十四話【非凡の力②】
─────それは、俺が触れたくなかったコトだ。
そして、触れなきゃいけないであろうコトである。
俺の力。
その正体は不明だが、分かるコトは一つだけある。
それは、己が内包するこの力が、恐ろしいモノだってこと。
それぐらいは、分かる。
でも、それ以上は分からない。
なにせ、俺は一般人で今までを生きてきたのだから。
分かるはずがない。
何が何だかも、理解もしていない。
「俺の力が何なのかって……? そりゃあ、把握してないよ。でも、俺は昨夜まで普通の男子高校生だったんだ。これが一体、なんなのか。具体的には、どれほど恐ろしいものなのか、これが一体何なのか。それは、分からない」
「……はぁ、そう、です、か!」
すると、今度は彼女がため息を吐いてきた。
その瞳は細く鋭い。
怒っている様子に見て取れる。
心配してくれている様子にも見て取れる。
だけど、その真実は分からない。
「もしかして」
「……?」
「ソフィアさん、怒ってたりしますか?」
「……いいや、怒ってないわ。別に、そんな事はないけど」
怒っているのだろう。
少し声が険しい。
それもこれも……俺のせいだろう。
俺が無力で、無知で、馬鹿だったから。
あまりにも、馬鹿だったから。怒っているのだろう。
……。
「ごめん、ソフィア」
「……」
「質問の答えなんだけど。前にも言った気がするけど、俺にはよく分かっていないんだ。唐突に、理性が我慢出来ない瞬間が来るんだ。そうして、気が付けば眼前にいたヤツを殺している。それがどんな手段で行われているかなんて、俺は分かっちゃいないんだよ」
「ふーーん、つまり。無知で、その力を行使していたって訳ね」
「……ぐ、その言葉は痛いな。でも、その通りだよ、ソフィア」
つまるところ、そう言う事だ。
俺はある時に、ある場面に遭遇すると。気が動転したのか、感傷的になって理性が崩壊してしまう。そして、気が付けば凶器を使って標的を殺している事実だけが残っていた。
そんなのが、二回も、いきなり起きた。
正直な話、俺だって滅茶苦茶に混乱している。
そして、逃げ出したくなる。
だけど、命の恩人であるコイツをおいて逃げる訳にはいかない。
一回目の借りは返した、というか交渉で消した。
だけど、さっき助けられた分はまだ、返していない。
だから、逃げはしない。
俺は、この自分自身の持つ力に、真っ正面から向き合うべきなのだ。
「────俺には、この力の使い方は分からない。この力が一体、なんなのかも分からないんだ」
「まぁ、そうよね。そうじゃなきゃ、あんな危険な使い方は出来ないわ」
「具体的に、俺って、どのくらい危険な使い方をしていたんだ?」
「ん……、包丁を取っ手と逆から持つぐらい?」
お、おお……。
分かりやすい様な、分かりにくい様な。
絶妙な例えだ。まぁ、危ないのは分かる。
というか取っ手の逆、刃の部分を握ったら多分手が切れる。
……つまり、それぐらい危険てことなのか。
「どれぐらい危険か実感出来た? 貴方のその腕の力。天明の存在にも匹敵するその力。……七色紡ぎの天腕」
「……実感は出来たけど。なんだ、それ。なないろつむぎの……てんわん? 意味が分からないんだが」
「その名の通りよ。奇跡にも等しい偶然を、必然として回収する厄災。それが、ワタル……貴方の腕の力よ」
────。
妄想が遠のく、想像が遠のく。
それは、人類には想像も付かない。
俺の右腕は、一体、何者なのか。
これは果たして、志摩弥の所有物なのか。
少し疑う。いや、かなり不信な所がある。
俺は別に、小説とかでよくあるファンタジーチックな特別な家系ではないだろし、そういう特別な血筋から受け継いだ力! 的なものではないだろう。
養子だから、本来の血筋は分からないが。
「……はぁ、分からないな。俺は別に、特別でもなんでもないのに。昨夜まで普通の男子高校生だったのにだぞ? なんで、そんな一般人の俺がそんな大層な力を持っているんだよ」
なんでかは知らない、だけどソフィアも困惑している様子だった。
「そんなの、私には分からないわ。貴方が本当に今まで一般人だったというならば、そうなのかもしれない」
