第二十三話◇高尾山と煩悩の行方〜財前慶一郎視点
◇◇財前慶一郎視点
『っ、慶一郎様っ!』
電話をかける前。僕は桜子さんときちんと約束したにも関わらず緊張していた。
──好きな女性に初めて自分から電話をかけるのだ。それはそうだろう。
(…一体、どんな表情をすればいいと言うんだ。)
だが、緊張しながら電話をかけると、桜子さんが嬉しそうに、切羽詰まったように僕の名前を呼んだ。
──その瞬間、強張った頬がだらしなく緩んだ。
「桜子さん。会いたかったです。」
スマートフォンの画面に映る桜子さんは天使のように可愛らしかった。
『…私もです。お待ちしてました。』
(尊い尊い尊い…、何だこれ、本当に桜子さんは人間なのだろうか。)
嬉しそうに頬を染める桜子さん。
部屋着の桜子さんが可愛すぎて僕はこっそり何度もスクリーンショットに撮ってしまった。
二人ともモジモジと見つめ合うだけで無言で時間が過ぎていく。
「…なんだか、恥ずかしいですね。」
僕が沈黙に耐えきれずそう言うと、桜子さんがコクリと頷く。
『──でも、嬉しいです。』
その言葉に僕は思わず息を呑む。
「っ、桜子さん、電話する前は何してたんですか?」
僕が尋ねると、桜子さんの頬が紅潮していく。
『…慶一郎様のことを、考えてました。』
その言葉にばくばくと僕の心臓が痛いほど高鳴った。
「…僕と桜子さんが何をしているところですか?」
すると、彼女が少し瞳を伏せてチラッと僕の方を見てくる。控えめに言って、悶え死んでしまいそうな程可愛い。
『…はしたないと思われたら嫌なので、秘密です。』
その言葉に理性が焼き切れそうになった。画面越しに、彼女の指先がケロちゃんをぎゅっと握るのが見えた。
(一体どんな事を考えてたんですか!!)
「──っ、そうですか。では、想像させて頂きます。」
僕の言葉で彼女がうるうると目を潤ませて頬を紅潮させていく。
『…恥ずかしいからダメです。』
「でも、そんな風に言われたら逆に気になりますよ?」
僕の言葉で、彼女は掠れた声で呟く。
『──慶一郎様と私がキスするところです。』
その破壊力に僕は固まってしまう。
僕はゴクリと生唾を飲み込むと、こんな事を言っていた。
「…じゃあ桜子さん、その時の顔をしてみてくれますか?」
すると、彼女の頬がさらに紅潮していく。
『…こうですか?』
桜子さんが目を閉じて少しだけ唇を突き出した。
──ふるりと、桃色の唇が揺れる。
「…可愛い。めちゃくちゃ可愛いです。桜子さん。
ああもうっ、早く君とキスをしたい。」
僕がそう言うと、桜子さんが目を開けて微笑んだ。
『…私もです。』
(…桜子さぁあああああん!!!)
僕の理性が暴走しそうになったところでタイマーが鳴った。
「…あ。」
『…あっという間ですね。』
そう言って桜子さんが寂しそうに眉毛を八の字に下げる。
「っあの!!」
『…はい。』
僕の言葉に彼女が僕をジッと見つめてくる。
「──好きです。
あの、お休みなさい。」
すると、彼女がクスリと笑う。
『はい。私も大好きです。お休みなさい。』
「──っ、はい。じゃあ。切りますね?」
自分で言ったのになかなか切ることができない僕に、桜子さんがさらにクスクス笑う。
『じゃあ、せぇので切りましょう?
