外務省・文化庁への聞き込み
二
深川は会議の後で柳瀬と一緒に直ぐに外務省へ向かった。
「深さん、管理官の指示を待たなくていいんですか?」
「いいよ。そんなの待ってられないよ。行こう」
二人は受付で警察手帳を見せて総合外交政策室へ直行した。管理官には無断で外務省を訪れたのだ。
「警視庁捜査一課の深川です。同じく柳瀬です。こちらの責任者の方がいらっしゃったらお話ししたいのですが……」
傍にいた受付の女性職員が対応した。
「責任者は山根沢室長ですが、まだ出勤していません。副室長がいますが……」
「その方でも結構です」と言うと、その女性職員の案内のまま中に通された。
直ぐに四十代くらいの男が現れ、「副室長の穂積です」と名乗った。
深川は昨夜、山根沢室長が何者かによって殺害されたことを告げた。穂積は驚いているようだったが、さらに深川は山根沢室長に昨日や一昨日に変わったことはなかったかどうか尋ねたが、穂積は寝耳に水で、全く心当りはないと答えた。
「山根沢さんはどんなお仕事をされていたのですか?」
「そうですねぇ、この総合外交政策室は主に国家の安全保障に関する政策全般について立案することが主な仕事です。室長は最近、問題が起こっている韓国や中国との領土問題にどう対処するかを官房長官から直接命令されたと申しておりました。それが原因で自殺したということはないのでしょうか? 室長はかなり心労で辛そうな感じでしたが……」
「自殺ではないのです。捜査上の詳しいことは言えませんが、他殺は確かなんですよ。誰かに恨まれているなどのことはありましたか?」
「いやぁ、ないと思いますが……」
穂積は官僚らしく卒ない無難な返答をした。その他、政策室の室員一人ひとりから話を聞いた。
その中で一人の室員が気になることを話していた。最近、韓国と中国の領土問題が表面化してから室長は度々文化庁の職員と電話で話していたとのことだった。相手の名前までは分からなかった。
室員の一人がそのことを話している時に、穂積はその方を向いて目じりを吊り上げ、微かに「ちぇっ」と舌打ちしたのを深川は見逃さなかった。
一方、同じく四係の清原と大下刑事らは山根沢室長の妻に接触した。
山根沢の妻は康子、四十九歳、深夜に夫が死亡したとの連絡を受け、遺体の確認のため丸の内署に来ていた。翌朝も悲しみがそう簡単には戻らず、聴き取りも憚れたが、清原は最低限のことはやらねばならないと思い、訊ねた。
「奥様、ご主人のこと大変お悔やみ申し上げます。犯人に心当たりはありませんか?」
「全く分かりません。主人は仕事のことは家では全く話をしない人でした。変わった様子もなかったと思います。まさかこんなことになるとは思いませんでした」
「ご家族の皆さんはどう言っておられますか?」
「息子も娘も心当たりはないと言っておりましたが……。息子はこちらに向かっています。娘は仕事で……」
その後、清原たちは所轄の署員と一緒に公園内の防犯カメラを何度もチェックした。その中で犯行推定時刻の周辺時間で公園内の松本楼という中華料理レストランの前を小走りに通っていた男が確認された。
既に店は閉まっていたが、防犯カメラは作動していた。時刻は午後十時四十三分、雲形池から大噴水、日比谷通り方面へと向かっていた。その男は黒ずくめで見るからに怪しい感じだった。
しかし、黒いキャップを被り黒いマスクを付け、黒のパーカーと紺のジーンズ、黒のスニーカー姿だった。キャップとマスクのため顔の確認はほぼ不可能と言って良かった。もし犯人だとしたら犯行直後に逃げて行くところだろうと推定された。
深川と柳瀬は政策室の一人が話していた文化庁へ向かった。警視庁捜査一課の刑事は文化庁との関りはほとんどない。
「深川さん、山根沢室長が文化庁の職員と度々電話で話をしていたとのことですが、誰なんでしょうかねぇ?」
「分からん。文化庁なんて全く縁がないからなぁ。おれの知っていることは、文部科学省の下部組織だということくらいかな。さてどの部署に行くかだ。ネットで調べると色々な部署があって分からんが、外務省との関りのある部署はどこかなぁ」
