第二十四話◇風邪の日のお見舞いと、同じ赤本。〜伊集院 桜子視点
◇◇伊集院 桜子視点
「え?!風邪を引いた?」
──金曜日の夜。
慶一郎様からのメッセージを見て、私は思わず固まってしまいます。
(け、慶一郎様、行事が立て込んでいたから疲れてらっしゃったのかしら。)
心配で思わず眉毛が下がってしまいます。
(…そう。では。今週は会うことが出来ないのね。)
もちろん慶一郎様の体調が第一なのですが、土曜日を指折り楽しみにしていた私としては残念で仕方ありません。
私が溜息を吐きながら廊下に出ると、母・美智子に話しかけられました。
「──桜子さん。どうしたの?溜息なんて吐いて。」
「慶一郎様がお風邪を召されたみたいで、明日の勉強会がなくなってしまったんですわ。」
すると、母が何かを思案した後、こんな事を言い出しました。
「──お爺様がフランスに視察に行ったお土産に美味しいガレットブルトンヌとワインを沢山くれたのよね。
…桜子さん。これを持って慶一郎君のお見舞いに行ったら?
感染症ではなく、普通の風邪なのよね?ただし、長居はダメよ?」
そう言われて、思わず顔を上げてうるうるとした目で母を見つめてしまいます。
「──お母様っ!!」
「…感謝しなさいよね。帰ってきたらちゃんと勉強するのよ?いい?」
その言葉に元気よく頷きます。
「っはい!!」
私は急いで慶一郎様に、祖父のフランスのお土産をお渡ししたいと伝えると快諾してくださったので、明日は初めて財前家にお邪魔することになりました。
◇◇
「──まあ!桜子さん!よく来てくださったわね!!」
次の日。財前家を訪ねた私を由里子様が歓迎して下さいました。
どうやら母の方からも連絡をしてくれていたようです。
初めて行く慶一郎様のお宅は、コンクリートが打ちっぱなしのモダンな建物でした。
「こちらこそ急にお邪魔してしまいまして、申し訳ありません。祖父のフランスのお土産のガレットブルトンヌとワインです。あと、こちらはお見舞いの千疋屋のゼリーです。」
私の言葉に由里子様は嬉しそうに頷きます。
「まあ!プロヴァンスのロゼワインじゃない!
今日の夕食の時に夫と頂くわね。」
そう言って嬉しそうに笑って下さいました。
「あの…。慶一郎様の体調は大丈夫でしょうか?」
私の言葉に由里子様が何故か苦笑いします。
「…あー!あの子はちょっと、お馬鹿な事をしただけだから!インフルエンザやコロナウイルスではないから、良かったら会っていく?」
その言葉に私の胸はドキドキと高鳴ります。
(お馬鹿なことって何かしら?)
「はい!是非!」
そして、由里子様に2階の慶一郎様のお部屋に案内された私は緊張しながらコンコンとノックします。
「…慶一郎様。桜子です。お見舞いに参りました。」
するとガチャリッと音がして、体調不良だと言うのに、慶一郎様が焦ったようにドアを開けて下さいました。
「っ、桜子さん!!」
マスクをして部屋着で、髪をセットしていない慶一郎様。いつもよりなんだか少し幼く見えます。
──その姿が可愛らしくて胸がキュンとしてしまいます。
「…ちょっと、慶一郎。貴方寝ていなさいよ。」
由里子様にそう言われた慶一郎様は、恥ずかしかったのか渋々ベッドに入っていきました。
「…すみません。」
「桜子さん。今お茶を淹れてくるから待っててね。」
そう言って、由里子様が部屋を出て行ってしまったので私達は無言で見つめ合います。
(…慶一郎様の匂いがしますわ。)
ダークカラーのワックスで塗られた木製の本棚にはきっちりと参考書や数学に関する本などが並べられています。
そして、机の上にはお誕生日にプレゼントしたニュートンの揺りかごのオブジェが飾ってあり、なんだか嬉しくなってしまいます。
「──今日は申し訳ありません。僕、とても楽しみにしていたんですが。
あ、これ、先日一緒に勉強したところを問題にしたものです。」
そう言って、慶一郎様がファイルに入ったプリントを渡してきたので頰が緩んでしまいました。
