1535年十月四週目 九州の借金、ついにゼロ。四国経由で安芸の国人衆やその先の尼子、琉球使節団対応
十月四週目。
八郎家では、いつもの帳面合わせが始まっていた。
「では、これが終わったら僕は肥前へ行きます」
「二週間でしたな」
「はい。今回はかなり丁寧に回ります」
八郎は帳面の横に置かれた肥前の絵図を指した。
旧龍造寺領を中心に、松浦や有馬、その周辺の国人衆の土地まで順繰り巡る。
「若い姫君やご子息も連れていきます」
「縁談か」
「縁談だけではありませんよ」
各地の宴席で顔を合わせる。
気が合えば文を送り合う。
それだけでもいい。
「それと、本当の目的は視察です」
「本当の?」
「悪いところ探しですよ」
二重取り。
帳面漏れ。
横領。
市の運営不良。
庄屋や商人の癒着。
さらに八郎本拠では当たり前になった相撲、弓、お楽しみ袋、料理大会などが、
肥前ではどこまで根付いているのか。
「良いところは伸ばす。悪いところは直す」
「簡単に言われますな」
「皆さん機嫌よく暮らしてたら、一揆も起こりにくいでしょう」
「それが一番の狙いか」
「嫌われる必要ないですからね」
八郎はあっさり答えた。
「好かれればなおよし。最低でも、八郎家になって暮らしが悪くなったとは
思われないようにしましょう」
そこで帳面役が、一つ大きな数字を読み上げた。
「今週の交易利益、五千万文ほどでございます」
「では全部入れましょう」
「肥前の残りへ?」
「はい」
残っていた城方の借金は、五千万文ほど。
帳面役たちが一枚ずつ確認する。
証文と支払額を照らし合わせる。
そして最後の一枚が消された。
「……八郎様」
「はい?」
「終わりました」
「何が?」
「八郎領内、九州分の借金でございます」
一瞬、静かになった。
「農民、侍、城方。確認できているものは、すべて完済です」
「おおおお!」
広間に歓声が上がった。
「全部か!」
「九州全部!」
「ようやった!」
兄たちまで手を叩いている。
八郎は帳面を覗き込み、
「ほんまにゼロですね」
「もっと喜んでください!」
「いや、嬉しいですよ」
「顔が次の仕事考えてるやんけ!」
「だって四国がありますから」
「もう次!」
笑いが起こった。
「四国は焦りません。市の利益も積み上がってますから、まとまったら順繰り返しましょう」
そして八郎自身が肥前へ持っていく予算は二千万文。
「随分持っていきますな」
「全部ばら撒くわけじゃないですよ」
景品。
催し。
修繕。
新しい仕組みを試す銭。
困窮しているところへの応急的な手当。
「目安箱もぼこぼこ置いてきます」
「ぼこぼこ?」
「いっぱいです」
一方、八郎が肥前だけを見ている間、南九州を放置するわけにはいかない。
「別の巡回組を作りましょう」
薩摩。
大隅。
日向。
「予算は一千万文」
「こちらも監査?」
「監査と視察ですね」
島津領内に入る場所もある。
「そこは島津の方々と揉めないように。一緒に見てください」
悪いところを探すために入ってきたと思われれば面子を潰す。
「『一緒にもっと良くしましょう』でええんです」
「八郎様らしいですな」
そして話は外交へ移った。
「あと二つやりたいです」
「まだあるんか」
「ありますよ」
一つは安芸。
八郎家は伊予を押さえ、瀬戸内交易にも深く関わるようになった。
「いきなり大内領へ深く入るのは角が立ちます」
「でしょうな」
「なので、安芸の国人衆に挨拶しましょう」
戦の話ではない。
まず物流。
港。
船。
市。
「交易できる相手が増えるだけでもいいです」
そのさらに向こうには尼子もいる。
「安芸の国人衆とつながって、いずれ尼子とも交易できれば面白いですね」
「大内様を挟んで?」
「だからゆっくりですよ」
今後、大内とどうなるかは分からない。
大友も同じ。
三好とは一年間の不可侵がある上、三好側は畿内へ目が向いているように見える。
「戦をしないうちに、知り合いを増やしておきましょう」
「それだけで済めばよいのですが」
「まずは、ですよ」
もう一つは琉球だった。
「視察団を二百人ぐらい送りましょう」
「二百?」
「農村も港も見るなら、それぐらい要るでしょう」
商人。
帳面役。
農業を分かる者。
船乗り。
市場運営を知る者。
「八郎商会が入り込める余地があるか見てきてもらいます」
「言い方がもう怖いですな」
「交易の余地ですよ」
「本当に?」
「まずは」
「また『まずは』ですか」
八郎は笑った。
肥前巡回。
南九州巡回。
安芸国人衆との接触。
尼子への道筋。
琉球への二百人規模の視察団。
「八郎、大忙しやな」
「忙しいですよ」
「この前、半年ぐらいゆっくりしたい言うてなかったか?」
「僕もゆっくりしたいですよ」
「する気ないやんけ!」
「戦してないでしょう?」
「基準がおかしい!」
また笑い声が上がった。
九州の借金は、ついに一度すべて消えた。
だからこそ八郎は止まらない。
次は帳面の数字ではなく、暮らしの中身を確かめる。
そして九州の外へも、戦ではなく交易と人の縁を伸ばしていく。
「では、肥前へ行ってきます」
「二週間で帰れよ」
「善処します」
「もう怪しい!」
こうして九州の借金完済という大きな節目を迎えたその日のうちに、八郎はすでに
次の三つ四つの仕事を並べ始めていたのであった。