深川は文化庁の総合受付でもらったパンフレットを開いた。山根沢は国家安全保障の問題を手掛けている。遺留品の中に読みかけの本「国家安全保障と宗教」があったことを思い出した。
パンフレットには内部部局として列挙すると、審議官、文化財鑑査官、政策課、企画調整課、文化経済・国際課国語課、著作権課、文化資源活用課、文化財第一課、文化財第二課、宗務課、参事官となっていた。この中で外務省総合外交政策室と縁がない部局を除くと、審議官、政策課、宗務課、参事官位である。
「おい、柳瀬、おまえどの部局だと思う? 山根沢が話していたのは?」
「全く分かりませんねぇ。でも当たって砕けろですよ。主任の考えた通りにしますよ」
二人はまずは政策課を尋ねた。
政策課の課長は、『政策課は文化庁全体の統合調整、人事、会計、広報、情報発信などを行なっているので、外務省の総合外交政策とは無縁の部署だ』と話していた。
次に宗務課を尋ねた。宗務課の青城秀則課長が我々の聴き取りに応じてくれた。
「外務省の山根沢室長ですか? 時々、電話をもらいましたよ」と青城はにこやかに答えた。それが妙にわざとらしかった。
「どのような話をされたのですか?」
深川は単刀直入に訊いた。
「まぁ、国家の安全保障についてです。それ以上のことは機密情報ですので話せません」
青城は平然と答えた。
「いやぁ、しかし、殺人事件なんですよ。あなたとよく話をされていた山根沢室長が殺害されたんですよ。殺人事件なんです。こちらとしてはどんな情報でも知りたいんですよ。話してくださいよ。お願いします」と深川は頭を下げた。
「無理です。どうしてもと言うのであれば上を通してください」と言った。
そう言われ、これ以上ここにいても無駄だと思い宗務課を後にした。
「何様のつもりだ。偉そうに!」と柳瀬は目を吊り上げて怒っていた。
深川は「怒ることはないよ。あいつらには我々に言えないようなことを持っているという証拠だ。国家の機密だと言いながら、自分たちの機密なんだろう、きっと」と柳瀬を諭した。
翌日、紺野係長から深川と柳瀬が呼ばれた。
「おまえたち、文化庁へ行ったそうだな?」
紺野は何か怒っている様子だった。
「岸山刑事部長から呼び出しがあったぞ、直ぐに刑事部長室へ行け!」
「は? 刑事部長ですか?」
深川は刑事部長などとは話したこともない役職だ。まだ捜査一課へ入職して間もない柳瀬に至ってはもちろんのことだ。二人は直ぐに本庁の刑事部長室へ向かい、そのドアをノックした。直ぐに、
「入れ!」と中から低い声が響いた。我々が来るのを予想していたかのように。
二人はドアを開け、直立不動で名を名乗った。岸山刑事部長室は無駄に広く、奥に重厚な机が入口側に向けてあり、机の上には金色の卓上ネームに『刑事部長 岸山要助』と書いてあった。
机の前に高価そうな応接セットが並び、ソファーは黒革だった。机のわきには国旗と警視庁旗が立てられていた。
「おぉ、深川くんと柳瀬くんか? まぁ、座り給え」と岸山は穏やかに話しながら一人用のソファーに腰かけた。二人は大きなソファーに岸山と対面に並んで座った。
「今朝、警視総監から私に話があったのだよ。君たち外務省と文化庁に行ったそうだね?」
「はい。捜査のために聴き取りに伺いました」
「警視総監に外務省事務次官から話が来たそうだ。ああいう所は前もって何も話をしないでいきなり伺うのはどうかなぁ。アポイントを取ったの? あちらとしては何か犯人扱いされたような感じを受けたんじゃぁないか?」
岸山刑事部長は穏やかな話し方だが、困ったような顔をした。警視総監からのお叱りは自分の出世に響くのだ。そうは言っても部下の失態を理由も聞かず感情のまま怒りを表すのも自分の人格を疑われる。深川は岸山の心の中は分かっていた。
「外務省の総合外交政策室の山根沢室長が殺害されたのは聞いている。それでホシの目星はついているのか?」
「いえ、今のところは……」
「犯人の遺留品や目撃者からは何か情報はあるのか?」
「ほとんど無いに等しいです」と深川は頭を下げた。
「そうかぁ。もし何か分かったら教えてください」
「承知しました」そう言って刑事部長室を後にした。