野生児令嬢は捕まった
ぐるぐると回る。
景色や国の事情がどれだけ変化しようと、リリーはリリーのままだ。リリーのままでいられるよう、ディヴィスが手を尽くした。
「ディディの、病気は? 治るの」
「……」
深いため息が落ちてきた。長くて、重い息だった。まあ、そうだな、とディヴィスがどこか投げやりに言う。
「重症、だろうな」
「えっ」
「不眠、精神不安、倦怠感に無力感、あとは」
「まだあるの?」
「ああ」
「な、治らないの?」
「今はさほどでもない」
そうだろうか、とじっと観察するが、先ほどよりクマがよくなった様子はない。どこが、と尋ねて、額に口づけされる。むっとした。
「ディディ」
「ディヴィスだ。眠れんのも仕事でつまらん失敗をするのも、全部――恋煩いだと。新王がことあるごとに、腹を抱えて笑ってくれる」
「……」
まじまじ見上げて、確かに似合わないとリリーも思う。ディヴィスの眉間には相変わらずしわがあり、どこか厳しい表情のままだ。
眠れない毎日を過ごす、なんて、およそディヴィスらしくない。そもそも、ディヴィスが穏やかに眠っているところもちょっと想像できないけれど。
だからと言って、笑うのはひどい。かつての王太子とは、ほとんど面識がないが、いつだって仮面じみた笑顔で話していた。どんな性格なのかリリーは全く知らないが、あまり会いたい人ではなさそうだった。
「何を呆けている」
ああでも、と、思い返せば――同じだな、と思った。
突然悲しくなるのも、なぜがベッドの上で眠れない日があるのも。
そう自覚して……うつむくところを、やっぱり顎を取られて阻止された。今度は頬に、口づけられた。
「ディ」
「いい加減、諦めろリリー。ディヴィスだ」
あっという間に抱えられた。今度降ろされたのは、祭壇の上だ。腰かけた高さで、リリーはディヴィスを頭一つ高い位置から見下ろしていた。見上げたことはあっても、見下ろしたことはない。目に映った自分を見ることも。
「俺はお前が逃げないで済むように、国も家も人もそろえた。あとはお前が頷くのみ。だが」
一歩離れて、ディヴィスは、軽く手を広げた。
「もちろん。お前は自由だ。好きな所へ行けばいいし、好きなだけ逃げればいい」
ディヴィスの口の端が持ち上がる。柔らかい微笑。
けれど、こげ茶の瞳にある光は、逸らせないほど強い。
「ただし、どんな果てでも、俺は追う」
宣言だった。そして、ディヴィスだからこそ、絶対に追いついくと、リリーの本能が告げる。
ステンドグラスの光に透かされた金の髪は、新緑の色をまつろわせていた。
綺麗だと、見惚れた色。そうして、子供だった頃は手を伸ばした。許されて、触れた時に、優しさを知った。
それで、終わりだと思っていた。その先があることをうっすらと見透かしていても、自分には無縁だと――過去の経験上、察していた。
欲しいと願ってはいけなかった。
いつだって別離は強引で、唐突に現れた理不尽な力が、リリーの好きなものを奪っていった。
けれど、今――
「俺の幸せは、お前がいてこそだ」
選ぶのは、リリーだ。
来い、とディヴィスが呼ぶ。
一片の事実――ではなく、混じりけのない澄んだ言葉。命令に似た、ディヴィスの願いだ。
腕に力を入れた。足を振り子にして、リリーは跳んだ。
体がふわりと宙に浮く。わずかに弧を描いて――
しっかりと、背に力強く腕が回った。不思議と、先ほどよりあたたかい。
ディヴィスの頭が、リリーの首元に落ちる。さらりと触れた金の髪を、そっと抱いた。
「馬鹿な子ザルだ。帰りが遅い」
「うん……ごめん、ディヴィス」
こうして、リリーは捕まった。