夢幻泡沫の悪魔4
フィリナからの連絡――彼女の魔術『情報通信』によるもの――を受け、玲児は全速力で屋敷へと引き返した。
建物を飛び移りながら移動したため、大勢の人々から奇異の視線で見られることになるも、何にせよ玲児は五分ほどで屋敷に到着し――
建物の屋上から庭園へと着地した。
着地の衝撃で舞い上がった土煙。
その煙が晴れたと同時、玲児は目の前に立つ男を、鋭く睨みつけた。
一見して人間とは異なる風貌をした男。
だがその服装や顔つきから、その人間とは異なる男が、玲児を利用してユリアを屋敷から遠ざけた張本人――
死霊魔術協会横浜支部局局長、志田桐生であることを理解する。
ギリギリと瞳を怒りに尖らせる玲児。
視線だけで対象を引き裂かんばかりの彼の睨みに、志田はまるで動じた様子がない。
それどころか笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。
「思ったより早く帰ってきたね。
もっと先生とデートを楽しんでいれば良かったものを」
「ああ?」
「君には興味がないと、そう言ったんだよ」
歯ぎしりをしながら、拳を強く握りしめる玲児。
だがやはり、彼のそのような怒りなどまるで気にも留めず、志田が余裕ある態度で頭を振る。
「下陰玲児くん。
君は一度、キシリアに敗北しているね。
ユリア先生の守護隷ということで期待はしていたが……君では私に憑依させた悪魔の性能を計るのに、不適切だ」
「何を言ってんのか知らねえが……それが遺言ってことで構わねえな?」
にじり寄るようにして一歩、志田へと足を踏み出す玲児。
志田が呆れるように、やれやれと肩をすくめて、凶暴な怒りを湛える彼を嘲るように笑う。
「分かってないな。
殴る蹴るしかできない野蛮なだけの君に何ができる。
私は君が手も足も出せなかったキシリアを圧倒した。
君では私と勝負にすらなりはしないよ」
志田の言葉を無視して、さらに一歩足を踏み出す。
志田が裂けた唇で笑みを深める。
「いいだろう。
ハンデとして私の魔術について君に教えてあげようじゃないか。
難しい能力じゃない。
君でも分かる単純なものだ。
魔術の名前は『力場生成』」
さらに一歩足を進める。
志田が両腕を左右に広げて声を高める。
「君も名前を聞けばピンときただろ。
超能力の定番ともいえる能力だ。
手を触れずに物を動かすというアレだよ。
しかしね、安心してはいけないよ。
単純だからこそ最強となる能力なのさ。
なぜなら私の能力は、その出力があまりにも桁違いだからね」
どんどんと口調を高め、志田が上機嫌に能力を解説する。
「私の魔術は数十トン、数百トンほどの出力が可能だ。
しかもその射程距離に限界はない。
像やクジラさえも軽々と持ち上げられるし、その気になれば、瞬きをする間にこの辺一帯を更地にすることもできる。
君では私をこの場から動かすことも――」
「うるせえ」
にべもない一言。
志田がきょとんと目を丸くする。
玲児はバネを圧し縮めるように膝を落とすと、怪訝な顔をしている志田に向けて、声を荒げた。
「ごちゃごちゃ喋ってんじゃねえ!
俺がぶっ殺すったらぶっ殺すんだよ、クソが!」
叫ぶと同時に、圧し縮めた膝を弾けさせ、志田に向けて全速力で駆け出す。
距離にして五メートル。
一秒にも満たずに接近し、玲児は拳を突き出した。
だが――
玲児の拳は志田に届くことなく、見えない壁にぶつかり停止した。
「ほらね。
言った通りだろ?」
足に踏ん張りを利かせて拳を突き出そうとする玲児。
だが不可視の壁に阻まれ拳は一ミリとて前進しない。
全身を力ませる玲児に、志田が勝ち誇るように言葉を続ける。
「君では私に触れることすらできない。
身の程をわきまえるんだな」
志田の一言一言に、より強く、より凶暴に、怒りが燃え上がる。
際限なく高められていく憤怒。
徐々に熱を帯びていく体。
その熱に比例するように全身に力が満たされていく。
靴底が地面に陥没する。
不可視の壁に阻まれていた玲児の拳が――
僅かに前進した。
「これでもう理解したかい?
