上からの圧力と独自捜査
三
二回目の捜査会議が開かれたが、捜査員からは思ったような情報は得られていなかった。
松本楼の防犯カメラに映っていた黒ずくめの男のその後の足取りも得られず、凶器の刃物も特別なものではなく、その辺のスーパーでも買えるようなもので何の手掛かりにもならなかった。
とにかくガイシャの仕事上での問題を捜査したいにも刑事部長からのストップがかかり、外務省への聴き取りを行なえない状況であった。松坂管理官も紺野係長もなぜか捜査会議でも以前のような積極性を見せなかった。
「何か分かったことがあるか?」との松坂の言葉にも何か弱々しいものを深川は感じていた。
「……」と皆、沈黙した。
「鑑識は何か新たに得られたことがないか?」
「ありません」
「所轄の丸の内署はどうだ? 何かあるか?」
「特に何もありません」
「分かった。皆、引き続き捜査を続けるように頼む」
松坂管理官の言葉で直ぐにでも散会となりそうだった。
深川はこんな短い淡白な捜査会議は今まで経験したことはない。これでは捜査会議ではない。唯の雑談だ。深川からすると明らかに今回の捜査に関して急に消極的になったような気がした。
会議中に隣にいた柳瀬にそっと訊いてみた。
「柳瀬、管理官はちょっと変じゃないか?」
「えぇ、おかしいですね。この間の刑事部長の言葉からすると、上から何か言われたのではないですか? そうとしか考えられないですよ」
「おまえもそう思うか。これじゃぁ、ホシを挙げるのは無理だな。おそらく捜査員の殆どはそう思っているだろう。何か変だと」
「すみません。ちょっといいですか?」と深川は急に手を挙げた。
「何だ!」
松坂は眉間に皺を寄せて、明らかに困った顔を見せた。隣に座っていた捜査一課長も同様だった。
「今回の殺人事件のガイシャは外務省の官僚です。まずはガイシャの周辺を調べなければなりません。ガイシャが何を調べていたのか、誰と接触したのかを調べる必要があります。それには直接外務省の同僚に詳しく話を聞かなければ捜査が進みません。私と柳瀬は刑事部長に呼ばれ、暗に外務省には接触するなと言われました。管理官はどうお考えですか?」
「どうもこうもない。我々警察組織は上の命令は絶対だ。上がやるなと言っているのならできない」と松坂の怒った言い方。
「ではホシを挙げなくてもいいのですか?」
深川は嫌な言い方だとは分かっていた。
「そうは言ってない。上は外務省には接触するなと言っているのだ。捜査をするなとは言ってない」
「管理官、よく考えてください。ガイシャは外務省の官僚です。そこを調べないでどうやってホシを挙げるんですか?」
「目撃者探し、遺留品、凶器、遺族からの事情聴取、まだ沢山ある。ただ外務省へは行くなと言っているんだ」
「なぜ、外務省へは行ったらダメなんですか?」
「それについておまえは知る必要はない。これ以上話しても無駄だ。今言った方面からホシを挙げるんだ。いいな」
深川は納得できなかったが、後ろの席に座っていた捜査一課の清原が深川の上着を引っ張った。もういい加減に止めろと言いたかったのだろう。会議が終わってから紺野係長が深川の傍に寄って来た。
「深川、あまり頭に血を登らせるな。これ以上管理官に楯突くと、ここにいられなくなるぞ。気持ちは分かるがなぁ。おれだっておまえと同じ気持ちなんだよ。警察ってのはなぁ、そういうところなんだ。昔の軍隊と一緒だ。上官の命令には逆らえないのだよ。上官の命令に逆らったら、組織が動かなくなるんだ。おまえの言っていることは正しい。だがなぁ、正しいことが必ずしも良い訳ではない。分かったか?」
「はい。分かりました」と渋々首肯した。
深川は紺野係長の言っていることは十分に分かっている。言われた通りにするしかない。外務省に行かなければいいのだな。深川には何か考えがあった。
深川と柳瀬は先日、総合外交政策室の室員の一人から話を聞いたが、その本人の顔は覚えているが名前までは記憶になかった。管理官とやり合った翌日、深川はその男に話を聞こうと思った。
外務省へは行かないのだから言い訳できると……。午後五時から二人で外務省の中央門の所で待ち伏せした。
「深さん、来ないですね。ストーカーの気持ちが分かりますよ」と柳瀬。
「変なこと言うなよ。この方法しかないんだよ。必ず来るよ。おれの勘だがな」
「上に知られたら何て言うんですか?」
「たまたま、道で会ったんですと言え。警視庁と外務省は距離的にも近いしな」
「そんなんで上は納得しますかね?」
「知らん。そん時はそん時だ」と深川は投げやりだった。だが、この方法しか思いつかなかった。
