――」
そしてフェイトさんは、謝罪の言葉を告げ切らない内に黒い霧に飲みこまれ、直後に空気を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「ぎゃあぁぁぁぁ!? やめ、やめてぇぇぇぇ!? 千切れる!? マジで千切れるぅぅぅ!?」
「……お、遅かったっすか……」
「ひぎゃあぁぁぁぁ!? 潰れる、潰れるうぅぅぅ!?」
「……さらば、ソウルフレンド……貴女の雄姿は忘れません」
「ちょ、まだ死んで――みぎゃあぁぁぁぁ!? それ、駄目な奴だからあぁぁぁぁ!? って、あれ? 傷治って……ぎにゃぁぁぁ!? も、もう一セットおぉぉぉ!? やめ、やめてぇぇぇぇ!?」
黒い霧に飲まれた部屋の中で、そのまましばらくの間、フェイトさんの悲鳴が響き渡っていた。
拝啓、母さん、父さん――神界の上層に辿り着いて、まずはフェイトさんの神殿を尋ねる事になった。まぁ、なんて言えば良いのか、分かってはいた事だけど――フェイトさんは相変わらず過ぎる。
クロ(本気モード)が来た……フェイト……無茶しやがって。