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怒髪衝天のメイド1

「また喧嘩なの?

 本当に何を考えているのよ、お兄ちゃんは」


 神奈川県某所。

 どこにでもある住宅街の、これまたどこにでもある一軒家。

 宮良美高校から帰宅した下陰玲児を出迎えてくれたのは、そんな妹からの苦言であった。


 下陰玲児の妹――下陰梨々花。

 玲児とは四つ歳が離れており、十七歳の玲児に対して、妹の梨々花は十三歳となる。

 肩口で切り揃えた黒髪に、玲児と同じ、吊り上がり気味の目尻。

 今はその年相応の幼い顔立ちに、精一杯の不満げな気配を滲ませている。


 頬をプクッと膨らませている梨々花に、玄関に立たされている玲児は、バツが悪そうに苦笑いを浮かべた。

 頬の痣を指先で掻きながら、釈明の言葉を口にする。


「いや……連中からつっかかって来やがったんだよ。

 これはまっとうな正当防衛だ」


「何が正当防衛よ。

 どうせ先に手を出したのはお兄ちゃんの方なんでしょ?」


 梨々花の名推理に、「ああ……どうだったかな……」と曖昧に言葉を濁す玲児。

 その彼の反応を見て、梨々花が「ほらやっぱり」と、呆れたように大きな溜息を吐いた。


「どうしてお兄ちゃんはそう短気なのよ。

 やれガンをつけられた、やれ因縁をつけられた、やれ眼球にバッタを入れられたって、そんなこと言ってすぐに喧嘩してくるんだから」


「言ったことないぞ、バッタは!?」


 梨々花にツッコミを入れ、玲児はむすっと表情を渋らせる。


「確かに俺は喧嘩ばっかすっけどよ、クソ野郎しかぶん殴ったことはねえよ。

 女子供は当然として、男だって向こうが正しけりゃ、暴力なんて振るわねえよ」


 それは最低限、玲児は守っている信念であった。

 例えどれほど腹が立とうと、相手の言い分が正当なものであれば、暴力による解決は行わない。

 あくまで彼が暴力を振るう時は、相手が身勝手な理由により、周りに迷惑を掛けていた時だけだ。


(まあ、そんなことを考えずに、反射的に手が出ちまうことも偶にあるが……)


 意識的ではないのでそれは考慮しないで構わないだろう。

 そう勝手に決める。


 玲児のささやかな反論に、梨々花が小さく息を吐き、吊り上げていた眉尻を落とす。


「……そんなの、あたしだって分かっているわよ。

 暴力はともかく、お兄ちゃんが悪いことしているわけじゃないってことぐらい。

 だけど……妹なんだから心配するでしょ?」


 梨々花の言葉に、玲児もまた眉尻を落とし、溜息を吐いた。


「……悪かったよ。

 これからはなるべく喧嘩はしねえようにすっから」


「……いつもそう言ってるけどね」


 呆れたように半眼になる梨々花。

 だが玲児から一応の謝罪があったためか、彼女の不満顔が、まるで聞き分けのない子供を許すような、優しい微笑みに変わる。


「もう仕方ないな……傷の治療してあげるから、家に上がって」


「ああ……いや、えっと……自分でやるから大丈夫だ。

 サンキューな」


 梨々花からの善意を、玲児は言葉を濁しながら辞退する。

 ニコニコ笑顔の梨々花が「遠慮しないの」と、若干顔を青くしている玲児の腕を、ガシリと掴む。


「ささ、早くあたしの部屋に行こ。

 傷口からバイ菌が入ると大変だよ」


「いやマジで……構わねえでいいから」


「気にしない気にしない。

 駄目なお兄ちゃんをフォローするのも、妹の役目だからね」


「本当に……いらねえから」


「ほらほらクツ脱いで」


 玲児は渋りながらも、最後は妹に押し切られる形で、彼女の治療を受けることにした。


 そして――


「ぶわっ……テメエ、梨々花!

 何で消毒液をそのまま顔面にぶっかけんだよ!

 普通は脱脂綿とかに湿らせて、優しくトントンと傷口に当てるもんじゃねえのか!?」


「だって脱脂綿がきれてんだもん。

 きっと多い分には大丈夫よ。

 はい次は絆創膏ね」


「コラやめ……テメエ!

 そこら中にペタペタ貼るんじゃねえ!

 殴られたのは頬の一発だけだ!

 何だって耳の穴やら鼻の穴やらを重点的に塞ぐ!?」


「一々どこに怪我があるのか確認するの面倒じゃない。

 とりあえず、これだけ貼っておけば、目に見えないような小さな傷だって、問題ないはずよ。

 はい次は包帯ね」


「何でだ!?

 いらねえよ包帯なんて!

 ただのかすり傷――ぐおおおお、首絞めるな!」


「ちょっと動かないで!

 上手く絞められない……じゃなくて包帯巻けないじゃない!」


「いま絞めるって言いやがったな!