それじゃあ決着をつけさせてもら――」
「オラァアアアアアアアアアアア!」
膨れ上がる怒り。
それと同調して高まる力。
玲児の拳が不可視の壁を突き破り――
志田の顔面を捉えた。
「ごぼぉはあああ!」
後方に吹き飛んで、志田が地面を勢いよく転がる。
うつ伏せの状態で静止した志田が、震える腕を支えにして、ゆっくりと体を起こす。
ぼたぼたと顔面から垂れる鼻血。
地面に広がっていく自身の血を見て、志田が信じられないという面持ちで、呆然と声を漏らす。
「そ……そんな……なんで私が……」
「いつまでも寝転がってんじゃねえぞ!
テメエエエエエエエエエ!」
四つん這いの志田に駆け寄る玲児。
志田がギッと表情を引き締め、玲児に向けて右手を突き出した。
途端に玲児の全身が、コンクリ漬けにされたかのように、硬直する。
「――ぐっ!?」
「図に乗るな!」
志田が左手を鋭く突き出す。
それと同時に、玲児の腹部に強大な力が叩きこまれる。
まるで大砲の弾を打ち込まれたような衝撃に、意識が遠のきかける玲児だが――
「く……そったりゃああああ!」
根性だけで意識をつなぎとめると、全身を拘束する力場を力任せに引き千切り、志田に接近する。
「ひっ!?」と短い悲鳴を上げた志田を、振り上げた足で蹴りつける。
「ぶぼほおお!」
腹部を蹴り上げられ、志田がもんどり打って倒れる。
ギラギラと眼光を尖らせて、志田を見据える玲児。
フラフラと体を起こした志田が、玲児に視線を向ける。
細かく震える志田の瞳。
そこには、最強の悪魔たる男の――
明確な恐怖が滲んでいた。
「な……なんでだ?
なんで……私の能力が……通じない?」
困惑する志田。
だが玲児は、志田の声などまるで聞かず、ただ怒りのままに叫んだ。
「落とし前はつけさせてもらうからな!」
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レイジの魔術がただの馬鹿力だと説明した時、彼は明らかな落胆を見せていた。
レイジとしては、漫画や映画にあるような、華々しく強力な魔術を期待していたのだろう。
確かに馬鹿力など華々しさには欠ける。
だが無力な魔術であるかと言えば、決してそうではない。
少なくともレイジの魔術は、彼のコンディション次第では――
(誰にも負けることのない、最強の魔術となり得るからのう)
そんなことを思案しながら、パンケーキの切れ端を口に放り込むユリア。
もぐもぐと咀嚼して、シロップと生地の甘さを堪能する。
ゴクリと嚥下し、彼女は思案を再開させる。
(レイジ……お主は気付いとらんだろうな。
ただ力が強いということが、どれほどに恐ろしいものか。
あらゆる魔術を、あらゆる戦術を、あらゆる思惑を、根こそぎ踏みにじることのできる力というものが、どれほどに敵にとって脅威となるか)
レイジに与えられた魔術。
その名前は『憤怒怪力』。
その能力は、術者の怒りに応じて攻撃力、防御力を際限なく高めること。
(ただの人間だというのに、考えもなしに悪魔相手に殴り掛かったお主には、ぴったりの魔術じゃろう。
お主はただいつものように、気に入らん相手と喧嘩をしていればよい)
そう心内で呟くと、ユリアはパンケーキの最後の欠片を口に頬張り――
微笑みを浮かべた。
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百歩譲って、自分を利用したことはまだ我慢ができる。
もともと自分でも、頭の悪さは自覚している。
頭の良い連中からすれば、自分など格好のカモにしか見えないだろう。
自分に限った話ならば、簡単に騙されるこちらにも、非がないとは言い切れない。
だが第三者を傷付けるつもりならば、話は別だ。
例えこちらが間抜けであるがゆえ騙されたのだとしても、それで誰かを傷付けるつもりなら、許すつもりなどさらさらない。
さらに、その傷付けられる相手が、自分の知り合いともなれば――
怒りのままに暴れるだけだ。
「っらぁあああああああ!」
体にまとわりつく力場を振り切り、玲児は志田の鳩尾に拳を埋め込んだ。
志田が裂けた口を大きく広げて、大量の空気を吐き出す。
鳩尾に突き刺した拳を引き、今度はその拳を志田の顔面を目掛けて突き出す。
その直後、不可視の壁が右拳にぶつかるも――
「っしゃらくせえええ!」
壁をぶち破り志田の顔面を殴りつけた。
「――くは……はあ……」
すでに志田の顔面は、玲児の拳に何度も打たれ、自身の血で赤く染まっていた。
鼻血で鼻の穴が詰まっているのか、荒い呼吸を繰り返しながら、志田がブツブツと呟く。
「……そんな……私は……先生の悪魔を……取り込んだ……私が……負けるなど……あるわけがない……あっては……ならない――」