「……それは、どういう事だ?」
「貴方のそういう力、私達は固有魔術とか、矛盾制御とか、矛盾訂正、奇跡操作とか言ったりするんだけどね。そういう力はある特定の家系か又は、────九死に一生を得た者だけが発症する」
─────え。
────あ。
─────心臓が、あからさまに稼働し始める。
九死に一生を得る。
過去、うすらうすらな記憶ではあるが、思い当たる節があるのだ。
それが、俺の人生のターニングポイントだと、言うのだろうか。
そうなの、か。
「……あ」
思わず、声すら漏れた。
「そう……やっぱり、そうなのね。所謂、臨死体験。人の身にて人ならざる概念を理解した者、又はその経験がある者の血を受け継いだ者。そういうヒトが固有魔術を保有するのよ」
「それが……俺に、当てはまってるって、言うのか?」
「え、違うの……? てっきり、今の反応からそうなんだなと思ったんだけど……。まぁでも、今以外の手法では、固有魔術は手に入れられないわ」
「そう、なのか……」
彼女は腕を組んで仁王立ちをして、静かにその目を見つめてくる。
悪魔的に魅力的な瞳。
黄金で、透き通った、まさに魔眼。
それがオレを犯してくる。
あまりにも妖艶なモノ。
─────ああ、俺はどうかしている。
こんなにも緊迫した状況だというのに関わらず、コイツの眼に見惚れてしまっている。欲情している。
ああ、俺はホントウにどうかしている。
それと。
「……なるほど、な。俺もまた一個、質問が出来た」
「?」
「この七色紡ぎの天腕……? ってやつの、能力というか、効果って一体なんなんだ? 実際のところ、俺にはよく分かってないんだ」
「ふーーーん」
ソフィアは目を細めて、信じられないと呆れて言う。
「ほんと無知というか、信じられない人間よね、ワタルっっっっって!!」
「……? いやぁ、それほどでも……なんてな」
「褒めてないからバカ!!」
またしても怒られてしまった。
取り敢えず場を濁そうとボケただけなんだが。
逆効果だっただろうか。
「……はぁ。その腕の効果だけど、正直それは私にも分からないわ」
「……え、なんでだよ」
ちょっぴり残念だ。俺のこの腕について知っていたから、能力の効果も知っていると思ったんだがな。
取り敢えず理由を聞こう。
そう思いながら、自然とそう返答した。
すると、彼女はまた呆れる様に言う。
「七色紡ぎの天腕っていうのはね、その名の通り。七色の腕、七つの様々な異能を持つ集合体なの。それで、その所有者によって”何色目”が解放されるかは分からない。元々それは、とても稀有な力なんだけど。その中でも、全部の力が使えるのか。それともある特定の色の力しか使えないのか、何個使えるのか、それはランダムらしいし」
「はぁ…………」
「そして、個々の色の力も、それこそ人外的な力だからね。下位の悪魔と戦う程度だったら判別出来ないの。なにせ、瞬殺しちゃうんだもの」
そう言って、俺の方を優しく睨んでくる。
お前のコトだよ、って言っているかの目つきだ。ああイタイイタイ。
「─────俺でも、好きにやっている訳じゃあないんだがな」
取り敢えず、概要は理解した。
簡潔に言えば。七色紡ぎの天腕。これは、七つの様々な力の集合体の力であるが、それを所有者が何個扱えるかはランダムってコトだな。
そして、個々の力が強力だから、ただ瞬殺する為に能力を行使しただけじゃあ、どれも同じだから、俺の使う力が七つのうちどれだか分からない。
……ということだろうか。
結局、簡潔にまとめられていないが。
気にしないでおこう。
「ま、そういうことよ。現状じゃ、まだ貴方の解放された力がなんだかは判別がつかない。それにその力はあまりにも稀有だから、私も情報でしか知らないしね」
「そうなのか。そんなに特別な、ものなのか」
「そうよ。だからワタル、貴方はもっと自信を持ちなさい! あ、でも過信はしちゃダメだよ?」
「そんなの、分かってる……」
俯いて、静かに拳に力を入れる。
ああ、今すぐにでも自分を殴りたい。
なにが、志摩弥の力だ。こんな力で、自信を持てと?
