■第8話「測れないものの扱い方」
変化は、静かに始まっていた。
だが確実に。
⸻
「……またか」
教員棟の一室。
重い扉の向こうで、低い声が響く。
机の上には資料が積まれていた。
その一番上にある紙には、一つの名前。
――カイル。
「再測定でも変わらず、か」
ディアスが腕を組んだまま言う。
「はい」
向かいに立つ教員が頷く。
「魔力、反応、身体能力、すべての項目で数値が取得できません」
「故障の可能性は?」
「すでに複数回検証済みです。機器に異常はありません」
短い沈黙。
ディアスは資料を手に取る。
めくる。
そこには、過去の記録が並んでいる。
一年前。
入学時。
同じ結論。
測定不能。
最低ランク。
そして。
「……ガルスに勝利」
小さく呟く。
報告書には簡潔に書かれていた。
だが、その内容は明らかに簡潔ではない。
「どう見ますか」
教員が問う。
ディアスは視線を落としたまま答えた。
「分からん」
それが、正直な答えだった。
「だが」
資料を机に置く。
「放置はできん」
視線が鋭くなる。
「最低ランクのまま上位を崩すなど、前例がない」
「昇格させますか?」
「無理だ」
即答だった。
「基準がない以上、評価できん」
「では……」
「監視する」
短い言葉。
「戦闘を見続ける」
それが結論だった。
⸻
一方、その頃。
⸻
「……やっぱ変わったな」
グレンが小さく呟く。
昼休みの中庭。
いつもの場所。
いつもの三人。
だが。
周囲の空気は、いつもと違う。
「何がだ」
カイルが聞く。
「何がって……」
グレンは辺りを見回す。
視線がある。
明確に。
遠巻きに。
観察するような目。
「見られてるだろ」
「前からだろ」
「質が違うんだよ!」
声を落としながら言う。
「前は“どうでもいいやつ”を見る目だった」
「今は?」
「“よく分かんねえから怖い”って目だ」
カイルは少しだけ考える。
「大差ないな」
「大ありだ!」
グレンが頭を抱える。
セラは笑っていた。
「いいじゃん」
「何がだ」
「ちゃんと“対象”になったってこと」
楽しそうに言う。
「去年は違ったろ?」
「……まあな」
グレンが頷く。
「去年は正直、ここまでじゃなかった」
それは事実だった。
去年のカイルは、ただの“例外”だった。
扱いに困るが、脅威ではない。
だから、放置されていた。
だが今は違う。
結果を出してしまった。
しかも。
理解できない形で。
「なあカイル」
グレンが真剣な顔で言う。
「お前さ」
「何だ」
「自覚あるのか?」
「何の」
「自分がどれだけおかしいか」
カイルは少し考える。
「ない」
「だろうな!」
即答だった。
「それが一番怖いんだよ!」
セラが笑う。
「でもそこがいいんじゃん」
「よくねえよ!」
グレンは疲れ切っていた。
その時。
カイルは、ふと視線を感じた。
さっきまでとは違う。
もっとはっきりとした。
“見られている”感覚。
振り返る。
少し離れた場所。
そこにいたのは。
ナナだった。
じっと、こちらを見ている。
目が合う。
逸らさない。
そのまま、ゆっくりと近づいてくる。
「どうした」
カイルが言う。
ナナは少しだけ間を置いた。
「一つ、分かったかもしれない」
「何がだ」
「昨日の」
静かな声。
「ガルスとの戦い」
空気が少し変わる。
グレンもセラも、黙る。
「分かったのか?」
カイルが聞く。
ナナは首を振った。
「全部じゃない」
「じゃあ何だ」
「違和感の正体」
カイルは黙る。
ナナは続ける。
「普通の戦いは、順番がある」
「順番?」
「攻撃して、防いで、崩す」
指で軽く順をなぞる。
「でもカイルは違う」
視線が鋭くなる。
「最初から“崩れてる”」
沈黙。
グレンがぽかんとする。
「……は?」
「順番が逆」
ナナは淡々と言う。
「結果が先に来てる」
カイルは何も言わない。
セラが笑う。
「いいね」
「何がだ」
「近い」
ナナは少しだけ目を細める。
「でも、まだ分からない」
「そうか」
「うん」
短い返事。
だが、その中に確信があった。
「だから、もう少し見る」
それだけ言って、ナナは離れた。
グレンが頭を抱える。
「……なんだ今の」
「知らん」
「いやお前関係あるだろ!?」
セラは楽しそうだった。
「面白くなってきたな」
「お前ほんとそれしか言わねえな」
「だってそうだろ」
カイルを見る。
「理解され始めてる」
カイルは少しだけ考える。
(……そうか?)
あまり実感はない。
だが。
何かが変わっているのは確かだった。
⸻
その日の放課後。
⸻
「来たか」
低い声。
訓練場の奥。
ガルスが立っていた。
昨日よりも落ち着いている。
だが、目は鋭いままだ。
「何だ」
カイルが聞く。
「少し、話がある」
「戦いじゃないのか」
「今日は違う」
ガルスは腕を組む。
「一つ聞きたい」
「何だ」
「お前、自分が何してるか分かってるか」
「分かってない」
即答。
ガルスは少しだけ笑った。
「だろうな」
そのまま、少しだけ視線を外す。
「でもな」
再び、カイルを見る。
「分かってるやつがいる」
「誰だ」
短い沈黙。
「……ヴァンだ」
空気がわずかに張る。
「分かるのか?」
「全部じゃねえ」
ガルスは首を振る。
「でも、あいつは“近い”」
カイルは何も言わない。
「だから気をつけろ」
ガルスは言う。
「ただの強さじゃねえぞ、あいつは」
「お前も強かったが」
「種類が違う」
即答だった。
「俺は“分かる強さ”だ」
拳を軽く握る。
「でもあいつは」
一瞬、言葉を選ぶ。
「“分かる範囲で一番上”だ」
カイルは少しだけ考える。
「よく分からないな」
「だろうな」
ガルスは笑った。
「でもな」
その目が、少しだけ真剣になる。
「お前とやれるのは、あいつくらいだ」
それだけ言って、背を向けた。
「またな」
短く。
それだけ残して去る。
カイルはその場に立ったまま、少しだけ空を見上げた。
(……分かる範囲、か)
意味は、完全には分からない。
だが。
少しだけ。
本当に少しだけ。
興味はあった。
ヴァンという存在に。




