1535年8月2週目。土佐一条家で帳面合わせと東伊予での三好家の侵攻を押し返す算段を共有する。
八月二週目。
土佐一条家の城が落ち、まだ壊れた門や傷んだ建物の修繕も終わっていない中、
八郎は一条家の屋敷を借りて仮の帳面合わせを行うことにした。
「まだ全部まとまってはいないと思いますけど、とりあえず一度締めましょう」
「八月一週目までは、すでに九州側で締めております」
「では、二週目の途中までで構いません」
戦が終わったばかりだというのに、目の前へ広げられたのは軍勢の配置図ではなく、
銭と借金の帳面だった。
一条家当主は、それを少し不思議そうに眺めていた。
「城を落とした翌日に、もう銭勘定をするのか」
「城を落としても、借金は勝手に消えてくれませんからね」
「相変わらず妙な五歳児じゃの」
帳面役が一枚めくる。
「今週も交易から入った利益を中心に、各家の借金返済へ順次回しております」
「はい」
「そして、今週をもちまして――島津本家の借金がすべて完済となりました」
その場が一瞬静かになった。
「全部ですか?」
「はい。城、家臣、侍、農民の分を含め、確認できている二十万貫のうち残債八万貫ほど、
すべて返済が終わりました」
「おお……」
八郎は思わず笑った。
「それは喜ばしいですね」
島津忠良も帳面をのぞき込む。
「本当にないのか」
「ございません」
「隠れて出てきたりせぬか」
「出てきましたら、また確認いたしますが、現時点では完済でございます」
「八万貫がなくなったか」
忠良はしばらく帳面を見つめた後、大きく息を吐いた。
「戦で土地を取った時より、妙にうれしいものじゃな」
「借金がなくなれば、その後に稼いだ銭を前向きに使えますからね」
八郎も満足そうにうなずいた。
「次の市、道、港、船。ようやく借金を返すためではなく、大きくするために使えます」
一条家当主が感心していたところで、八郎は話を切り替えた。
「さて。それとは別に、一条様へまだお伝えしていなかったことがございます」
「何じゃ」
「実は東伊予へ、三好家が攻め込んできております」
「……何?」
「兵はおよそ八千です」
一条家の当主だけでなく、家臣たちまで顔色を変えた。
「いつからじゃ」
「一週間以上前からですね」
「待て。では、そなたは三好八千に伊予を攻められながら、ずっとこの城を囲んでおったのか?」
「はい」
「まったくそのようには見えなんだぞ!」
「見せないようにしておりましたから」
八郎は平然と答えた。
「内心は、だいぶ焦っておりましたけどね」
「焦っておったのか?」
「もちろんです。本当なら一条様のところは、一月ぐらいかけてゆっくり
包囲する気満々だったんですよ」
「一月もあれをやるつもりだったのか!」
「飯を炊いて、夜に起こして、農民兵の方が帰るのを待とうかなと」
一条家の者たちの顔が引きつった。
「三好家が来たので、あれでも急いだのです」
「……十分じっくり攻められた気がするのだが」
八郎は気にせず、四国の絵図を広げた。
「三好家は、東予の三万五千石ほどのまとまりを二つ取りました」
「七万石か」
「はい。ただ、三つ目でこちらが踏ん張りまして、包囲を一度解かせ、二つ目のところまで押し戻したとの報告が来ています」
現状、八郎方は七千五百ほど。
三好方は当初八千だったが、小競り合いや離脱もあるため、今正確に何人いるかまでは分からない。
「七千か八千か、その辺でしょう。とにかく今は拮抗しております」
「ならば、そなたは伊予へ戻るのか」
「はい。次は僕が行きます」
今週も九州から二千の兵が上陸している。
その二千は、すでに東予へ先行させていた。
さらに伊予の三万五千石圏ごとに三百程度ずつ侍を集め、準備できたところから東へ向かわせる。
「九州からの二千を核に、現地から集める兵を加えて、先行増援を四千五百ほどにします」
「今の七千五百へ加われば、一万二千か」
「はい。そして僕が、ここから六千を連れて向かいます」
「……一万八千」
一条家当主が呟いた。
「三好八千に対して、一万八千を集めるのか」
「ずっと八千のままとは思っておりませんからね」
三好家は讃岐、阿波を背後に持つ。
本気になれば、さらに兵を出せる可能性がある。
「ですから、八千を倒して終わりとは考えておりません」
「では、どこまで戦う」
「まず取られた二つの三万五千石圏を押し返します」
八郎は東予からさらに東へ指を動かした。
「そのうえで、状況がよければ阿波側の一部にも圧をかけます」
「三好領まで取るつもりか」
「少し取ったところで、話し合いたいですね」
一条家当主が目を細める。
「全部取るためではなく、交渉するために取るのか」
「はい」
八郎としても、三好家と全面戦争をするつもりはなかった。
八郎側が伊予と土佐。
三好側が讃岐と阿波。
双方が本気で兵を集め始めれば、四国そのものを塗り替える大戦になる。
「こちらも疲れますし、三好様も疲れるでしょう」
「それで不可侵か」
「できれば」
今ある線をある程度認め合う。
互いに勝手に国境を越えない。
商人や船については、別途話し合う。
「話し合いで済むところは、話し合いで済ませたいです」
「城を落としたばかりの者が言うと、説得力があるのかないのか分からんな」
「話し合えなかったので、ここは攻めました」
「そこを普通に言うな」
広間に笑いが起きた。
「一条様にも、一緒に来ていただきたいと思っております」
「わしもか?」
「はい。護衛をつけます」
「昨日まで敵だったわしを、今度は三好との交渉へ連れていくのか」
「一条家は僕より家格や他家との付き合いに詳しいですからね」
「使うのが早すぎるわ」
一条家当主は呆れながらも、どこか面白そうに笑った。
「では土佐はどうする」
「四千ほど残します」
残った兵と兄たち、姫君、帳面役で、市の立ち上げを始める。
さらに長宗我部をはじめとする土佐中央部の国人衆とも話を進める。
「一条家が八郎家へ加わったことを伝えて、土佐全体をどうまとめるか話してください」
「わしが東へ行っている間に、土佐の仕組みを作るわけか」
「はい。僕も三好様を追い出すまで何か月も戦う気はありません」
取られた土地を回復する。
こちらが簡単には押せないと示す。
そして停戦して戻る。
「そのくらいで済ませたいですね」
一条家当主は改めて八郎を見た。
「しかし……三好八千が攻めてきておったことを、本当にまったく悟らせなんだな」
「ですから、焦っていたんですって」
「門を壊しながら飯を置いて帰っていたではないか」
「焦っていても、やることは同じですから」
「恐ろしい五歳児じゃの」
「五歳児なりに頑張っております」
島津本家の八万貫の借金が消え、土佐一条家が新たに八郎陣営へ加わった、その同じ週。
八郎は休む間もなく、今度は一条家当主を伴い、六千の兵を率いて東予へ向かう準備を始めた。
土佐を取る戦は終わった。
次は、取った伊予を守れることを三好家へ示し、そのうえで戦を終わらせるための戦が
始まろうとしていたのであった。