 意図的に首絞めてるんじゃねえのか!?」


「お兄ちゃんが変なこと言うから、少し言い間違いしただけじゃない!」


「むぐぐ……テメエ……口塞ぐな!

 いででで腕が!

 包帯で関節きまってる!」


 梨々花による治療を終えた玲児は、全身包帯まみれの、ミイラのような姿となった。


==============================


 神奈川県小田原市立花北地区。

 そこに建てられた洋館。

 死霊魔術師ユリア・シンプソン=ロクスバーグが暮らすその屋敷に、早朝から高らかな声が上がる。


「ふはは!

 ついに現れたな『十二星座』の刺客どもよ!

 昨日はがっつりとお寝坊してしまった可愛い俺だが、今日こそはこの俺――プラトン様の手で成敗してくれるわ!」


 胸を反り返らせて、哄笑まじりにそう叫ぶプラトン。

 小柄な少年から飛び出したその強気な発言に、上空を舞う悪魔がカラカラと笑う。

 赤い体毛を生やした、身丈二メートルになる鷲に酷似した悪魔が、悠然とした様子で腕を組む。


「大きく出たな小僧。

 だがその言葉、すぐに後悔の嘆きへと変えてやるぞ」


 悪魔が宙を踊るように舞い、ビシリとポーズを決めて静止する。

 悠然と佇むプラトンに鋭い視線を向けて、悪魔が声高に自己紹介を始める。


「俺は『十二星座』が一角――キャンサー!

 人は俺のことを地獄の使――ぐばげらあ!」


 自己紹介中の悪魔の脳天を、拳大の石くれが貫いて破壊した。

 パラパラと自壊しながら、地上へと落下する悪魔。

 その無残な様子に、ポカンと目を丸くするプラトン。

 数秒の沈黙を挟み、ふと我に返った少年が瞳を尖らせて、背後を振り返った。


「コラアア!

 貴様、先輩たる俺の活躍の場を奪うとは、何たることだ!

 誠意ある対応として、貴様が悪魔のフリをして俺にボコボコにされるという茶番を要求する!」


 怒れるプラトン。

 自称先輩である少年の言葉を受け、下陰玲児は気だるげに嘆息する。


「朝っぱらからギャーギャーと喧しい。

 倒せたんだから別にいいだろうが」


 きっちりとスーツを着込んだプラトンとは異なり、寝起きの玲児はまだ寝間着のままであった。

 欠伸を噛み殺す玲児に、プラトンが呆れたように唇を尖らせる。


「貴様には美学というものがないのか?

 敵とはただ倒せば良いというわけではない。

 互いが名乗りを上げ、互いが戦闘に対する集中力を最大限に高めた時にこそ――」


「きゃっぴかーん!

 我こそは『十二星座』が一角――ジェミナイでしょり!

 驚くのも無理はないしょろ!

 同じ悪魔が二体にいるのじゃへろも!

 しかーし、一体は幻影であり偽物でごしゃい!

 さあ、貴様らに本物の我が分かるでやんす――ぎべろぼろろ!」


 プラトンが話している途中、突然、庭園にある花壇の中から現れた、全長一メートルほどのモグラに酷似した二体の悪魔を、玲児はダッシュから全力で蹴り上げた。


 二体の悪魔のうち、一体は空気のように蹴りがすり抜け、もう一体は抜群の手ごたえで宙に蹴り上げられ、その体をバラバラに霧散させた。

 消えゆく悪魔をぼんやりと眺める玲児。

 彼の背後に、肩を怒らせたプラトンが駆け寄ってくる。


「だから俺の活躍を奪うな!

 しかも相手は何やら、自分の特徴めいたことを言っていただろ!

 そういうのは、一度恐れ慄かなければならない、お約束のはずだぞ!」


「一体だけが幻って、あんま役に立たねえよな。

 せめて四、五体は用意しねえと」


「向こうにも事情があるのだろう。

 何にしろ、今度こそ俺に活躍の場を用意しろ!」


「分かった。

 善処する」


 嘆息しながら、玲児はプラトンに頷いてやる。

 すると、まるでこちらの会話が終わるのを見計らっていたように、屋敷を囲む塀の上に、一つの黒い影が現れた。


「呼ばれて飛び出てビビビビーン!

 我こそは『十二星座』が一角――アクエリアス!

 我が来たからには、貴様らの快進撃もここまでだ!

 観念することだな!」


「おお!

 待っていたぞ!

 『十二星座』!」


 塀の上に現れた、死にかけたカブトムシに酷似した悪魔に、プラトンが歓喜の声を上げる。

 意気揚々と玲児の前に進み出て、塀の上に立つ悪魔を、プラトンが力強く指差す。


「さあ、俺と尋常に勝負だ!

 これから貴様を八つ裂きにするプランを考えるゆえ、二、三時間ほどの時間を貰うぞ!

 その間、貴様は買い物なり散歩なりを楽しんで――」


 玲児は表情を一切変えないままプラトンの首根っこを掴み上げると、塀の上で威風堂々と立っている悪魔に向けて――


 少年を全力で投球した。


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