眼光をギラリと輝かせ、志田が血の混じった唾を飛ばして咆哮を上げる。
「私が敗北するわけが――」
「やかましい!」
何やら一人ブツブツと呻いていた志田を、構わず全力で殴りつける。
「ぶほう!」と背後に大きく吹き飛ばされた志田が、塀にぶつかり体を停止させた。
志田が激突した衝撃に塀が砕ける。
塀の破片と土煙が舞う中、地面に腰を落として、がっくりと項垂れる志田。
そしてそのまま、彼がピクリとも動かなくなる。
玲児は突き出した拳を脇に下ろすと、座り込んだまま動きのない志田を、しばらく注意深く見つめた。
三十秒、一分と経つも、志田が動き出す気配はない。
「もしや……キリウさんは死んでしまったのでしょうか?」
玲児の背後から、プラトンを抱えたフィリナが近づいてきた。
心配そうに眉尻を下げる彼女に、玲児は「……さあな」と曖昧に応えて、こめかみを指先で掻く。
「怒りに任せて滅茶苦茶ぶん殴っちまったからな……まあ悪魔だってなら大丈夫だろって思いながらだったが……ちと不味ったかな」
途端に不安を覚える玲児。
悪魔を殺すこと自体はどうとも思わないが、志田の場合は自身の体をその悪魔の器としている。
つまり志田に憑依した悪魔を殺すということは、人間である志田を殺すということであり、それは社会的には紛れもない殺人である。
「心配するなレイジ。
月一ぐらいでは監獄に面会にいってやるぞ」
何の解決にもなっていないことを、フィリナに抱かれながら偉そうに話すプラトン。
そんな少年を一睨みした後、玲児は悩ましく思いながら、再び志田に視線を戻す。
するとここで、玲児は足元に落ちている赤い背表紙の本を見つけた。
「……何だこれ?」
足元にある本を拾い上げる玲児。
彼の手にした本を見て、フィリナが目を瞬かせる。
「確か……ユリア様の研究資料だとか何とかキリウさんが仰ってましたよ。
すごく貴重なもののようで、キリウさんがベルトに挟んで持っていました」
「……ふうん」
恐らく志田をぶん殴った拍子に、彼のベルトに挟んでいた本が落ちたのだろう。
ユリアの研究資料の価値など分からないが、何となく本を眺めてみる玲児。
その時――
「――ああああああ!」
「――ぐがあがああ!」
苦痛に満ちた悲鳴が庭園に響いた。
本から視線を外して、玲児は悲鳴の出所に視線を向けた。
彼の視線の先には、体を宙に浮かして苦しんでいる二人の少女がいた。
それは、退魔師の如月皐月と、志田桐生の守護隷であるキシリアだった。
「――ぐ……うう」
宙に浮かんだ二人の少女が、何かを探るように手を首元で動かしながら、表情を苦悶に歪めている。
二人の少女に何が起こっているのか。
玲児はそれをすぐに理解できなかった。
だが反射的に二人を助けようと、少女のもとに駆け出そうとしたところで――
「――その本に触れるな!」
怒りに滲んだ声が庭園に響いた。
駆け出そうとした足を止めて、声の出所に視線を向ける玲児。
そこには、塀に体を叩きつけられ、全身を赤い血に染めながらも、こちらを鋭く睨みつけている志田がいた。
まだ身動きができないのか、地面に座り込んだままの志田。
だがその彼の瞳には、ギラギラとした凶暴な眼光が瞬いており、彼の戦意が失われていないことを物語っていた。
咄嗟に動きを止めた玲児に、志田が荒い息を吐きながら、震える腕を突き出す。
「その本を……返せ……それは……貴様ごときが……触れてよいものではない……素直に返せば……この場は引いてやる……だが逆らうようなら……この二人を……殺す」
志田の語る二人が、如月とキシリアを差していることは明白だろう。
玲児は舌打ちをすると、宙に浮かんだ二人の少女を、苦々しく見つめた。
恐らく二人は、志田の魔術により宙吊りにされているのだろう。
苦しそうに首元を手で押さえていることから、力場で首を絞められているのかも知れない。
志田の魔術ならば容易に二人の首を捻じ切れるはずだ。
それをしないのは、二人を人質に利用して、玲児から赤い背表紙の本を奪い取ろうとしているためだ。
志田にとってそれほど重要となる赤い背表紙の本。
だが玲児にとっては、黴臭い古びた本に過ぎず、当然、二人の命に代えられるものではない。
だが――
(こいつを返したとして、志田が本当に二人を助けるのか分かったもんじゃねえしな)
本を返した後、今度は二人を人質にして、玲児の動きを封じてくるかも知れない。
一度人質という卑劣な手段を取った以上、志田がそれをしないとは言い切れない。
であれば、志田にとって重要となるこの本を手放すことは、得策ではない。
しかし下手に駄々をこねれば、二人の人質の内、一人を見せしめ殺すということも、考えられる。
(……どうすればいい)
もしもこれが普段の喧嘩であれば――
自分はどう動く?