せえの!!』
──ぷつり。
僕は会話が終わってからも呆然とスマートフォンの画面を見つめていたが、やがてハッとした。
(…まずい!!勉強しなければ。)
だが、何故かスクショした桜子さんばかり見てしまう。画面が暗くなった後も、桜子さんの唇が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
「っ、うおおおおおおおおおおおお!!!!」
僕は叫ぶとジャージに着替えてプロテインと水をカバンに詰めて階段を降りていく。
「…ねえ。慶一郎。貴方、さっき奇声を発してなかった?ご近所に迷惑だから──」
「──母さん!!少しジムで筋トレしてまいります!!」
そう言って僕は一目散にジムに向かって駆け出した。
──そんな僕を見て、母が溜息を吐いていた事には全く気が付かなかった。
◇◇
「なあ。四之宮。僕の精神は思ったより軟弱だったようだ。
──よって、精神を鍛える為の何か良い方法がないか、アドバイスが欲しい。」
僕のその言葉に、四之宮が真顔で頷いた。
「君が頭を打ちつけるのをやめて、筋トレをし始めたとクラスでも話題になっている。
──一体何があったんだ?」
その隣で、和田と宮西がワクワクした顔で僕を見ている。
「いや、打ちつけたい衝動は今もあるんだ。だが、そんな事をすると、婚約者に引かれてしまうと気がついて、筋トレに変更した。」
僕の言葉に、四之宮は溜息を吐いた。
「──なるほど。最近財前は婚約者とのデートが解禁になったらしいもんな。つまり、煩悩が理性を上回ってきた。違うか?」
その言葉に僕がギクリと固まる。
「…そうかもしれない。」
「──そんな時は滝行修行に限る。
…おい。宮西、和田。僕と財前が1000円ずつやるから悪いが明日のノートを取っておいてくれないか?
財前。明日は17日だ。二人で高尾山に行こう。」
「やりぃ!もちろんいいぞ!!」
宮西と和田がハイタッチする。そして、その横で四之宮が電話し始めてしまった。
「あ、もしもし?明日滝行修行にまだ入れますか?
──はい。二名なんですが。 どうしても、精神の修行をしたくて。
はい。はい。…なるほど。ありがとうございます。では、明日宜しくお願いします。」
そう言って四之宮は電話を切るとニヤリと笑った。
「──取れたぞ。」
「っ!!四之宮ありがとう!!」
僕は四之宮と感謝の抱擁を交わすと、幾分スッキリとした気持ちで授業に取り掛かった。
──次の日。
「財前。着いた。こっちだ。」
僕達は高尾山に来ていた。まずは九頭龍神社にお参りする。
(東京都内在住の財前慶一郎です!神様!どうか!!
どうか、僕と桜子さん、そして友人達が志望校に合格しますように。)
そんな事を必死でお祈りする。
すると、慣れた様子で四宮がスタスタと住職について歩いていく。
(…こいつ、なんでこんなに慣れているんだ?)
僕は四之宮の生態が不思議でしょうがない。
そして、白い着物と褌に着替える。僕達の他にはあと二人、若いギャルっぽい女性が二人、そして三十歳くらいの男性が一人だった。
「皆さんには、全部で3回、滝に打たれて頂きます。
一回目は、普通に慣れて頂くため。二回目は、罪や人生の重さを洗い流し心、そして身体を清めるためです。
三回目は、その身体に天からの加護があるようにお祈りして下さい。」
僕達は頷くと準備体操をし、いよいよ滝の中に入っていく。
(冷たっ!!何だこれは!!!)
もう7月だと言うのに水が驚くほど冷たい。
──だが、四之宮は平然とした顔で住職と共に先陣を切って入っていく。
「超冷たーい。マジやばくない?」
「やばあーい!!」
そう言って女性達はキャピキャピ騒ぎ、もう一人の男性はずっと無言だ。
こうして滝に打たれる事2分。
(やばいやばいやばい!!!!何の為に僕はこんな事をやっているんだ?!)
そんな事を早くも思い始めた。だが四之宮は手を合わせて清廉な瞳で頷いてきた。
一方女性二人は、何故か向かい合って大爆笑しており、男性はと言うと、何か女性の名前を叫んでいた。
「ひとみぃいいいいいい!!!!!何で僕の事を捨ててあんな男の所に行ったんだぁああ!!!」
「見てあれー。やばくね?」
「やばーい!!」
男性を見て、女性達は大爆笑している。
──僕は高尾山で人間の深淵の闇に触れてしまった。
(桜子さんっ、待っていてください!必ず僕は一回り成長して貴方のところへ帰ってみせます!!)
こうして僕は3回滝に打たれて、漸く静謐な心を手にすることが出来た。
ちなみに何かを叫んでいた男性は、どこかスッキリした顔で家に帰って行った。




