■第71話「記録されないもの」
静かだった。
あれだけ歪んでいた空が、今はただの空に見える。
裂け目は閉じている。
星も、普通に瞬いている。
街も、一応は戻っている。
人は歩き、声が響き、風が吹く。
だが。
全員が分かっていた。
これは“元に戻った”わけではない。
“そう見えているだけ”だと。
「……なあ」
グレンがぽつりと呟く。
「今、普通に見えてるよな」
レイヴンが答える。
「ああ」
一拍。
「でも普通じゃねえ」
ナナが言う。
「記録されてない」
「は?」
「さっきのこと」
一拍。
「誰も覚えてない」
その言葉に、空気が変わる。
グレンが周囲を見る。
通り過ぎる人々。
誰も気にしていない。
空の歪みも。
世界の崩壊も。
まるで何もなかったかのように。
「……おい」
「これ、やばいだろ」
レイヴンが低く言う。
「消されたな」
セラが笑う。
だが、その笑いは冷たい。
「いいね」
ナナが続ける。
「観測から外された」
一拍。
「存在してなかったことにされた」
その言葉で、全てが繋がる。
今までの外側は。
理解しようとしていた。
定義しようとしていた。
だが。
今は違う。
“記録しない”。
つまり。
存在しない。
扱わない。
その時だった。
空が、ほんのわずかに歪む。
裂け目ではない。
もっと小さい。
だが。
確実に。
“そこだけ違う”。
ナナが言う。
「……来る」
グレンが顔を上げる。
「またかよ」
その瞬間。
何もない空間に。
“影”が落ちる。
形はない。
だが。
確実に“そこにいる”。
そして。
誰も、それを見ていない。
「……見えてるか?」
グレンが小さく言う。
レイヴンが頷く。
「俺たちだけだな」
ナナが言う。
「……選別されてる」
セラが笑う。
「いいね」
影が、動く。
ゆっくりと。
だが。
その動きに“記録が残らない”。
見たはずなのに。
次の瞬間には、曖昧になる。
「……なんだよこれ」
グレンが頭を押さえる。
「覚えられねえ」
ナナが言う。
「認識阻害」
一拍。
「観測されない存在」
レイヴンが低く言う。
「……やり方変えてきたな」
その通りだった。
外側は、理解をやめた。
定義も、観測もやめた。
代わりに。
“記録しない”。
その存在が、言う。
「……対象」
声はない。
だが、意味だけが残る。
「異端」
カイルは、動かない。
ただ、見ている。
影を。
その瞬間。
影が、カイルに触れる。
何も起きない。
音も、衝撃もない。
ただ。
カイルの輪郭が、少しだけ薄くなる。
「……っ!」
グレンが叫ぶ。
「消えてるぞ!」
レイヴンが歯を食いしばる。
「……削られてるな」
ナナが言う。
「存在の記録が消されてる」
一拍。
「だから、戻らない」
その言葉が、重く落ちる。
今までの攻撃は。
壊す。
消す。
変える。
そういうものだった。
だが、これは違う。
“最初からなかったことにする”。
セラが小さく笑う。
「いいね」
だが、その声は不安定だ。
カイルは、影を見る。
そして。
一歩、踏み出す。
その瞬間。
影が、揺れる。
ほんのわずかに。
「……誤差」
その意味が、響く。
カイルは、もう一歩。
踏み出す。
今度は。
影の一部が、歪む。
消えない。
だが。
“形が崩れる”。
ナナが言う。
「……通じてる」
レイヴンが笑う。
「やるな」
グレンが叫ぶ。
「行けるのか!」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
影が言う。
「……記録不能」
一拍。
「異常」
その言葉に、確かな変化。
カイルは、止まらない。
さらに踏み出す。
その瞬間。
影の“記録”が乱れる。
存在が、安定しない。
そして。
一瞬。
“見える”。
その中身が。
グレンが目を見開く。
「……なんだよ、あれ」
それは。
“何かの集合”。
無数の記録。
無数の出来事。
無数の世界の断片。
それが、積み重なっている。
ナナが言う。
「……記録体」
一拍。
「外側の本質」
その言葉で、全てが繋がる。
外側は。
世界を観測していたのではない。
“記録していた”。
そして。
その記録そのものが、存在。
レイヴンが言う。
「……なるほどな」
「だから、記録しないって手段か」
セラが笑う。
「いいね」
その時だった。
影が、揺れる。
そして。
初めて。
“声”を持つ。
「……照合」
一拍。
「一致」
その言葉で、空気が凍る。
ナナが言う。
「……何と?」
影が、カイルを見る。
正確に。
そして。
「……原型確認」
その言葉が、落ちる。
静かに。
だが、決定的に。
グレンが呟く。
「……原型?」
レイヴンが目を細める。
「……おい」
ナナが言う。
「……違う」
一拍。
「最初から“異常”じゃない」
その言葉で、全てが変わる。
カイルは。
突然変異ではない。
偶然でもない。
最初から。
“そういう存在”。
影が言う。
「……記録あり」
一拍。
「削除対象」
その瞬間。
空間が、大きく歪む。
今までとは違う。
明確な“殺意”。
セラが笑う。
だが、声が震える。
「いいね」
カイルは、動かない。
ただ、前を見る。
影を。
そして。
一歩、踏み出す。
その瞬間。
影の記録が、崩れる。
歪む。
そして。
“書き換わる”。
ナナが言う。
「……逆転してる」
レイヴンが笑う。
「またかよ」
グレンが叫ぶ。
「なんなんだよお前!」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
カイルは、何も言わない。
ただ、立っている。
その存在が。
すべてを、歪ませている。




