大切な友人と大事なイトコ
俺、小山圭一。
平凡なサラリーマン家庭で育って、俺自身も平凡なサラリーマンになった。
しかし、平凡であるはずの俺は仕事に忙殺される日々を送っている。
いや、内容としては特別大変なことじゃないんだけど、覚えなくてはいけないことが毎日のように更新されるのだ。
パソコンを弄ることが好きで、それが高じてIT関連企業に就職。常に新しいことが求められるこの業界は、いつだって最新の情報が物を言う。
好きで就職した職場だし、そうそう簡単に逃げ出すほど弱くはないから、毎日毎日、パソコンと関連情報誌に向き合っている。
通勤電車の中でもスマホを覗き込んで、情報収集に余念がない。
そんな俺だから、休みの日には、一日中ベッドでゴロゴロしていたいのだ。
だが、今日は休養を欲する体に鞭打って、ある人物の呼び出しに応じているのである。
指定された時間に指定されたレストランに出向けば、現れた店員が俺のことを恭しく奥の個室へと案内する。
上品な客しか訪れないこのレストランは、昼時であっても騒がしいということはない。仕事帰りに時々立ち寄るファミレスとは大違いだ。
一介のサラリーマンの給料ではおいそれと個室なんて予約できないような、格式高い店内。
だが、俺を呼び出したのは、高校からの友人である桜井だ。桜井グループの御曹司である彼にとって、この店の個室を押さえることな造作もない。
大学も職場も桜井とは分かれたが、二ヶ月に一度は一緒に飯を食うこともあった。
実際に会う機会は学生時代ほど頻繁ではないものの、メールや電話でのやり取りはけっこうある。
お互いに近況を報告したり、仕事の悩みを語ったり、忙しいながらも、付き合いはずっと続いていた。
高校三年で初めて会った時には既に整っていた顔立ちだったが、歳を重ねるごとに磨きがかかり、二十台半ばとなった今は精悍さが加わって更に男前になっている。
そんな彼の横にちょこんと立っているのが、俺のイトコである大野チカちゃん。
彼女は子供の頃に病気で声を失い、それが原因で色々と苦労してきた。
人間生きていれば、大変な目に遭うことなんて誰にでも起こるけど、彼女の場合は健康体である俺なんかよりも、もっと大変だったはず。
心無い言葉や奇異の目を向けられ、その小さな心は傷つけられただろう。
それでも、チカちゃんは素直で優しい女の子に育った。
そんな彼女が桜井と出会い、恋をして、二人は恋人同士になった。
桜井とチカちゃんがこのままずっと幸せであればいいと願っていたけれど、世の中はそう簡単には進まないようで。
数年前、チカちゃんは失踪した。
いや、完全に行方をくらましたわけではない。
彼女からの葉書は定期的に家に届いたいたようだけど、こちらからチカちゃんを訪ねて行こうにも、彼女がどこに住んでいるのかは一切記されていなかったのだ。
消印がイギリス国内で捺されたものということは分かったが、それしか分からなかった。
それでも、桜井はどうにかチカちゃんの居場所を突き止め、イギリスに乗り込んでいった。
その後も紆余曲折があったのだが、無事に二人はアメリカで再会。しかも、結婚の約束までして。
今日は改めてその報告をしたいということで、二人に呼び出されていたのだった。
「待たせたか?」
個室内に声をかけると、スッと立ち上がってこちらにやってくる二人。
「いや、俺たちもついさっき着いたところだ」
「圭ちゃん。お休みなのに、呼び出しちゃってごめんね」
何気ない様子で寄り添って立つ桜井とチカちゃんに、俺は自然と笑顔になる。
「いいんだよ、俺も二人には会いたかったし。こうして三人で会うのって、なかなか出来ないからね」
俺がそう答えると、同じように小さく笑う二人。
生まれも育ちも違うのに、ふとした時に同じ仕草をする。まったく、悔しいくらいにお似合いだ。
「まずは、結婚おめでとう」
ニコッと笑って告げれば、
「ありがとうな、小山」
「圭ちゃん、ありがとう」
と、これまた同じようにはにかんだ笑みを浮かべる桜井とチカちゃん。
「帰国して早々に式を挙げるなんて、ずいぶんと慌しいな」
「ああ、俺の両親の勢いに押されて……」
桜井は困ったように笑っているが、そこには幸せが含まれている。
彼も、これまで苦労してきた人間だ。
本当の家族のこと、仕事のこと、そしてチカちゃんのこと。チカちゃんとは違う意味で大変な人生を送ってきた桜井だから、彼の幸せそうな笑顔を見て安心する。
「でも、チカちゃんはお嫁さんにもってこいの女の子だからね。サッサと結婚しておかないと、他の男に取られかねないしな」
ニヤリと笑えば、桜井は『そうなんだよ』と大きく頷き。チカちゃんは『そんなことないもん』と言って、顔を赤くする。
照れて俯いているチカちゃんをソッと抱き寄せた桜井は、
「チカは本当に素敵な女性だよ。俺は、結婚してもウカウカ出来そうにない」
と囁いている。
相変わらず、チカちゃんにベタ惚れなようだ。
桜井はこの先ずっとチカちゃんに優しく寄り添って、温かく守り続けていくのだろう。
