■第56話「残された側の異常」
音が戻った時。
最初に崩れ落ちたのは、グレンだった。
「……はあ、はあ……っ!」
地面に手をつき、息を荒げる。
全身から力が抜けていく。
何が起きていたのか、完全には理解できていない。
だが。
確実に、何かがおかしかった。
「……今の、何だよ……」
絞り出すような声。
レイヴンはその隣で立っていたが、普段の余裕はなかった。
額に汗が浮かび、呼吸も浅い。
「……説明できるやついるか?」
軽く言うが、誰も答えない。
セラは、少し離れた場所で立っていた。
笑っている。
だが、その笑いはいつもと違う。
どこか、遅れている。
「いいね」
その一言が、ほんのわずかにズレる。
ナナは、そのセラを見ていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……戻ってない」
「は?」
グレンが顔を上げる。
「何がだよ」
「同期」
短い言葉。
だが、その意味は重い。
「私たち」
一拍。
「まだ、完全に現実に戻ってない」
その言葉で、空気が凍る。
レイヴンが周囲を見る。
街は普通に動いている。
人もいる。
音もある。
だが。
よく見ると、わずかにズレている。
人の動きが、ほんの一瞬遅れる。
声が、わずかに遅れて聞こえる。
影が、微妙にずれている。
「……おい」
グレンが呟く。
「これ、まだ続いてるのか?」
「違う」
ナナが言う。
「残ってる」
つまり。
空白の影響が、消えていない。
セラがくすっと笑う。
「いいね」
その声が、二重に聞こえる。
一瞬だけ。
グレンが反射的に振り向く。
「……今、二回言わなかったか?」
「言ってないよ」
セラは普通に答える。
だが。
ナナが言う。
「……重なってる」
レイヴンが目を細める。
「どういうことだ」
「存在が、少しだけズレてる」
その説明に、グレンが顔を引きつらせる。
「やめろよ、そういうの」
だが。
現実だった。
セラの動きが、ほんの一瞬だけ遅れて重なる。
同じ動作が、微妙にズレて二重に見える。
そして、すぐに戻る。
だが。
完全ではない。
「……おい」
レイヴンが低く言う。
「お前、大丈夫か」
「大丈夫だよ」
セラは笑う。
「ただ、ちょっと面白いだけ」
その言葉が、妙に軽い。
ナナが言う。
「面白くない」
即座に。
「侵食されてる」
グレンが立ち上がる。
「いや、ちょっと待て」
「それってやばくないか?」
「やばい」
ナナは即答する。
「でも」
一拍。
「崩れてない」
その言葉で、少しだけ空気が変わる。
レイヴンが言う。
「……なんでだ」
「普通なら消えてるだろ」
ナナは、カイルのいた場所を見る。
何もない。
だが。
「影響が残ってる」
「は?」
「カイルの」
その言葉に、グレンが顔を上げる。
「……あいつ?」
「存在が、固定されてる」
つまり。
空白の中でも“残った”影響が、こちら側にも残っている。
だから。
消えない。
完全には。
セラがくすっと笑う。
「いいね」
今度は、完全に一つの声だった。
少しだけ、ズレが減っている。
レイヴンが息を吐く。
「……なるほどな」
「巻き込まれたけど、持ち帰ってきたわけか」
グレンが言う。
「何をだよ」
「異常だよ」
その一言で、全てが繋がる。
ナナが頷く。
「ノイズ」
つまり。
カイルだけではない。
この場にいる全員が、少しだけ“異端”になっている。
その時だった。
通りの向こう。
人混みの中。
一人の男が、足を止める。
そして。
セラを見る。
その視線が、明らかにおかしい。
認識している。
普通ではない。
「……あれ」
グレンが気づく。
「見えてるぞ」
その男は、ゆっくりと近づいてくる。
他の人間は、気づいていない。
だが、その男だけが、真っ直ぐに向かってくる。
「対象確認」
低い声。
処理班。
だが、単独。
「……早いな」
レイヴンが言う。
ナナが言う。
「来てる」
「何がだ」
「対処」
男が、セラの前で止まる。
じっと見る。
「……不安定」
その一言で、セラの動きが止まる。
一瞬だけ。
完全に。
グレンが叫ぶ。
「おい!」
だが、セラはすぐに動く。
普通に。
笑う。
「いいね」
男がわずかに後退する。
「……拡張」
その言葉に、空気が張り詰める。
レイヴンが一歩前に出る。
「おい、そいつに何しようとしてる」
男は答えない。
ただ、見ている。
そして。
「……報告対象」
一拍。
「異端増加」
その言葉で、全員が理解する。
カイルだけじゃない。
自分たちも。
“対象”になった。
グレンが顔を引きつらせる。
「……嘘だろ」
ナナが静かに言う。
「始まった」
「何がだよ」
「拡張」
その一言が、重く落ちる。
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
だが。
その笑いは、少しだけ深くなっていた。
レイヴンが小さく笑う。
「……面白くなってきたな」
グレンが叫ぶ。
「よくねえよ!」
ナナは静かに前を見る。
そして、言う。
「もう戻れない」
その言葉が、全てだった。
カイルだけじゃない。
ノイズは、広がっている。




