■第59話「五つの異常」
距離が、歪んでいる。
目の前にいるはずのカイルは、遠い。
手を伸ばせば届くはずの距離が、何十メートルも先にあるように感じる。
だが。
それ以上に問題なのは。
「……届かねえ」
グレンが低く呟く。
走っている。
全力で。
だが、進まない。
足は動いている。
呼吸も上がる。
それでも。
位置が変わらない。
レイヴンが横で止まる。
「無駄だ」
短く言う。
「距離そのものを操作されてる」
「じゃあどうすんだよ」
グレンが苛立ちを隠さず言う。
ナナが静かに答える。
「変える」
「何をだ」
「前提」
その言葉で、空気がわずかに張り詰める。
セラが笑う。
「いいね」
だが、その声は重なっている。
二つ。
ほんのわずかにズレて。
グレンが振り返る。
「……まだそれ残ってんのかよ」
「消えないよ」
セラは軽く言う。
「だって」
一拍。
「これ、楽しいし」
その瞬間。
セラの姿が、ほんの一瞬だけ“二人”になる。
同じ位置に。
同じ動きで。
だが、完全には一致していない。
ナナが言う。
「……分裂ではない」
「は?」
「重なり」
つまり。
一人のまま。
複数の“可能性”が重なっている。
レイヴンが小さく笑う。
「……なるほどな」
理解する。
「それ、使えるか?」
「使えると思う?」
セラが笑う。
そして。
一歩、踏み出す。
その瞬間。
距離が、ズレる。
進む。
ほんのわずかに。
「……おい」
グレンが目を見開く。
「今、進んだぞ」
「進んだね」
セラは楽しそうに言う。
「いいね」
ナナが言う。
「距離を固定されてるなら」
「距離の定義をズラす」
グレンが頭を抱える。
「分かんねえよ!」
レイヴンが言う。
「簡単だ」
「届く距離を、“届くものとして扱う”」
「は?」
「つまり」
一拍。
「理屈を無視する」
その言葉で、空気が変わる。
ナナが頷く。
「それが、ノイズ」
グレンが顔を上げる。
「……あいつと同じか」
「違う」
ナナは即答する。
「似てるだけ」
一拍。
「でも、十分」
その言葉で、全員が動く。
グレンが踏み出す。
全力で。
考えない。
届くかどうか。
距離がどうなっているか。
全部無視する。
ただ。
「行ける!」
そう思って、踏み出す。
その瞬間。
進む。
ほんの一歩。
「……っ!」
グレンが笑う。
「行けるぞ!」
レイヴンが横に並ぶ。
「当然だ」
そのまま踏み込む。
距離が、縮む。
明確に。
ナナも動く。
最短距離ではない。
最も“成立する動き”を選ぶ。
その結果。
空間を滑るように進む。
セラは笑う。
「いいね」
そのまま、二重のまま動く。
重なった軌道が、距離を破壊する。
四人が、進む。
カイルに向かって。
その時だった。
世界が反応する。
「……複数確認」
「異端増加」
その言葉で、空間が歪む。
今度は、カイルだけではない。
グレンたちの周囲にも、線が走る。
「対象拡張」
「全員」
グレンが叫ぶ。
「来たぞ!」
レイヴンが笑う。
「上等だ」
ナナが言う。
「対応する」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
その瞬間。
グレンの足元の地面が消える。
落ちる。
だが。
落ちない。
“落ちるという前提を持たない”。
そのまま、走る。
レイヴンの前に、壁が現れる。
だが。
止まらない。
“止まる理由がない”。
そのまま突き抜ける。
ナナの視界が、完全に遮断される。
だが。
動く。
“見えている前提で動く”。
その結果。
正確に進む。
セラの存在が、分裂する。
二つ。
三つ。
重なる。
だが。
全部が同時に動く。
世界が言う。
「……不安定」
「制御不能」
その言葉が、重く響く。
グレンが笑う。
「いい気味だな!」
レイヴンが言う。
「まだだ」
ナナが言う。
「あと少し」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
そして。
全員が。
カイルのいる領域に、踏み込む。
その瞬間。
空間が、完全に歪む。
カイルが、振り返る。
初めて。
仲間を見る。
グレンが笑う。
「……待たせたな!」
レイヴンが笑う。
「来たぞ」
ナナが静かに言う。
「合流」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
その瞬間。
世界が、明確に揺れる。
今までとは違う。
一つではない。
五つ。
異なる異常が、同時に存在する。
「……再評価」
世界が言う。
「異端」
一拍。
「単体ではない」
その言葉で。
空気が変わる。
五人が、並ぶ。
カイルを中心に。
だが。
依存していない。
それぞれが、異常。
それぞれが、成立している。
カイルは何も言わない。
だが。
少しだけ、理解する。
(……なるほど)
一人ではない。
それが。
ノイズ。
世界が言う。
「危険度、再更新」
その声に、初めて“揺らぎ”があった。




