1533年10月4週目。帳面合わせ後半戦。市の立ち上げのツケ90万文消す。侍の借金50万文消す。島津家ビビる
帳面合わせはさらに続いた。
八郎が次の帳面を開く。
「では八郎商会ですね」
「今週の利益ですが……」
周囲が静かになる。
島津本家。
島津分家。
どちらも、この数字を聞きたがっていた。
八郎はさらっと言う。
「百五十五万文です」
一瞬、空気が止まった。
「……週か?」
忠良が聞き返す。
「はい」
「今週です」
八郎は普通に答える。
「ではまず」
「市の立ち上げ費用のツケ」
「九十万文、一つ消します」
その言葉に島津側の家臣が思わず声を出した。
「待たれよ」
「ツケ九十万文?」
「はい」
「新しい土地に市を作る時は、それぐらい普通にかかります」
「普通ではないぞ」
貴久が苦笑する。
「九十万文など小さな国人なら震える額じゃ」
「ですよね」
「でも今は違います」
「八郎商会なら返せると思われています」
「信用ができると」
「商人は先に物を出してくれます」
「米」
「味噌」
「鍋」
「木材」
「布」
「全部です」
「そして利益が出たらすぐ返す」
「だからまた貸してくれる」
「この繰り返しです」
庄屋が横から笑う。
「本当に鬼みたいな速さで返しますからな」
「貸す方が怖くなくなるんですわ」
「むしろ八郎様の仕事に絡みたい商人の方が増えております」
島津勢は顔を見合わせる。
戦国で一番難しい「信用」を、この子供は作っていた。
「それと」
八郎が別の帳面を出した。
「今日は島津のお殿様方も来ていますので」
「記念に」
「薩摩仙台南側の侍衆の借金」
「五十万文ほど消しましょう」
ざわっ。
「記念で五十万!?」
すると対象になった侍たちが一斉に頭を下げる。
「島津のお殿様方!」
「ありがとうございます!」
「……待て」
忠良が困惑する。
「なぜ我らに礼を言う?」
侍衆は笑った。
「きっかけです」
「きっかけ?」
「はい」
「先週も千代姫様がおられたから」
「八郎様が格好つけて五十万文消してくれました」
千代姫の顔が赤くなる。
「つまり」
「八郎様は理由が欲しいんです」
「どこも借金がありますから」
「全部一気にはできません」
「だから」
『今日は千代姫がいるから』
『今日は島津様がいるから』
「そういう理由で順番が来るんです」
忠良は腹を抱えて笑った。
「なんじゃそれは」
「国の財政が三歳児の気分で動いておるではないか」
八郎がむっとする。
「違います」
「ちゃんと考えてます」
母親が横から言う。
「半分くらい気分でしょう?」
「……少しだけです」
皆が笑う。
「まあ」
「まとめるとですね」
八郎は帳面を叩く。
「今の八郎商会の利益は」
「だいたい月六百万文です」
「年なら七千二百万文」
また場が止まる。
「七千万……」
分家当主が呟く。
「それだけあれば」
「我らの借金など一年もせず……」
「はい」
八郎は頷く。
「だから言ったじゃないですか」
「帳面を見せてくれたら何とかしますって」
「しかも」
「これは完成形じゃありません」
「まだ伸びしろがあります」
「交易」
「商品開発」
「加工品」
「全然できてません」
「例えば」
「これです」
八郎が芋を持ってこさせる。
「琉球から入れた芋です」
「芋?」
「はい」
「あとで焼きます」
八郎は笑う。
「甘いんです」
「焼くだけで?」
「はい」
「焼くだけで甘い」
「砂糖も蜂蜜もいりません」
「それってすごいことですよ」
「考えてください」
「寒い日に」
「熱々の甘い芋」
「十文、二十文で売る」
「子供が食べる」
「女の人が食べる」
「市で歩きながら食べる」
「売れないと思います?」
商人衆の目が変わる。
「さらに」
「痩せた土地でも育つ」
「米が不作でも腹が膨れる」
「飢饉対策になる」
「余れば加工する」
「酒にもできるかもしれません」
「つまり」
「飯にも」
「商売にも」
「備蓄にもなる」
忠良が芋を見る。
「ただの芋にそこまで見るか」
「ただの芋じゃないです」
八郎は笑った。
「銭になる芋です」
「薩摩川内でまず焼き芋屋をやります」
「売れたら各地へ」
「そして作付けを広げる」
「農民は食える」
「商人は売れる」
「八郎商会は儲かる」
「また借金が消える」
高久はため息をついた。
「恐ろしいな」
「戦なら敵を倒して終わりじゃ」
「しかし八郎殿は」
「芋一つから国を変える」
八郎は首を振る。
「そんな大げさな」
「ただ」
「冬に暖かい布団で寝て」
「湯あみに入って」
「甘い焼き芋食べられたら」
「幸せじゃないですか」
その場の誰も否定できなかった。
島津の者たちは思った。
この三歳児の本当の武器は金でも兵でもない。
人が「この暮らしを失いたくない」と思う仕組みを作ることなのだと。




