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水端

 「おい!大丈夫か?」


 白妙(しろたえ)に連れられ先についていた(しょう)が、不安げに駆け寄ってきた。


 「ああ・・・・・。大丈夫だ。」


 俺が気の抜けた声で答える横で、光弘(みつひろ)もゆっくりとうなずいた。

 その様子をほっとした表情で確認した都古(みやこ)は今度は壁に向かって歩き出した。


 「こっちだ。」


 真っ白い雪でできたような壁の前まで来ると、都古は左手で壁に触れ、もう一方の手を胸のあたりに拝むようにあてた。


 「彼呼迷軌(ひよめき)より 水端(みずはな)(くぐ)りて (みそぎ) (はら)(たま)え」


 都古が唱え終わると同時に、触れている場所を中心に壁がとろりとした(うず)を巻き始めた。

 触れていた左手が、壁の中にトプリと入っていく。


 どうなってるんだ・・・・・・中に入れるのか?


 「みんな。こっち。」


 都古に促された俺たちは、恐る恐る壁の中に手を・・・・・そして身体を入れた。


 冷たっ・・・・・。

 水の中に入ったみたいだ。

 身体が重い。

 息・・・は、できるんだな。


 真っ白い世界に、都古の姿だけが見える。

 都古の背を負って重い手足を動かし壁の中を抜けると、そこには緑色の世界が広がっていた。


 水の中に入ったと思ったのに、服はちっとも濡れてないや。

 それにしても、不思議なとこだな・・・・・。


 樹々が生い茂っているのに、森の中のように暗くはなく、全てがほんのりと輝いていて明るい。

 咲き乱れる花々から、甘やかな香りがしている。

 透き通った水が流れる小川の川底では、敷き詰められた大小色とりどりの小石の陰で、魚やカニのような小さな生き物の影が見え隠れするのが見えた。

 樹々や地面からは、たくさんの動物たちや虫たちの気配も感じられる。


 なんだ・・・・・このでかいの。


 振り返った俺は、そこに途方もなく大きな木のようなものを見つけ、言葉を失った。

 「大きな木のようなもの」と俺が思ったのは、あまりにもサイズが規格外過ぎて、正直木に見えなかったからだ。

 入り組んだ巨大な根や木の幹は視界を埋め尽くし、小山のように見える。

 見上げるとまるでこちらに傾いてくるような錯覚(さっかく)を覚え、足がふらつきそうになった。


 いろんなところから枝が伸びているし、信じられないけどやっぱりこれ、めちゃめちゃでっかい木だ。

 俺たちは、あの根っこに空いた穴から出てきたのか。

 それにしても、何を探してるんだ?都古は。


 こちらにくると、すぐに何かを探し始め、きょろきょろと辺りを見渡していた都古だったが、「あっ!」っと短く叫ぶと大樹(たいじゅ)の根元へ向かって駆け寄った。

 絡み合った巨大な根元が一か所怖いくらいボロボロに崩れて、大きな穴が開いている。

 穴の中心で、なにか小さな毛の塊のようなものが丸まっていた。


 あれはなんだ?・・・・・鳥・・・・・か?


 「(ゆい)!どうしてっ。」


 都古は今にも泣き出しそうな声で呼びかけながら、そいつをそっと抱き上げた。

 都古の小さな手の中に、白銀の虎模様をした、仔猫のような生き物が、ぐったりとして包み込まれている。

 ふわふわの毛並みは、流れ出た血でべっとりと汚れてしまっていた。


 なんの生き物なんだ?