特別だから、良いって言うのか。
というか、こんなんで自信を持てるかという話だ。
こんなの俺自身の実力で手に入れた訳じゃないんだから、偶然の力なんだから、誇れるものでも何でもない。
……所詮俺は、一般人より少しラッキーだったにすぎない。
「というか、俺は少しラッキーだったに過ぎないさ。ただ、なんでかは覚えてないけど臨死体験をして、運よく生き残って、手に入れた力に過ぎない」
「……ワタル、それは、違うよ?」
「……どうしてだよ」
顔を上げて、ソフィアに問う。
「そりゃあ決まってる、臨死体験を過ぎて生き残ったのは貴方自身。志摩弥という存在なのだから。貴方がそれを耐え切れていなければ、貴方はそんな力を持てなかったのよ。その稀有な力を持っているのは、貴方自身が強かったから。だから、自信を持っていい」
「は、はは……なんだ、それ……」
「……どうしたのワタル? なんか、おかしいよ?」
「いいや、ありがとう。少しだけ気持ちの整理がついたさ」
……これから先、どうするべきなのか。
それはまだ、決まっていないが。
心の中で、奥底で、そんな事を言う思考が現れるが無視をする。
「─────よい、しょっ……っ!」
激痛に耐えながら、絶望を捨ててベットから立ち上がった。
この部屋は、あまりにも窮屈だ。
出来ることならば、早く家に帰って寝たい。
眼が萎むし、脚も足も腕も手も痛い。
「外は……真っ暗だなこれ」
部屋に備え付けられた窓から外を眺める。
ここは確か、亜矢場と言っていたな。亜矢場の、どこ辺りだろうか。
住宅地……っぽいな。
外の景色を確認した後、ベットの横にある鞘に封印された日本刀を手に取る。
そして袋の中に入れて、背負う。
ずっしりとした重厚感が、肩にのしかかった。
脚も、痛い。
「どうするワタル? 取り敢えず、家に帰る? 私は行けないけど……」
「ああ、一旦帰ろうと思う。母さんが帰ってきてるかも気になるし、それより眠いしな…………って、お前、今、なんて言った?」
「え……? 私は、帰れないよって、言っただけなんだけど」
痛む脚を我慢しながら、部屋のドアの前に立った時。
そのコトバを聞いて、全身が硬直した。
……行けない? ……ソフィアは帰れない?
そのコトバに、耳を疑った。
「……なんで、帰れないんだソフィア。一人でここにいるのは、危ないだろ」
「─────私、今までここに住んでたんですけどねーーって話はおいておいて。帰れない理由なんて、分かるでしょ。私は悪魔に追われている身なのよ、昨日までは良かったけど。今晩、貴方はあの悪魔の眷属を一つ消失してしまった」
「そ、それが問題なのか……?」
「ええ、大問題よ。アイツはそういうのに敏感だから。復讐て訳ではないだろうけど……、多分、私のところに来てショッピングモールで起こったコトみたいに無差別殺人をするかもしれないわ」
─────。
胸が凍る。身体が震える。
それなら、それこそ、コイツを一人にしてはおけないんじゃないか。
そんな殺人狂な悪魔を、コイツに近づけるわけにはいかないだろう。
男として、人間として、生命として。
ここでコイツをおいていく選択肢は間違いだと言っている。
”おいていく”選択が理性的に、合理的に正しいとしても。本能がそれ以上に、おいていくなと叫んでいるのだ。
ならば、答えは一つ。
「いいや、ダメだ。それならお前が大変なコトになるかもしれないだろ……。だから、お前も連れていく。それに、だな。俺はお前に借りが残っているんだ」
「ば、か……? ワタル、正気?」
「ああ、全然正気だとも。俺は正常な人間だ。だからこれも正常な選択だよソフィア。それにそんな悪い悪魔が来たら、俺がやっつけてやる」
「……はぁ、ワタルって、ほんとに、やっっっっっぱりバカ!!!!!!」
「─────」
なんだこいつ。
俺がかっこよく助けてやると言っているのに、コイツはただばかばか言っている。
ただ少し驚愕した様な表情をするだけ。
「……はいはい、バカですいませんでしたよ。ほら、早く行くぞ」
「え? えぇ? ……ええ? ええええ?」
困惑する白い悪魔の意志は無視して、ただ手を優しく引っ張った。
部屋の扉を開けて、廃病院を出ようと試みる。
……外、正確には廃病院の中。そして部屋の外は、とても寒かった。
そして暗黒に紛れていた。ああ、とても物騒だ。
─────。
それは、酷く静まり返っていた。
ナニカが潜んでいるかの様な錯覚。
奥底から吹く絶対零度の冷気。
脚が凍り付き、とうに痛感などは忘れる。
「……っ」
否。否。否。否。
それは、錯覚ではない。