「私も、まとめた問題を作って持ってきました。
──でも、まずは早く体調を直して下さいね?」
そう言って二人でクスクスと笑い合います。
すると、由里子様が私が先程持ってきたゼリーと紅茶をお盆に載せて部屋に来て下さいました。
「なぁにー?二人でクスクス笑って楽しそうね。
桜子さん、ゆっくりしていってね。」
そう言って、ドアを閉めて階段を降りていきました。
「慶一郎様のお部屋。落ち着く香りがしますわ…。」
私がポツリと言うと、慶一郎様は何故かベッドの上で固まっていらっしゃいます。
「…それは我が家の洗濯洗剤の匂いです。
──来てくれて嬉しいです。」
その言葉に思わず頰がジワジワと熱ってしまいます。
「せ、せっかくなのでゼリーを食べましょうか。」
二人でもぐもぐもゼリーを食べていると、部屋の隅に筋トレ器具を見つけてしまいました。
(…慶一郎様、筋トレなさってるんですのね。)
そんな事を思い、にまにましてしまいそうになります。
「このゼリー、美味しいですね。熱があってもスイスイ食べられます。」
慶一郎様の言葉に心配になり、ついそっと額に手を当ててしまいます。
「…まだ熱があるんですか?」
すると、いつの間にか至近距離まで慶一郎様に迫ってしまっていたことに気がつきます。
「──っ、桜子さん!!」
彼の熱い身体がその瞬間、私のことを引き寄せます。
鼓動が、耳の奥で鳴って止まりません。
こんな風に抱きしめられたのはお誕生日プレゼントを渡しに行って以来です。
「…あ、」
彼が唇が触れ合いそうなくらい、近くまで顔を近づけてきました。しかし、ハッとしたように顔を逸らしました。
「…すみません。桜子さんに風邪を感染すとまずいので、今日はやめておきます。」
その言葉に少し残念に思う気持ちと愛おしさが同時に込み上げてきます。
「──はい。あの。治ったら、いっぱいして下さいね?」
すると、慶一郎様顔を真っ赤にされて崩れ落ちてしまったので、慌てて額を触ると先程より熱くなっておりました。
「──っ桜子さん!!」
「大変!!慶一郎様、早くベッドに入って下さい!!」
私がするりと腕を抜け出すと、少し慶一郎様が残念なお顔をされました。それを見て、私はなんだか笑ってしまいました。
「──すぐに戻りますわ!」
私が由里子様を呼ぶと、慌てて頓服薬を持ってきて下さいました。
慶一郎様は薬を飲むと落ち着いたようなので、私はお暇することにしました。
「──こんな感じですみません。」
慶一郎様がすごく申し訳なさそうだったので慌てて私は首を横に振ります。
「いえ。私こそこんな時に来てしまいまして。また来週、お待ちしてますわ。」
そう言ってそっと慶一郎様の額に唇を押し当てました。
すると、耳まで真っ赤にして慶一郎様が頷いて下さいました。
◇◇
(…もう七月だから、そろそろ赤本も本格的にやり始めないと駄目よね。)
帰り道、書店に寄って参考書を見ていると、帝都大学の経済学部の赤本を見つけてそっと手に取ります。
「──君も帝都大学の経済学部を受けるの?」
すると、知らない男性の声がしました。
振り向くと、そこには整った顔の色素の薄い感じの優しそうな男性が微笑んでいました。
「…そうですが。」
「そうか。君みたいな可愛い子と同級生になれるのなら、僕も頑張らないとな。
僕は天宮。天宮 伊織。(あまみや いおり)。
君は?」
そう言って、私が読んでいるのと全く同じ赤本を手に取って微笑みました。
「──伊集院、桜子です。」
「ふうん。名前まで可愛いな。君、経済を受けるんだよね?参考書は、これとこれがお勧めだよ。」
そう言って迷いなく本棚から取った参考書を渡してきました。
「…ありがとう、ございます。」
私がお礼を言うと、天宮さんは満足そうに頷きながらひらひらと手を振りました。
「んーん。また大学で会えるといいね。
──桜子ちゃん。」
そう言って天宮さんは去って行ってしまいました。
…ちなみに、この参考書、全部持ってますとは言えない私でした。




