第2話 ムーア領
王都を出て十六日が経った昼過ぎに、アメリアの乗った馬車はムーア領の中心地であるリードの街に入った。
街の一角にある領主邸は、アメリアの実家に比べると小柄だったが、どこか温かみのある木造の家だった。玄関前に馬車が止まり、アメリアとエマは馬車を降りた。
玄関が開き、初老の男性が姿を現した。
「アメリアお嬢様でいらっしゃいますね。お待ち申し上げておりました」
初老の男性が恭しくお辞儀をしたので、アメリアもお辞儀を返した。
「アメリア・フィリップスです。お出迎えいただき、感謝いたします」
初老の男性は玄関のドアを広く開け、アメリアとエマを屋敷へと招き入れた。初老の男性はアメリアとエマを先導し、家の中を歩いていく。ひとつの部屋の前で止まり、ノックした。中から返答があり、初老の男性はドアを開けた。
「旦那様、アメリアお嬢様がご到着されました」
アメリアとエマが室内に通されると、執務机にいた男性が立ち上がった。大柄なその男性は、精悍な顔に笑みを浮かべ、二人を迎えた。
「ようこそ、ムーア領へ。遠かったでしょう」
アメリアはお辞儀をして挨拶をした。
「アメリア・フィリップスです。お初にお目にかかります」
「ムーア領領主のルイス・ムーアです。お疲れでしょうから、午後はお部屋でゆっくりとなさってください。パトリック、アメリアお嬢様をお部屋にご案内して差し上げなさい」
初老の男性が軽くお辞儀をした。
「かしこまりました、旦那様。――では、アメリアお嬢様、お部屋にご案内いたします」
簡単な挨拶だけで終わったことに、アメリアは驚きながらも、それは内心に隠して軽くお辞儀をした。
「閣下、お心遣いいただき、感謝いたします。御前失礼いたします」
そう言ってから、アメリアは執務室を退室した。またパトリックに続いて屋敷内を歩いていく。静かな屋敷だ。メイドの姿も見かけない。
二階にある角部屋に案内された。日当たりがよく、暖炉もあり、暖かい。調度品も一通りそろっているようだ。
「こちらのお部屋をお使いください」
アメリアは部屋を眺めてから、パトリックを振り返った。
「ありがとう。パトリック、これからよろしくね」
パトリックは微笑み、お辞儀で答えた。パトリックが部屋を出たのを確認すると、アメリアはほっと息をついた。
「挨拶も終わったし、少し休むわ。エマも荷ほどきは後でいいから、少し休んで」
エマはアメリアの部屋の隣に用意された自室に自分の荷物を運び入れながら、振り返った。
「かしこまりました。では、お着替えをご用意しますね」
エマはアメリアの荷物から部屋着を取り出し、着替えを手伝った。アメリアは着替え終わると、すぐにベッドに横になったので、エマはそっと自室に戻り、ドアを静かに閉めた。
ひとりになったアメリアはルイスの対応を思い出していた。
――笑顔ではあったけれど、事務的な対応だったな……。
それはそうだろうとも思った。お互い姿を見たことはあっても、話したことはない。初対面に等しい関係だ。王命でアメリアとの婚約を強いられたルイスも戸惑っているに違いない。だとしたら、とても良心的な出迎えだったとも言える。邪険に扱われなかっただけでも感謝しなければならない。
とはいえ、アメリアの心はどこか寂しかった。婚約破棄されてからというもの、誰からも必要とされていないのではないかという思いが心の片隅に常にある。
アメリアの青い瞳からぽろっと涙があふれた。
アメリアが瞳を開けると、カーテンは閉じていて、部屋はランプに照らされていた。起き上がると、エマが水の入ったコップを渡した。
「お嬢様、ずっと寝てらしたから、喉が渇いたでしょう」
アメリアはうなずき、水を飲んだ。それから尋ねた。
「私は寝てしまっていたのね。今は何時ごろ?」
「十時を回ったところです。お夕食はいかがいたしますか? お夜食を用意してくださるそうです」
アメリアは少し考えてからうなずいた。
「いただくわ」
「かしこまりました。ご用意いたしますね」
エマはそう言って、部屋を出ていった。アメリアはベッドから降りて、部屋の中央にあるテーブルの椅子に腰かけた。
しばらくするとエマがお盆に野菜スープとパンを乗せて戻ってきた。アメリアの前にそれが並べられて、アメリアはさっそくスープを飲んだ。優しい味で、疲れが癒えていくような気がした。
「随分と早く用意してくれたのね。ありがたいわ」
すると、エマがこっそりと教えてくれた。
「お嬢様が眠っていることを旦那様にお伝えしたら、ゆっくり寝かせてやりなさいと、夜中に目が覚めたらお腹を空かせているだろうから、夜食を用意しておきましょうとおっしゃってくださったのですよ」
アメリアは食事の手を止め、エマを見た。
「まぁ、気を使ってくださったのね。明日、お礼を言わないと……」
また一口飲んだスープは、先ほどよりも温かく感じた。
翌日。
朝食のため、アメリアがリビングに行くと、すでにルイスがいて、アメリアはお辞儀をした。
「閣下、昨夜は大変失礼いたしました。お夜食も美味しくいただきました」
ルイスは読んでいた新聞をたたみながら微笑んだ。
「少しは疲れも取れましたか? 無理はなさらず、今日もゆっくりと過ごすといい」
アメリアはパトリックが椅子を引いてくれたので、そこに座った。
朝食はふんわりとしたオムレツとパン、コーンスープだった。会話も特になく、静かに朝食をとっていると、ルイスが口を開いた。
「よければ、俺のことは『ルイス』とお呼びくださいませんか?」
アメリアがルイスに視線を向けると、少し照れた様子だった。それが可愛らしくて、アメリアは思わず笑みを浮かべた。
「では、お言葉に甘えてルイス様とお呼びいたします」
少しほっとしたような表情を浮かべたルイスに、アメリアはまた微笑んだ。
自室に戻ったアメリアは、時間を持て余していた。
ジュリアンの婚約者だったときは、日中は貴族学院、学校が終われば妃教育、休みの日は社交と息つく間もなかった。それがなくなった虚しさが胸を締めつける。
エマが入れてくれたお茶を飲みながら、ただ時間を浪費していた。
――ジュリアン殿下は今、なにをされていらっしゃるのかしら。今日は土曜日ですから、エミリー様とお茶をしている頃かしら。
時間があればついジュリアンのことを考えてしまう。そんな自分が嫌でしょうがなかった。アメリアは首を横に振った。
――もう忘れなければ。今の婚約者はルイス様だもの。他の男性のことを考えるなんて失礼だわ。
アメリアは深呼吸をして、心をなだめた。それから、窓の外に目を向ける。そこには晴天の透き通るような青空があった。