暗黒の奥底には、ナニカが、潜んでいる。
錯覚? 否。
憶測? 否。
本能? 否。
─────それは、確信だ。
刀を抜け、刀を構えろ。
そう本能が命じるが、身体は動かない。
唐突に訪れた恐怖は、身体の操作方法さえも忘れさせる。
不思議と身体が後ろに逸れて、ソフィアに衝突した。
「─────ぁ、す、すまん」
「……」
彼女は喋らない。
その雰囲気が、恐怖を充分に増大させた。
ああ、喋ってくれ。なんと言ってくれてもいい。
だから、喋ってくれ。
─────。
その静寂は、今にも胸がはち切れそうな程振動し、反響する。
その静寂は、今にも鼓膜を破壊するほどにうるさい。
その静寂は、恐ろしい。
─────。
鼓膜が、絶叫する。
この静寂は、ダメダ。
ノウガ、オカシク、ナリソウダ。
時間すらも忘れて。全ての記憶を忘れる。
自分が何故ここに立っているかすら分からずに、ただ立ち尽くすだけの人形に変化する。だけど、それは瞬時に引き戻された。
それは、一瞬の出来事。
彼女は夜のショッピングモールで見た声色で、吐き捨てる様に言った。
「……もう、追いついてきたのか。ショッピングモールから急いできたのかしら。まぁ、やっぱり時間遅れだったわね」
だが、それでも俺はこの脳がオカシクなりそうな威圧感から解き放れて、我に返る。
「─────ソフィ……ア、なんだ。この、威圧感は」
破裂しそうに苦しい胸を左手で抑えながら、思わず聞く。
時間がないのだけは、分かる。
だけど、これだけは知りたかった。
すると、彼女はただコチラを一瞥した後に告げる。
「これは、ただの”悪魔の絶叫”。人間とかに対する五感干渉能力……溺死を現実として錯覚させる芸当も、今の貴方が感じたであろう静寂も、悪魔にとっては全て全て戯れの……人間でいう前戯に過ぎない」
「─────っ」
悪魔の力だとか、そんなのはどうでもいい。
ただ、今、そのコトバが告げていた本質は。
『悪魔が来た』、それだけだ。
─────前頭葉が破裂する。
ただの静寂の恐怖に、苛まれる。
「ああ、くそっ! ソフィア、ここにいたら……どうにかなっちまいそうだ」
「─────ええ、そうね。戦うにしてもここは分が悪い、屋上。屋上に逃げましょう」
「────あ、ああ……」
脳が酷く痛い。
だが我慢して、こんな状況でも冷静なソフィアに従う。
それが良い。それで、良い。
「こっちよ!」
「─────」
微かに感じる、意識が薄れていく感覚。
それに陥りながらも、なんとかソフィアに手を引っ張ってもらい持ち堪えて、廃病院の階段を登った。
途中、確かな音が聞こえた事を、俺は見逃していない。
─────トコ……トコ……トコ……トコ……。
と、背後から音が聞こえた事を、俺は忘れていない。
ただ、ずっと、脳に焼き付いて離れない。それはどうしようもない。
埃まみれで今にも吐きそうなぐらい空気が悪い階段を通過して、上へ登った。
廃病院の屋上に着く。
屋上に繋がるドアには鍵がかかっていたが、白い悪魔が乱暴にキックをして無理やり壊していた。
「─────」
「乱暴すぎないか、ソフィア」
「そ、そう……? これ、普通なんだけど」
白い悪魔の普通に困惑すると同時に、少し前の光景を思い出す。
─────それはあのVRゲームで出会ったおかしなオンナとの、会話だ。
あの女が言っていた、その情報を知れば、志摩弥は死ぬかもしれないと。
……そんなの、戯言だと思っている。今もなお。
だけど、少し不安が脳をよぎる。
まだそんな情報を知ってすらいないのに、そんなコトが脳によぎるのだ。
いいや、大丈夫だ。そんな不吉なコトを考えるのは、後だ。
俺たちは屋上に、外に出た。
すると、夜風は俺たちに容赦なく襲い掛かってくる。
肌が冷たく焼けて、感覚を失う。
「……寒い、な」
「そんなことないよ、というか、そんなコト言ってたら死ぬよワタル?」
「……? 死ぬ、とかさ。物騒な言葉使うな白い悪魔」
「誰が白い悪魔よ⁉」
白い悪魔は可愛げに頬を膨らまして、怒る。
……ああ、だが、今はそれどころではなかったな。
襲ってきた悪魔をどうするか、だった。
「─────で、悪魔はどうするんだ?」
「んーーー。今、というか夜は私の方が不利だし。そうだね」
「え?」
「朝まで、悪魔と追いかけっこかな? 私達が逃げる側で!」
ソイツは何故かニッコリと笑い、そんな馬鹿げた話をしてきた。
否。ただのバカがそこにいる……⁉
「お前、狂いすぎだろ……っ!」
「そんなコトないし!!!」
なんだ、コイツはなんて言った。
あのバケモノと、追いかけっこしろだって?