チカちゃんはそんな桜井に守られて、そして彼を一番近くで支えていくのだろう。
大切な友人と大事なイトコが幸せであることを、俺は真剣に願っている。
まぁ、それはそれとして。確認しておきたいことがある。
「なぁ、桜井。お前、チカちゃんを泣かせたりしてないだろうな?」
彼は付き合い始めて間もない頃、俺に宣言したのだ。
『絶対にチカを離さない。チカを悲しませない。チカを泣かせたりしない』と。
その宣言を持ち出して、こうして確認しているのだが。
ジロリと睨みつければ、ウッと言葉に詰まる晃。その横に立つチカちゃんも、落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
俺は容易に察する。
「そうか、そうか。泣かせたんだな?」
そう言って大きな頷きを繰り返すと、正面に立っている桜井のみぞおちに拳を叩き込んだ。
仕事でたまったストレスを、週末になるとスポーツジムで解消しているのだ。おかげで、俺の腕力は同年代の男に比べてかなり強い。
「ぐ……」
低く呻いて腹を抱える桜井。上半身を折り曲げて痛みに耐えながら、
「また、腹かよ」
と、小さな声で呟く。
「“また”って何だ?」
首を捻れば、チカちゃんが蹲りそうになる桜井を支えながら
「あのね、実はアキ君、徹さんにもお腹を殴られたの。それで、“また”なんだよ」
と教えてくれた。
徹さんとは、チカちゃんのご近所さんのお兄さん。俺とも面識がある。
温和な人だという記憶があるが、その徹さんに殴られるとはどんな事態だったのだろうか。
尋ねるがチカちゃんは首を横に振った。
「分からない。徹さんは“約束”としか教えてくれなかったの」
「ふぅん」
あいまいに頷きながらも、同じ男として、何となく徹さんの行動の意味が分かった。彼もチカちゃんが好きだったのだろう。
「お前、どれだけ殴られるんだよ」
ようやく痛みから立ち直った桜井の肩を、バンバンと勢いよく叩いてやった。
すると、切れ長の瞳でギロッと睨まれる。
「うるせぇな。桜井グループの俺を殴っておいて、タダで済むと思うなよ?」
美形の睨みは迫力があるが、あいにく、俺はそんなやわな神経ではない。
ニンマリと口角を上げて、鼻で笑ってやった。
「顔の形が変わるぐらいボコボコ殴るって約束を腹の一発で収めてやったんだから、逆に感謝して欲しいね」
「こんな強烈な拳をお見舞いしといて、感謝しろとか意味わかんねぇ……」
ブツブツと恨みがましく呟いている桜井に、俺はもう一度アハハと笑った。
とりあえずは物騒なやり取りを収め、それぞれ席に着く。
4人用のテーブルに並ぶご馳走に舌鼓を打ちながら、チカちゃんに話しかけた。
「ねぇ、本当に桜井と結婚するの?何だか、色々心配だなぁ」
話によると、チカちゃんは絵本作家を続けるので、ホテルの経営には関わらないそうだ。そうは言っても桜井と結婚するわけだから、まったく無関係でいることも出来ないだろう。
一般的な奥さんよりもはるかに大きいであろうその苦労は、サラリーマンをしている俺には計り知れない。
そんなチカちゃんを気にしていれば、
「じゃあ、俺とチカを引き裂くってのか?」
と、桜井から鋭い視線を向けられた。
まったく、普段はクールな男だっていうのに、チカちゃんに関しては呆れるほどの溺愛ぶりだ。それだけ彼女のことを大切にしているのだと分かる。
桜井の視線をニコリと笑顔でかわした。
「いや、それはしないよ」
そう答えると、二人としてちょっと目を瞠る。ホント、二人とも同じ反応だなぁ。
「だって、チカちゃんは本当に桜井のことが好きだからね。二人の仲を反対したら、チカちゃんが悲しむだろ?だから、反対はしないよ。それに、俺は桜井にも幸せになってほしいんだ。お前が幸せになるためには、チカちゃんが必要だって分かってるしな」
よく冷えた白ワインをコクリと一口嚥下し、パチンとウインクする。
「俺が心配したって、結局二人は結婚するんだし。それに、チカちゃんに何かあったら、桜井が全力でどうにかするだろ?」
「当然だ」
間髪入れずに返ってきた桜井の言葉に、思わず吹き出す。
「ははっ、だろうね。ま、そんなことは分かっているけど、それでもちょっとだけチカちゃんが心配だったんだ。二人の結婚に反対したいって事じゃない」
グラスを置いて、改めて正面の二人に向き直った。
「大切な友人と大事なイトコが揃って幸せになるんだ。こんなに嬉しいことはないよ」
俺の言葉に桜井は目元を和らげ、チカちゃんは僅かに瞳を潤ませる。
「二人とも、本当におめでとう」
心からの祝福に、さすがの桜井も目を潤ませ、チカちゃんに至っては涙を溢れさせたのだった。
これにて「声に出来ない“アイシテル”」はおしまいです。
アキ君とチカちゃん、徹さんとシャル、それぞれがそれぞれの道で幸せになってゆくことでしょう。
言葉にされた想い。
言葉にはされないけれど、確かに存在する想い。
どちらも大切なものだと少しでも思っていただければ幸いです。
長い間、お付合いくださいまして、本当にありがとうございました。