一時間ほど待っていた。柳瀬は何度も欠伸をしていた。その時だった。奴が現れた。中央門から地下鉄日比谷線の入り口に向かっていた。深川は慌てて後ろから声を掛けた。
「すみません。ちょっといいですか」と深川は奴の肩に手をかけた。
「あぁ、この間の刑事さん。どうしたんですか?」
奴はあまり驚いた様子はなかった、以前顔を見て、覚えていたからだろう。
「ちょっと、訊き忘れたことがありましたので、待っていたんですよ。この後帰宅されるのですか?」
「はい。何か話があるのですか?」
「えぇ、お時間は取らせませんので、ちょっと話を聞かせて頂けますか?」
「いいですよ。これから予定はないので……」と決して嫌そうではなかった。
深川はその男を連れ、柳瀬と三人でタクシーを拾い、銀座方面へ向かった。深川が一人で度々行く居酒屋の前でタクシーを降りた。銀座のガード下の鳥金という焼き鳥屋だ。ガード下でうるさいが、焼き鳥は上手い。しかも安い。相手は男だから丁度いいと思った。テーブルもベニヤ板でミカン箱の上にただ載せてあるだけだった。
「ここ、焼き鳥が旨いんですよ。まだ正式に自己紹介していなかったですよね。警視庁捜査一課の深川と柳瀬です」と言って、二人は名刺を渡した。
「恐縮です。私は外務省総合外交政策室の新藤大和です。先日は短い時間ですみませんでした。今日は何をお聞きになりたいのですか?」
新藤はまるで何でも訊いてくださいというような気さくな態度で、何も隠す素振りはなかった。
「いやぁ、まずは飲みましょう。お酒は大丈夫ですよね?」
深川も予想に反して、これは大丈夫そうだと思って、柳瀬と顔を見合わせ頷いた。
「はい。好きな方です」
新藤は外務省の官僚らしくなかった。普段から堅い仕事で何かが心の中で鬱積していたのだろうか? 新藤は駆け付け生ビールをジョッキィーで二杯、ハイボールを二杯飲んだ。深川も柳瀬も生ビール二杯ずつ飲んだ。
新藤は徐々に目が座って来た。時を見計らって深川は訊ねた。
「新藤さん、この間の続きなんですがね。山根沢室長が電話で話していた文化庁の人って誰なんですか?」
「あぁ、あれ、あれは宗務課の青城課長ですよ」
「青城課長ですか? この間お話を聞かせてもらいましたがね……。何も話せないと言ってましたよ」
「あはは、そうですか。何言ってんだ。馬鹿野郎、青城めが」と新藤は言った。酒に弱いらしい。これ以上飲ませると話を訊けなくなる。いや、こういう奴は翌日には全く記憶をなくしている傾向がある。自分の友達にもそういう男がいた。
「新藤さん、山根沢室長は青城課長と何を話していたのですか?」
「それはねぇ。それは言えないなぁ。止められているからねぇ」この期に及んで何を言い出すのか……。
「宗務課なんですから、何か宗教に関することなんでしょうね?」
「そうだよ。でもそれは言えないなぁ」
「まぁ、仕事のことは忘れて今日は飲みましょう。おい、柳瀬、おまえも飲め。今日はおれの奢りだから……」
「深川さんは刑事らしくないねぇ」と新藤の目の周囲は発赤していた。
「そうでしょうか? どこがですか?」
「目つきが優しいですよ。刑事は皆、怖いからねぇ」
「それは嬉しいですね。ところで総合外交政策と宗教ってどう関係するのですか?」
「総合外交政策は国家の安全保障について国策を練る部署なんですよ。米国を見てくださいよ。知っていますか? 米国は政教分離ができない国なんです。米国キリスト教はカトリックとプロテスタントがあり、プロテスタントの中に福音派という宗教右派が共和党の支持基盤になっています。つまり政治において票は宗教によって左右されるのです。日本でもそうじゃぁないですか? 公正党と創律学会の様に……」
「なるほど……」
「だから、国家の安全保障については諸外国との外交、軍備による国防だけではなく宗教の問題が大いに関係するということなんですよ」と新藤は酔っているとは思えないほどスラスラと話した。
「文化庁の青城とはそんな話をしたんでしょうかねぇ?」
「その辺は詳しくは分かりませんが、まだ資料が山根沢室長の机の中に残っていると思います。それを見れば分かりますが……」
「それって手に入らないでしょうかねぇ?」
深川の本音が出た。新藤はそれに関しては渋い顔をしていた。その話に柳瀬が分け入ってきた。
「深さん、それは難しいかも知れませんよね。新藤さんだってリスクが高いですし、何もメリットがないのですから……。上司に見つかったら言い訳ができませんよ」と柳瀬。
「はい。その通りです。でも何かの折に書類を見ておきますよ。今日奢って頂いたお礼に」と新藤は官僚らしからぬ庶民的な物言いだった。
「よろしくお願いします」
三人は久しぶりに深酒をして、深川は翌日頭痛で仕事にならなかった。