しかも俺たちが逃げる側?
そんなの逃げれる訳ないし─────。
勿論、捕まったら死ぬだろう。
コイツは、あまりにも楽観しすぎだ。捕まったら死ぬんだぞ?
なんでそんな笑顔でいられるんだ……。
そんな文句が思いつく。
だけど、何故かコイツは自信満々であった。
……なんでかは、分からいけれど。
コイツは、自信満々であった。
「でも、大丈夫だってワタル」
「……ぁ」
ソフィアは笑顔で、俺の肩をぽんと叩く。
唐突に、血が活性化した気がした。
彼女の手の温もり、暖かさを直に感じて。
生きているという存在証明を得る。
本能的に出ていた冷や汗が急激に収まった。
なんだろう。コイツは、本当に、笑顔で、楽しそうだ。
「なんだって、私は天使なんだから!!!」
なにが”だって”だ。前にも言った様な事を思い出す。
まぁ、そうか。……天使、そうか。
─────トコ、トコ、トコ、トコ。
同時に、俺たちが先程駆け上がってきた階段からゆったりとした足取りが聞こえてきた。ああ、遂に来たか。
……でも、ここから追いかけっこ。否。鬼ごっこて、どうやるんだろうか。
そう。ふと思った。
ここは廃病院の屋上。
高さにして、地上から約三十五メートル程はある。
落ちたら、即死。
だから、逃げ場はない。
─────あれ、これ、どうやって、逃げるんだ。
そんなコトを思う。
だけど、考える暇なんて、俺には与えられなかった。
ソフィアが俺に手を差し伸べてくる。
「ほらっ! 手、繋いで?」
「え? ……あ、ああ」
よく分からなかったけれど、雰囲気の勢いで手をつないだ。
瞬間─────、その、刹那。
「じゃあ、いくわ!」
白い悪魔は、そう言って、俺を引き連れて廃病院の屋上から飛び降りた─────。
意味が、分からない。
事実を、理解が拒んだ。
だけど、気がつく。
─────あ、落ちている。と。
そして、気がつく。
コイツは、バカなのか、と。
ああ、落ちてゆく。落ちてゆく、落ちてゆく。
「う、うわああああああおあおおおおおおおおおおおおお⁉」
俺は叫んだ。目を瞑って、ただ叫んだ。
回避不可の死に向かって叫んだ。
ああ、俺の人生はこんなにもあっけなくオワリを迎えたのか。
コイツは馬鹿だったのか。だが、最後に、絶世の美女と死ねるのならば、……いいや、こんな天使みたいなやつと死ねるのなら悔いはないかもな。
俺は幸せかもしれない。
……不思議だ。
今にも死が迫ってきているというのに、俺は何故こんなにも多幸感に苛まれて、浸食されているのか。不思議だ。
人間とは、そういう生き物だろうか。
まぁ、もう考えても仕方がない。
なにせ、俺はもう死ぬだけなのだから。
それだけなのだから。
後はただ、肉塊になるだけなのだから。
目の前に迫る”死”を覚悟する。
─────だけど、その瞬間は、いつまで経っても訪れなかった。
妙な浮遊感を覚え、恐る恐る目を開く。
「……あ?」
すると、驚いた。
そして、そう叫んだ。
あ、と単音を叫んだ。
「あ、やっと気が付いた、ワタル? これが天使の力ってやつよ! どう、凄いでしょう? ─────貴方にも、負けてないんだからね!」
そこには、俺の眼前には、俺が手をつないでいる白髪を靡かせる天使は─────。
オレを引き連れて、白鳥を想起させる大きな白翼を広げて、あまりにも屈託のない笑顔で、この醜く美しい夜空を翔けていた。