「早くしろ!
決断ができぬなら、今ここで一人殺してやってもいいんだぞ!」
黒い眼球を血走らせて声を荒げる志田。
もうあれこれと考える時間もない。
玲児は志田の赤い瞳を睨みつけながら、瞬時に思考をまとめ上げて――
「……分かった。
本はお前に渡す」
その決断を下した。
玲児の言葉に、志田がニヤリと唇を曲げる。
催促するように、突き出した腕をさらに前に伸ばす志田。
玲児は本を持ち上げると、笑みを浮かべている志田に確認をする。
「……本当に二人を解放するんだな?」
「ああ……もちろんだ。
約束は守る」
「後になって、また二人を人質にして攻撃をしてくるなんてこともねえな?」
「誓おう……そのような手は使わない」
「……それじゃあ……」
そう言って玲児は、手にしていた赤い背表紙の本を、放り投げた。
ただし――
大量の水が流れている噴水に向かって。
「――なああああああ!?」
驚愕に目を見開く志田。
それと同時に、玲児に突き出していた彼の手が、噴水へと放り込まれた赤い背表紙の本へと向けられた。
志田の魔術により、まるで宙に縫い留められるようにして、本がピタリと空中で停止する。
その直後――フィリナに抱えられていたプラトンの首根っこを、玲児は掴み上げる。
「いくぞプラトン!
俺達の究極合体秘奥義『錐もみ回転頭突き』だああああ!」
「ここでか!?
少し待て!
心の準備――」
「どっせえええええええええ!」
プラトンの言葉などきっぱりと無視して、志田に向けて少年を全力で投球する。
ギュルルルとフィギアのように体を回転させながら、プラトンが志田へと直進し――
「へ?
ごわあああああああ!」
本の救出に気を取られていた志田の顔面に、プラトンの頭部が突き刺さった。
下半身のないプラトンが、志田の足元にボテッと落ちる。
プラトンの石頭の直撃を受けた志田――魔術による防御も間に合わなかったのだろう――が、鼻から盛大な血を噴き出して、ペタリと横向きに倒れた。
宙吊りにされていた二人の少女の体が、見えない糸が切れたように、地面へと落下する。
可能なら、落下する二人を颯爽と助けたいところだが、どう見ても間に合う距離でもないため、強かに地面に尻を打つ二人を、玲児は遠目に眺めていた。
ポカンと目を丸くするフィリナ。
尻をさすりながら痛みに表情を歪めている如月とキシリア。
そして目を回して気絶しているプラトンと志田。
それら全員を見回し――
「――なんか……勝った」
玲児は勝利らしきものを噛みしめた。
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「退魔師の私なら、人の体を傷つけずに悪魔を祓える。
死霊魔術師とは違ってな」
そこはかとなく退魔師のプライドを覗かせつつ、如月がそう話した。
悪魔の憑いた志田を、どう扱うか困っていた玲児は、とりあえず彼女の言葉に安堵する。
気絶している志田から視線を外し、玲児は如月を見やり、深々と頷く。
「さすが『みんなの心に寄り添うネットアイドルミーコたん☆』だ。
頼りになるな」
「なぜ私のネットアイドルでの決めセリフを知っている!?」
なぜかと問われれば、興味本位でその動画を覗いたからだ。
鼻息も荒くこちらを睨みつけてくる如月を無視して、玲児はフィリナに視線を向ける。
「だが悪魔を祓うだけでいいのか?
