ナイトマーケット⑫
向かい合ってグラスを傾けながら、イルネスはゆっくりと思考を巡らせていた。
(本当にぃ、困ってしまいますねぇ。感情のコントロールがぁ、こんなに難しいなんて~いままで考えもしませんでしたぁ)
快人から見れば、イルネスは大人の余裕をもって対応しており、いまこの場においても穏やかで冷静であるように見えているが、実際の彼女の内心は違った。
少し前の言葉も本心からのものであるし、いまもなおイルネスの心は平時とは違う状態にあった。
(抑え込んでいても~際限なく欲望が顔を出してくるようでぇ、己の浅ましさに嫌悪感も抱きますぅ。本当に~私のどこにこんな気持ちがあったのかぁ、自分では~分からないものですねぇ)
いままでの、快人と巡り合うまでのイルネスにとって感情のコントロールというのは難しいものではなかった。というよりそもそも、感情をコントロールしようなどと考えたこと自体ほぼ無かった。
イルネスはいつも自然体……ある意味では彼女が空っぽだったという証明でもあるが、常にフラットな状態で過ごせており、ソレに疑問を持つことも不自由することも無かった。
しかし、快人と共に居るとイルネスの感情はいままでとは比べ物にならないほど大きく動き、彼女自身戸惑いながらソレに翻弄されている状態でもあった。
(今日はぁ、いつもより~ワガママになると決めたからでしょうかぁ? 本来ならぁ、ナイトマーケットから帰った時点でぇ、終わりだったはずなのにぃ……カイト様とふたりで過ごす時間がぁ、あまりにも幸せで~心地よくてぇ、なかなか歯止めが聞かなくて~カイト様にもご迷惑をおかけしてしまってますねぇ)
ナイトマーケットのあとでお茶を勧め、快人の背中を流そうと浴室に向かい、いまもこうして快人と共に晩酌を楽しんでいる。
(反省すべきなのにぃ、本当に~困ってしまいますねぇ。幸せだという思いばかりがぁ、浮かんできてしまいますぅ)
感応魔法を持ち感情の変化に鋭い快人が、イルネスの困惑などといった感情に気付いていない理由は、それを覆い隠すほどイルネスの中で幸福であるという気持ちが強いからだった。
なのでイルネスから感応魔法で伝わってくる感情も、そういった幸せや楽しさといった感情ばかりであるため、内心での戸惑いには気付けないでいた。
(私は~どうありたいんでしょうねぇ? 貴方にとっての~なにに成りたいのでしょうねぇ? そんなことを考えること自体~かつての私ではぁ、ありえなかったですぅ)
かつての己が、快人と出会う前の己がいまの自分を見れば、心の底から驚愕するであろうとそう思えるほどにイルネスは大きく変化していた。
いまの彼女を見て、空っぽと称するものはいないだろうと確信できる程に彼女は変わっていた。
(貴方の幸福な姿を見て満足していたはずだったのにぃ、不思議なものですねぇ。貴方と一緒にいると~長年変わらなかった己がぁ、どんどん変化しているのを実感しますぅ。戸惑いはありますがぁ、私自身~変わっていくことを嬉しく思えているのはぁ、きっとそれも~カイト様からぁ、貰ったものだからですねぇ)
変わりつつある己に戸惑いながらも、その変化を楽しみ、幸せに感じていた。快人が幸せでいてさえくればそれでよく、その笑顔を見ているのが己の幸せであるという思いも、少しずつ変化していた。
快人の幸福を願う気持ちはより強く、そしてまだハッキリと己の願いを形にはできていないが、快人と共に在る未来を望み始めていた。
(……貴方と話すたびぃ、こうして一緒の時間を過ごすたびぃ、いままでよりずっと~貴方を愛おしく感じてきますぅ。本当に~際限なんてないのではないかと思うほどにぃ……)
そんなことを考えながらグラスを傾け、向かいに座る快人に視線を向けると、たまたま目が合った快人が微笑みを浮かべ、イルネスは胸に温かい鼓動を感じた。
「……カイト様ぁ?」
「なんですか?」
「また機会があればぁ、私の方から~晩酌に誘ってもぉ、よろしいでしょうかぁ?」
イルネスの言葉に快人は一瞬驚いたような表情を浮かべた。基本的にこれまでのふたりの関係として、快人がイルネスを誘うことはあっても、イルネス側からなにかに誘うことはなかったからだ。
だからこそ、その言葉には少し驚いたが、快人はすぐに明るい笑顔を浮かべて頷いた。
「ええ、もちろん……楽しみにしてます」
「くひひ、はいぃ」
少しずつ変わりつつあるイルネスの内面は、表情にも表れており、いつも以上に幸せそうに笑うイルネスを見て、快人は少し顔を赤くしていた。
もっとも……快人だけ、ではないのだが……。
(……本当に~困りましたねぇ。決して不快ではないのですがぁ、本当に~カイト様といるとぉ、自分の気持ちをコントロールできませんよぉ……せっかくの~静かな夜なのにぃ、少し~胸の鼓動がぁ、うるさすぎますぅ)
シリアス先輩「ここが地獄、永久糖土か……くそぅ、この作品の前ではシリアスは糖多される運命だというのか……」
???「いや、しれっと変な漢字に置き換えないで貰えます? 微妙に上手いこと言ってる感じが腹立ちますし」




