プロローグ
「邪魔ですこと」
執事が扉を閉める音と重なるように、ララティーナは絨毯の上へ高すぎるヒールを放り出した。
ドレスのままあぐらをかき、コルセットを緩める。
「作り笑い、重たいドレス、動けない靴。
……わたくしには、毒でしかありませんわ」
「お嬢様、あぐらは感心いたしません。……まあ、今に始まったことではございませんが」
部屋の隅、影から現れたのは執事のフォックスだ。
先代から父に仕えてきた老執事の息子であり、ララティーナにとっては兄のようでもあり、最高の右腕でもある。
彼は慣れた手つきで脱ぎ捨てられたヒールを揃えながら、静かに続けた。
「裏路地にはお嬢様の『恋人』を。ガソリンも満タンでございます。脱出経路の検問には、私が手を打っておきました」
「あら、気が利くことですわね、フォックス」
ララティーナは不敵に笑い、フォックスから受け取った機密書類に目を通す。そこには、父が無理やり背負わされた「不正」の証拠が記されていた。
書類を握る指先に、わずかな力がこもる。
「わたくしがヒールを履くのは、優雅に踊るためではありませんわ。父上の喉元を狙う鼠どもを、正確に踏み抜くためですの」
夜。舞踏会は偽善と香水に満ちていた。
第二公爵は、完璧な紳士の笑みでララティーナの手を取る。
「我が家とあなた様のご縁は、帝国の未来を明るくする」
「未来とは、隠し事のない青空のようなものを申しますわ。……例えば、あちらの煙ひとつない夜空のような」
その瞬間、遠くの港湾倉庫から火の手が上がった。
「火事だ!」と騒ぎになる中、ララティーナは公爵の手を冷ややかに振り払う。
「なっ……ララティーナ嬢!?」
「その顔、見飽きましたわ。……あなた、父上に全ての罪を擦り付けようとしましたわね?
汚い仕事は父上に押し付け、自分だけ光の中にいようなど、虫が良すぎますわ」
ララティーナはドレスの裾を大胆に引きあげ、ミニスカートのような状態にして走り出した。
庭の生垣の影に隠されていたのは、漆黒の大型バイク。
「淑女は走りませんの。──マッハで追い越すものですわ」
エンジンの咆哮が夜空を震わせる。
燃え盛る倉庫。
ララティーナは、公爵が証拠隠滅のために用意した偽造帳簿を、バイクを走らせながら鮮やかに奪い取った。
追ってきた公爵は、バイクにまたがる彼女の圧倒的な美しさと威圧感に、恐怖を超えた恍惚を浮かべて膝をつく。
「……あ、ああ……なんと、恐ろしくも美しい……」
「見惚れている暇などありませんわよ。あなたはしばらくの間、わたくしのそばできっちりと踊っていただきますわ」
父、帝国財務卿の執務室。
そこには、疲れ果てた、だが枯れた色気を持つ父がいた。
「……すまない。私が無能なばかりに、お前まで……」
「父上。謝らないでくださいませ」
ララティーナは父の前に立ち、その大きな手をしっかりと握った。
「母上が愛したこの国を、父上が守ろうとしたのは存じております。ですが、父上は一人で背負いすぎですわ」
「……しかし、金の流れは既に……」
「その流れ、わたくしが捻じ曲げました。第二公爵には全ての責任を背負わせる契約を嵌めてみせますわ。父上はそのまま、清廉な財務卿として国を守り続けてください。……汚れ仕事は、わたくしとフォックスの領分です」
「……ララ」
父が絞り出すように、愛おしそうに娘の名を呼ぶ。
ララティーナは一瞬だけ少女のような笑みを浮かべ、再び仮面(淑女の顔)を貼り付ける。
「仕事は終わりましたわ。……フォックス、あとの片付けは任せましたわよ」
「仰せのままに、お嬢様」
フォックスが恭しく頭を下げる中、ララティーナは再びバイクに跨った。
ヒールを脱ぎ捨て、裸足でペダルを蹴り上げる。
「握るものは、三つ」
エンジンの回転数を上げ、ハンドルを絞る。
「ドレスの裾とハンドル、そして──」
夜の街に溶けるように、彼女は疾走する。
「父上とわたくしの、自由な未来ですわ!」




