もはや切り札ではない
謎と言えば、あの赤いクモもそうだ。この事件の際立った特徴であるあの赤いクモ、あれはただの毒グモではない。魔法によってその在り方を変質させられた、魔法生物とでも言うべきもののようだ。そして、それはユリーシャにとって、驚くべきことだった。
「そんなに珍しいものなのか?ゴーレムや魔法樹と似たようなものなんだろ?」
『ラナンエルシェル』での夕食後に、やや興奮した面持ちでそのことを話し始めたユリーシャに、俺は少し面食らってしまった。もう一人の同席者であるカレンは、興味深そうに俺を見ている。
「分かってないですねぇ…ショウは」
その反応は織り込み済みですよ、と言わんばかりである。ここは専門家の意見を聴くことにしよう。
「そもそもゴーレムは人や馬などを模して一から作られています。その材料は主に木や毛皮、綿などですね。そこには素体となるものはありません」
要するにでっかいぬいぐるみが動いていると思えばいい訳だ。
「でも、魔法樹にはもととなる木があるじゃん」
他ならぬ魔法のことでユリーシャから一本取ってやったぜ…どうよ?
「いいところに気が付きましたねぇ…」
ユリーシャも感心している。鼻高々である。
「木を素体として魔法樹を作ることができるのは、植物のある種の拡張性を利用しているからです」
「ふむ?」
分かるような分からんような…もう少し詳しく説明してほしいところだ。
「例えば、植物は挿し木などの方法によって増やすことができますよね?では、ショウの腕をちょん切って庭に植えておけば、新たなショウが誕生するでしょうか?」
「しないでしょうね…」
そんなことが起きたら怖いぜ。
「それは植物のある種のいい加減さと言い換えても良いかもしれません。だから、魔法樹を作ることはそれほど難しくはないのです」
ユリーシャの説明には、納得できるものがある。
「しかし、あの赤いクモは動物です。動物を魔法生物とでも言うべき存在に変える実験は、これまでにも行われてきましたが…その結果はあまり芳しくないですね」
「なるほど…」
ここまで聴いたところで、俺は腑に落ちないものを感じていた。
魔法樹にせよ魔法生物にせよ、それは魔法技術によって遺伝子を組み換え、新しい形質を得た存在なのではないか…異世界人の俺はそのように考えてしまうのだ。だとすれば、動物でもできるはずなんだがな…。
もちろん、この考え方は俺が異世界人だからだ。それがこの魔法の世界においても正しいと言い切ることはできない。
「にも拘らず、あの人はあのような魔法生物を作りだしました。それだけではなく、毒性も遥かに強化されています。もちろん、魔法樹と同じようにこちらの意のままに動かすこともできます。あの赤いクモは、私にもよく分からない存在ですね…」
説明しながら、ユリーシャは慄然としているようだ。
「そうなのか…」
この魔法オタクがよく分からんと言っているのだ。あの赤いクモが相当とんでもない存在であることは間違いない。
「それで…ショウはどう思いますか?」
困った時の俺頼みは、ブームなのですか?
「できないのは、やり方に何らかの問題があるのか…あるいは、それを邪魔しているヤツがいるのか…そのどちらかだろうな」
「邪魔をしているヤツがいるのなら、それはあの女…ということか?」
ここまで黙って聞いていたカレンが口を開いた。
「だろうな…なぜ邪魔をしているのかは分からんけどね」
「もう一つよく分からないことが…どうしてアリューシャの殺害に赤いクモを使おうとしたのでしょうか?」
それが分からないとはユリーシャ君、ちょっと意外だね。
「あれは未遂に終わったが、確かにあそこで赤いクモを使う必要はなかった。とすると、それは非合理的に見えるんだけどな…クモの侵入は蚊帳で防げるんだよ。それは他ならぬあの女が言っていたことだ」
所詮はクモだ。意外と簡単な方法で無力化できる。
「それが分かってしまえば毒グモへの対処は簡単で、もはやたいした価値はない…ということになるのだろう」
それは分かっていたカレンが、あの女にとっての赤いクモの持つ意味を類推した。
「あの赤いクモは、誰もその存在を知らない時でしか切り札にならないんだよ」
「ですが…切り札を先に切るというのは悪手ではないですか?」
いいところに目を付けたね、ユリーシャ君。確かにカードゲームなどでは基本的にそんなことをしない。
「それを先に切ったってことは、別の切り札が…もっとヤバい何かを持っているんだろうな」
困ったもんだね…これは。
「その何かはもちろん私達には分からない…厄介だな」
「それは…そうですね」
カレンが難しい顔で嘆息し、これにユリーシャも同調した。
「何を隠し持っていようが、あの野郎を好きにさせる訳にはいかないんだ。見つけてきっちり落とし前をつけてやるさ」
俺はそんなに落ち込むんじゃねえと言わんばかりに、強い意志を込めて言い切ってやった。
アイツは許せない…その思いは変わりようがない。もちろん、レガルディアに喧嘩を売るような女だから、何が飛び出してくるかは分かったもんじゃない。十分に気を付けなくてはならないだろう。




