■第72話「原型の記憶」
世界は、まだ静かだった。
壊れたまま。
歪んだまま。
だが、かろうじて形を保っている。
空は普通に見える。
街も動いている。
だが。
その裏側で。
“記録が削られている”。
誰も気づかない。
だが、確実に。
何かが減っている。
「……なあ」
グレンが低く言う。
「さっきのやつ、また来るよな」
レイヴンが答える。
「ああ」
一拍。
「来るどころか」
「もう来てる」
ナナが言う。
「……いる」
セラが笑う。
「いいね」
だが、その声は小さい。
周囲に、違和感がある。
視界の端。
何もないはずの場所。
そこに、わずかなズレ。
影。
だが、影ではない。
記録体。
外側の存在。
完全には姿を現さない。
だが。
確実に、こちらを見ている。
カイルは、動かない。
ただ、そこにいる。
(……原型、か)
先ほどの言葉。
頭に残っている。
“原型確認”。
つまり。
今の自分は。
“何かの形をなぞっている”。
その時だった。
視界が、揺れる。
一瞬だけ。
景色が、変わる。
グレンたちの姿が消える。
街も消える。
空も消える。
残るのは。
“白”。
何もない空間。
だが。
ただの空白ではない。
“情報がない空間”。
(……なんだ、これ)
カイルは、立っている。
動ける。
だが。
周囲に何もない。
その時。
声がする。
「……まだ残ってたんだ」
振り向く。
そこに。
“誰か”がいる。
形は曖昧。
だが。
確実に、人の形。
「……お前は」
カイルが言う。
その存在は、少しだけ笑う。
「君と同じだよ」
一拍。
「“元”のほう」
その言葉が、静かに落ちる。
カイルの中で、何かが引っかかる。
「……元?」
「そう」
その存在が言う。
「君は、後からできた」
一拍。
「でも、完全に同じじゃない」
カイルは黙る。
だが。
理解はしている。
断片的に。
その存在が続ける。
「ここはね」
「記録されなかった場所」
一拍。
「だから、残ってる」
周囲を見る。
何もない。
だが。
“確かにあったもの”の気配。
消えた世界。
削られた記録。
その残骸。
カイルが言う。
「……お前は何だ」
その存在は、少しだけ考える。
そして。
「“最初の失敗作”」
その言葉が、重く落ちる。
カイルの中で、何かが繋がる。
「……外側か」
「違う」
その存在は首を振る。
「世界でもない」
一拍。
「そのどっちにもなれなかったもの」
セラの言葉が、頭をよぎる。
“余り”。
だが。
それとも違う。
もっと、根本。
「……じゃあ」
カイルが言う。
「何なんだ」
その存在は、静かに答える。
「“作られようとして、やめられたもの”」
その瞬間。
空間が、わずかに揺れる。
記録体の気配。
近づいている。
その存在が言う。
「時間がない」
一拍。
「君、気づいてるでしょ」
「何に」
「“拒否してる”んじゃない」
一拍。
「“覚えてないだけ”」
その言葉で、全てが止まる。
カイルの思考が、止まる。
そして。
ゆっくりと、動き出す。
(……覚えてない)
何を。
その存在が続ける。
「本当はね」
「君は、全部知ってる」
一拍。
「定義も」
「観測も」
「外側も」
その言葉が、重く響く。
「でも」
少しだけ笑う。
「忘れてる」
カイルの中で、何かが揺れる。
記憶ではない。
だが。
“感覚”。
知っている。
確かに。
その存在が言う。
「だから拒否できる」
「受け入れてないんじゃない」
一拍。
「思い出してないだけ」
その言葉が、核心だった。
カイルは。
知らないから拒否しているのではない。
“知っているから、受け入れない”。
その違い。
ナナの言葉。
外側の言葉。
全部が繋がる。
その時だった。
空間が、崩れる。
白が、割れる。
記録体が、侵入してくる。
「……照合」
その声が響く。
その存在が、カイルを見る。
「行きなよ」
一拍。
「そろそろ思い出す時間だ」
カイルは、動く。
一歩。
踏み出す。
その瞬間。
白が崩壊する。
元の世界に戻る。
グレンが叫ぶ。
「カイル!」
レイヴンが言う。
「……戻ったな」
ナナがカイルを見る。
その目が、わずかに変わる。
「……違う」
セラが笑う。
「いいね」
だが、その声は震えている。
カイルは、前を見る。
記録体を。
そして。
ゆっくりと、言う。
「……なるほどな」
初めて。
少しだけ。
理解した声。
その瞬間。
空間が、大きく歪む。
記録体が、揺れる。
「……異常」
その言葉が響く。
だが。
もう遅い。
カイルは、一歩踏み出す。
今度は。
“ただの拒否ではない”。
世界が、震える。