またコイツ、同じことをしでかすかも知れねえぞ」
「……確証はありませんが、恐らく大丈夫だと思いますよ」
フィリナが穏やかな微笑みを浮かべる。
「あくまで印象ですが……キリウさんは悪い人ではない気がします。
少なくとも、悪魔を憑依させる前の彼は、そう感じました。
恐らく、憑依させた悪魔の制御を誤り、自分を見失っていたのでしょう。
一般の人に悪魔が取り憑いて、凶暴化するのと同じことです」
「……そうだとしても、ユリアの悪魔を引っ付けたのは自分だろ?」
「彼がユリア様の後継者となろうとしたことは、間違いないでしょう。
彼はそれだけ自分に自信があった。
しかし自分の力を過信するあまり、彼は悪魔に魅入られてしまったのです。
これで彼も理解したはずです。
自分には後継者たる資格がないと」
「……俺を利用したりユリアの研究資料を持ち出そうとしたりも、相当だろ?」
「それはまあ……彼もあのユリア様のお弟子さんですからね」
フィリナの呟いた、その苦笑まじりの言葉には、妙な説得力があった。
(確かにユリアなら、俺を騙すことも人様の物を持ち出すことも、平気でしそうだが)
とはいえ、やはり容易に納得できるものでもない。
どうにも腑に落ちず眉をしかめる玲児。
その彼に、右腕をなくしたキシリアが近づいてきた。
いつも感情のない表情を浮かべている少女。
だが今の彼女の表情には、憂いのような影が滲んでいる気がした。
「……キリウ……いつも優しい」
「……」
「……お願い」
キシリアの言葉に、玲児は溜息を吐いた。
「……好きにしろよ」
玲児の言葉に、キシリアの表情がぱあっと明るくなる――ということはないが、その表情に滲んでいた影は消えたようだった。
用は済んだと玲児から離れていくキシリア。
すると彼女と代わるようにして、下半身を生やしたプラトンが近づいてきた。
「ところで、俺の活躍について賛辞などがないが、拗ねてもいいだろうか?」
「……心の底から好きにしろよ」
半眼でプラトンを睨む玲児。
何かを思案するようにプラトンが腕を組み、噴水へと向かって歩き出す。
そして何の躊躇いもなく、噴水の囲いにバシャンと飛び込んだ。
全身を濡らして仁王立ちするプラトン。
恐らくこれが、彼なりの拗ね方なのだろう。
そんなどうでもいいことを考えていると、ポケットに入れていた携帯に着信が入った。
携帯をポケットから取り出し、ディスプレイを確認。
発信元はユリアだった。
面倒事には拘わらないと公言している彼女だが、さすがに今回ばかりは屋敷の様子が気になったのだろう。
玲児はそう判断して、携帯電話の通話ボタンをプッシュした。
『もしもし、レイジか?
』
緊張感のないユリアの声。
玲児はこれまでの経緯を頭の中で整理しつつ、話し始める。
「ああ。
屋敷の件については片がついたぞ。
それで志田の野郎なんだがよ――」
『そんなことはどうでもよい。
そちらの用が済んだのなら、さっさと戻ってこんか』
淡々とそう話すユリアに、「は?」と疑問符を浮かべる玲児。
困惑する彼に、ユリアが電話口の向こう側で、やれやれと肩をすくめる気配を見せた。
『その問題はわしには関係なかろう。
そんなことよりも、今日一日は、わしの言うことを何でも聞くと、約束したのを忘れたのか。
今日はまだ終わっとらんのだぞ』
「そんなことって……お前な、さすがに今回は結構やばい状況だった――」
『早く来てよ、レイジ。
あたしデートすっごく楽しみにしていたんだからね、キャピ♪』
ユリアの口調が少女モードに切り替わる。
彼女のふざけた態度に声を失う玲児。
だがすぐに我に返ると、彼は文句の一つでも言おうと口を開いた。
だがその直後――
ユリアにあっけなく電話を切られてしまう。
ツーツーと鳴る電話に、玲児はしばし呆然とする。
電話の内容が気になったのか、如月やフィリナ、キシリアやプラトンが、怪訝にこちらを眺めていた。
携帯電話をポケットにしまい、玲児は空を見上げた。
白い雲がゆっくりと流れていく、底の見えない青い空。
玲児はその吸い込まれてしまいそうな、美しい空に向けて――
「このクソアマがああああああああ!」
汚い言葉を吐き出した。