 物凄く小さな猫に見えるけど、羽があるし、尻尾も3本も生えてる。


 「そいつは?」

 「神妖(じんよう)だ。精霊の(たぐい)だと言えばわかるだろうか。」


 勝の問かけに久遠が答える。

 都古の呼び掛けに癒と呼ばれた神妖はうっすら目を開けた。

 衰弱が激しいのだろう、意識があまりはっきりしていないようだ。

 だが、そんな状態にもかかわらず、癒は俺の後ろに立つ光弘を目にしたとたん、都古の腕を無理矢理離れ、光弘へ向かいフラフラと歩き始めてしまったのだ。


 「・・・・っ!」


 光弘は、いつ倒れてもおかしくない足取りで寄ってくる、ボロボロに傷ついた小さな癒を慌てて抱き上げた。

 すくい上げると同時に、気を失い死んだように動かなくなった癒。

 癒を手のひらで大切に包み込むと、光弘は真っ青になりながら、助けを求めて辺りを見回した。


 「これを使え。」


 白妙が、薄緑色のガラスの小瓶と白い綿(わた)を取り出し、光弘へ手渡した。

 光弘はコクリとうなずいてそれを受け取ると、急いでその場にしゃがみ込んだ。

 切迫した表情で瓶の中身を綿に含ませ、膝に乗せた癒の傷口に優しく当てる。

 傷口からジュッ!っという音が鳴り、白い煙が立ち上った。


 「痛むのか!?」


 ビクリと身体を強張らせる癒。

 光弘は慌てて傷口から綿を離し、癒の背をいたわるように撫で続けた。

 さっきから(かたわら)で見ていることしかできないでいる俺たちにも、見たこともない生き物・・・・しかも、今会ったばかりの癒を、光弘が心の底から心配しているのが伝わってくる。


 「安心せい。傷口を見てみよ。」


 そんな光弘の姿を温かい眼差しで見つめていた白妙が、癒の傷を指さした。

 見てみると、そこにあった傷は血の跡も残さず、跡形もなく消えていた。

 癒がゆっくりと顔を上げ、驚きに目を丸くしている光弘を真っ直ぐに見つめる。


 「ずっと会いたがっていたんだ。」


 都古の言葉にうなずくように、癒は光弘に頭を()り寄せた。


 「その時がきたら、必ず会わせるって約束してたんだ。だけど・・・・・。」


 都古がみなまで言わなくとも分かった。

 こいつは、無理矢理にでも光弘のところへ行こうとして、この大樹へと体当たりをくりかえしていたのだろう。

 そして、都古がここへ光弘を連れてきたのは、恐らくこの神妖と会わせるためなのだ。


 「神妖は、この場所で植物や動物など様々なものから命を得て生まれる。」


 それまで成り行きを見守っていた久遠(くおん)が静かに口を開いた。

 久遠の言葉に、俺たちは耳を傾ける。

 神妖というのは恐らく俺たちの身近な表現でいうところの、妖怪や妖精といった者たちのことなのだろう。


 「彼らの多くは、ここ命逢(みお)に生まれ、ここで生涯を終える。だが、他の世界へ旅立ち、そこで生きることを選ぶ者もいる。癒や白妙がそうだ。」


 勝は頭の中がパンクしてしまったのか、白妙の腕の中でいい顔をしたまま固まってしまっている。

 その隣で光弘が癒を優しくなでながら、真剣な面持ちで話を聞いていた。


 光弘は(さと)い。

 口数が少なく、目立つ行動を好んで行うタイプではないため気づかない者も多いが、勝(いわ)く、一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知るような人間だ。

 久遠の様子から、この話が自分と癒にとって深くかかわる大切なものだと認識し、一言一句(いちごんいっく)聞き()らさないように気をはっているのだろう。


 「異界で生きる者の中に、まれにだが、契約を交わし主従関係を(きず)く者がいる。(おのれ)(あるじ)を守り抜いて一生を添い遂げる道を選ぶ者だ。癒が君の元へ行こうとするのは、その契約を望んでのことだろう。」


 久遠のその言葉を聞いた途端、癒を撫でている光弘の手がピクリと動きを止めた。


 「それは・・・・・・こいつを俺に縛り付け、死ぬまで俺のことを守らせる。そういうことですか。」


 光弘の声が響くと同時に、辺りの植物や生き物たちが急にざわめき出した。

 眉間にしわをよせ、視線をふせたまま殺気に近い激しい嫌悪の気配を放つ光弘に、久遠とその隣にいる翡翠(ひすい)は驚いた表情をみせた。

 正直、翡翠としては、この年頃の子供であれば神妖の存在を喜び、物語の主人公になったような高揚(こうよう)感をもって、すぐにでも契約を受け入れるだろうとばかりに思っていたのだ。


 だが光弘は、どこまでも一途に、先ほど腕に抱いたばかりの癒の事だけを思いやっている。

 久遠も同じ考えだったのか、翡翠と視線をかわす瞳は驚きと羞恥(しゅうち)の色に染まっていた。

 だが、俺と勝と都古は少し違った。


 俺たちは、光弘が怒るところを初めて見たのだ。

 光弘が初めて見せる攻撃的な様子に驚き、俺たちは息をのんだ。


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