1533年4月。集会も終盤。市で売り上げたやつの証文を庄屋ごとにまとめてこの集会で捌きましょう。あと5週でうちの庄屋衆の借金無くなりますがどうします?
証文交換の熱気が少し落ち着いたころ、八郎はもう一枚帳面を出した。
「あと、もう一つ相談なんですけど」
その言葉に、父が眉を寄せる。
「八郎」
「はい」
「お前の『もう一つ』は怖い」
周りから笑いが起きた。
「いや、今回は大したことないです」
「絶対嘘や」
和尚まで笑う。
八郎は困った顔をしながら続けた。
「この前、お寺で市を開いたじゃないですか」
「ああ、あれはすごかったな」
和尚が頷く。
「売上六千五百文でした」
商人たちも満足そうに頷いた。
「はい。ただ、考えたんですけど」
「買った人たちって、全部現金払いじゃないですよね?」
その一言で商人たちが顔を見合わせる。
「まあ、そうやな」
「顔なじみには掛けもある」
「秋の収穫払いもある」
八郎は頷く。
「なら、それも庄屋さんごとに分けませんか?」
「分ける?」
「はい」
八郎は帳面を指した。
「誰が何を買ったかを全部私が見るのは無理です」
「だから各庄屋さんのところで責任持ってもらう」
「商人さんは庄屋さんごとに帳面を作る」
「そして、この集まりの時に調整する」
「そうしたら楽じゃないですか?」
場が静かになった。
商人の一人がぽつりと言う。
「……確かに」
「村ごとに信用を見る方が早い」
「知らん百姓相手より庄屋相手なら安心できる」
別の商人も頷いた。
「取りっぱぐれも減るな」
「しかも八郎様のところで仕入れになるなら銭の流れが見える」
和尚は笑った。
「また仕組みを作りおった」
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「それで、今の状態なんですが」
八郎は帳面を開く。
「うちの庄屋衆の借り入れ残り」
「十一万文です」
ざわっとする。
最初十六万文あった借金。
もうそこまで減っていた。
「隣の庄屋衆は十九万文になりました」
隣側の者たちも頭を下げる。
「それだけでもありがたいです」
「利が減っただけでも助かっとります」
八郎は続ける。
「ただ、このペースだと」
「うちの庄屋衆の十一万文は」
「あと四週か五週で消えます」
沈黙。
誰もすぐには言葉が出なかった。
何年も苦しんできた借金。
親から子へ残ると思っていた証文。
それが一月ほどで消える。
「……本当に消えるんやな」
誰かが呟いた。
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「問題はそのあとです」
八郎は首をかしげる。
「寺市、神社市がありますよね」
「そこで出た掛け売り分があります」
「それを、うちの庄屋衆の新しい借り入れと相殺すればいいかなと思ったんです」
「でも」
帳面を見る。
「たぶん余ります」
父が苦笑する。
「借金が足りんという悩みか」
「変な話ですけど」
八郎も苦笑した。
「だから余った分は、隣の庄屋衆の借り入れを消していけばいいのかなと」
その瞬間。
「ありがとうございます!」
隣の庄屋衆が頭を下げた。
だが。
「待ってください」
八郎側の庄屋が口を出した。
「八郎様」
「うちで新しい借り入れが出たら、まずこちらを消すべきでは?」
「いやいや」
隣側も言う。
「こちらも八郎様の下についたんです」
「順番を」
「でも元々はこちらが」
空気が怪しくなる。
八郎はため息をついた。
「あの」
全員が見る。
「揉めるなら、やりませんよ?」
ぴたり。
一瞬で静かになった。
和尚が吹き出した。
「ぶはっ」
父も腹を抱える。
「どんな黙らせ方や」
「三歳児に怒られて大人全員黙ったぞ」
八郎は不満そうに言う。
「だって、助けるためにやってるんですよ?」
「それで喧嘩されたら嫌です」
和尚は涙を拭きながら笑った。
「正論すぎて誰も返せん」
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しかし、八郎の顔は晴れなかった。
「でも……」
「どうした」
父が聞く。
「この流れ、まずくないですか?」
和尚の目が細くなる。
「ほう」
「殿様です」
場の空気が少し変わる。
「前回でも機嫌悪かったです」
「今でも商人さん、庄屋さん、お寺、神社」
「みんなこっち向いてます」
「これで隣まで借金消したら……」
「殿様から見たらどう見えるんでしょう」
誰もすぐ答えられない。
和尚だけが笑っていた。
「何笑ってるんですか」
「いや」
和尚は茶を飲む。
「三歳がそこまで気にするかと思ってな」
「笑い事じゃないです」
「本当に」
八郎は頭を抱える。
「もう私、無理ですよ」
「飯作って」
「甘味考えて」
「仕入れ見て」
「証文見て」
「商人さん来て」
「庄屋さん来て」
「寺市、神社市」
「隣の庄屋衆」
「殿様」
「さばききれません」
父がぽつりと言った。
「ようやく三歳らしいこと言ったな」
「え?」
「できません、助けてください」
「それを言えた」
和尚も頷く。
「八郎」
「はい」
「ここから先は人を使う段階や」
「お前一人が賢くても国は回らん」
「帳面を見る者」
「商人を見る者」
「市を見る者」
「殿を見る者」
「分けねばならん」
八郎はため息をついた。
「……飯屋だったはずなんですけどね」
和尚、父、商人、庄屋。
全員が同時に笑った。
「もう誰もそう思っとらんわ」
その日、八郎は初めて理解した。
借金を消すことより難しいこと。
それは――。
増えすぎた信用を、どう扱うかだった。




