■第24話「上位個体」
戦いが終わったはずの空気は、完全には戻っていなかった。
街の通りには人がいる。声もある。だが、そのどれもがどこか遠くに感じられる。目の前の空間だけ、別の層に切り離されたような静けさがあった。
グレンがようやく息を吐く。
「……なんとか終わった、のか?」
自分に言い聞かせるような声だった。
レイヴンは答えない。視線は一点に固定されたまま動かない。
カイルも同じ方向を見ていた。
遠くの通り。人の流れが自然に割れている。押しのけられているわけではない。ただ、そこを避けるように動いている。
理由は簡単だった。
そこにいるものに、近づきたくないからだ。
(……来るな)
カイルはそう思った。
やがて、一人の男がゆっくりと歩いてきた。
派手さはない。特別な装備もない。どこにでもいそうな見た目。
だが、それだけだった。
動きに無駄がない。というより、余分なものが削ぎ落とされている。
歩いているだけなのに、周囲の空気が静まっていく。
グレンが小さく声を漏らした。
「……なんだよ、あれ」
レイヴンが短く答える。
「上だ」
「上って……」
「さっきの連中より、さらに上」
それだけで十分だった。
空気が一段重くなる。
男は足を止めた。カイルとの距離は数歩。
視線が合う。
何も言わない。ただ、それだけで圧がかかる。
セラが小さく笑う。
「いいね」
いつもの調子だったが、ほんの少しだけ目が鋭い。
ナナは静かに男の動きを見ている。
「隙がない」
短く言った。
グレンはもう言葉が出てこない。
男が口を開いた。
「確認する」
声は静かだった。
だが、妙に通る。
「例外個体」
カイルを見る。
「優先回収対象」
カイルは軽く答える。
「そうらしいな」
男は頷いた。
「抵抗するか」
「する」
「そうか」
それで終わりだった。
会話は必要ない。
次の瞬間、男の姿が消えた。
グレンが反応するよりも早く、カイルの目の前に現れる。
拳が来る。
速い。
今までの相手とは明確に違う。
カイルは体をずらす。
当たらない。
だが、違和感が残る。
完全に外れていない。
ほんのわずか、かすめている。
(……近いな)
男は止まらない。
連続で踏み込む。
無駄のない動き。
選択をしていない。最初から決まっている軌道。
カイルが動く。
ズレる。
だが、追いつく。
距離を詰める速度が違う。
ズレた先に、すでに次の一手がある。
拳が入る。
鈍い音が響く。
カイルの体が後ろに下がる。
明確なヒットだった。
グレンが叫ぶ。
「当たった!」
レイヴンは黙ったまま見ている。
その目は真剣だった。
(……これはまずいな)
心の中で呟く。
あれは通る。
今までとは違う。
男は呼吸を乱さない。
ただ淡々と、次の攻撃に移る。
さらに踏み込む。
連続。
精度が高い。
カイルは避ける。
だが、完全ではない。
当たる。
かすめる。
積み重なる。
圧が増していく。
セラが小さく呟く。
「いいね」
だが、その声には少しだけ熱が混じっていた。
ナナが言う。
「追いついてる」
「何にだよ」
グレンが聞く。
「ズレに」
その通りだった。
今までの相手は、ズレを理解しようとしていた。
だが、この男は違う。
結果に追いついている。
理由は分からなくても、結果に合わせて動いている。
だから、当たる。
カイルの動きがわずかに遅れる。
その瞬間、拳が入る。
今度ははっきりと。
衝撃が伝わる。
カイルの足が半歩下がる。
完全に押された。
空気が止まる。
グレンが声を失う。
レイヴンが低く言う。
「やるじゃねえか」
男は淡々としている。
「届く」
それだけ言った。
確信だった。
このまま続ければ、捕まえられる。
そう判断している。
さらに踏み込む。
完全に詰める動き。
逃げ場がない。
その一撃。
確実に当たる。
カイルはそれを見ていた。
(……なるほど)
理解する。
ここまで来るか。
なら、少しだけ変える必要がある。
ほんの少しだけ。
それでいい。
次の瞬間、空気が変わった。
ほんのわずか。
だが確実に。
男の目が動く。
「……?」
違和感。
さっきまでと同じ距離、同じ動き。
なのに、位置が掴めない。
拳を出す。
当たらない。
完全に外れる。
男の動きが一瞬止まる。
その隙。
カイルの手が伸びる。
軽く触れる。
それだけで、男の体が沈む。
「……っ!」
踏みとどまる。
崩れない。
だが、動きが止まる。
初めてだった。
完全に流れが切れる。
静寂。
誰も動けない。
男がゆっくりと顔を上げる。
「……変わったな」
低く言う。
カイルは何も答えない。
「それが本来か」
問い。
だが答えは求めていない。
すでに判断している。
男は立ち上がる。
ゆっくりと距離を取る。
「確認した」
短く言う。
「単独では不十分」
つまり、次は違う。
もっと来る。
もっと詰める。
男は背を向けた。
「準備する」
それだけ言って歩き出す。
誰も追わない。
追えない。
空気がゆっくり戻る。
グレンがその場に座り込む。
「……無理だろ、あれ」
「そうか?」
「そうだよ!」
セラは笑う。
「いいね」
「どこがだよ!」
ナナは静かに言う。
「限界が見えた」
その言葉に、全員が少しだけ黙る。
カイルは空を見上げる。
同じ空。
だが、確実に違う。
(……面倒だな)
それでも。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
面白いとも思っていた。




