3.金色のバカ、ヒキコモリやめるってよ
3.金色のバカ、ヒキコモリやめるってよ
「明。ひーまー」
「俺だって暇だっつの」
ベッドの上に寝転がりじたばたするクロと、ベッドを取られたので床で寝るしかない俺。クロが俺のもとに現れてから、俺は一度も自分の布団で寝ていない。クロも俺の部屋以外に行けるようになったのだから俺の部屋以外で寝ればいいものを、帰巣本能的何かなのか、俺の部屋にほとんどいる。
しかし、パソコンが壊れた今、実に暇で仕方がない。何せ、この部屋にはパソコン以外で暇を潰せるものがほとんどないのだ。とある事情で手に入れたPS2も父さんに取られてしまった。あるのはバラバラの巻数のマンガだけ。あと、教科書とかあるけど、勉強なんてするもんか。
「暇だ、暇だ、暇だ」
クロはゲーム中毒のように喚いている。でも、俺も確かに暇だ。
「俺って本当にゲームだけだったんだな」
そんな虚しい気持ちがこみ上げてくる。
「私がいるよ」
「そうですねー」
「なに、そのやる気のない返事」
今すぐ新しいパソコンを買いに行けば、暇も潰せるだろう。でも、家の外なんかに出たくはないし、そもそもにお金なんてない。だから、パソコンを手に入れるためには家族を説得しなければならないわけだが、先週、家族を説得しようとして、物凄くひどい目に遭ったわけだから、そして、俺のヒキコモリの原因であるのはパソコンである訳だから、色々と面倒である。
「今頃、俺と同じような高校生は学校で授業を受けてるんだろうな」
当たり前のことが当たり前のように感じられない。たった一年。されど一年なのだ。
「学校ってどんなところなの?」
「そうか。クロは学校に行ったことなかったんだもんな」
「ちょっとくらいは知ってるもん」
「はいはい」
俺はクロの境遇を思い出して、少し心が暗くなる。でも、それをクロには悟られたくなかった。
「学校がどんなところって言われても、案外説明が難しいな」
学校といえば学校なので、一体どこから説明すればいいか。
「クロは小学校にも行ったことがないのか?」
「保育園には行ってたらしいけど、覚えてない」
「そうか。基本的には保育園みたいなもんだけどな」
少し違うといえば違うのだが。
「同い年の子どもが勉強するために集まる場所、かな?」
「じゅくってやつも一緒なの?」
「うーん、どっちかというと、塾は保育園に近いかな。塾は学校以外に勉強したいやつが行くところだな。保育園は別に行かなくてもいいところだし」
「学校は行かないといけなかったところ?」
「そうだな」
ずっと父親に閉じ込められていたクロは学校さえ知らない。本当に不憫な子どもだ。
「中学までは義務教育って言って、行かなくちゃいけない」
「どうして?」
「どうしてなんだろうな」
そうやって尋ねられると、答えられないものだ。俺が親みたいに決まり文句を言えればいいが、俺はそんなに年季が入ってない。
「やっぱ勉強のためかな」
「なんで勉強するの?」
「バカにならないため?」
「でも、金色のバカの方が私よりバカじゃん」
「アルファベットも知らなかった奴にバカ呼ばわりされたくねえよ」
「私には知識がなかっただけだもん。頭の良さって、こう、気品とかそういうものから溢れてくるのではなくって?」
「なんだよ、そりゃ」
だが、なんとなくクロの言いたいことも分かるのであった。例えば、色々な知識を持っている学者がいたとする。その学者は色々なことを知っているが、現実にどのような数式がどのように作用しているかを知らなかったりするわけだ。知ってはいても、どのように現実に作用するかは知らないとか。ようするに、IQとかの話だろう。ほら、お前らの周りにもなぞなぞか得意なヤツがいただろ?
「勉強するなら、一人でもできるしな」
一か所で集まる意味もないのだ。
「明、しないじゃん」
「ああ、しないけど」
「バカ」
「バカ言う方がバカだ」
全く、いつもの調子である。
「明はどうして学校に行かないの?」
ああ、またこれか、と俺は思った。
「面白くないからだよ」
俺は即答する。クロは自意識過剰だから、俺が学校に行かないのはクロが寂しがるからだとか思ってそうだしな。
「本当に面白くなかったの?」
「ああ」
別に苦しくもなかった。だから、きっと、俺はヒキコモリになったんだろう。面白くも苦しくもないなんて、そんなの無意味にも程がある。
「ふーん。結局学校がどんなところか分からない」
仕方がないので、俺はクロに学校がいかにつまらない場所なのか説明した。
俺とクロは面白くもない話をして時間を潰すほかになかった。
「なあ、母さん」
俺はリビングへと降りてきていた。母親はせっせと夕食の準備をしている。
「知らないわよ」
「まだ何も言ってないって」
クロは俺と一緒に降りてきていた。今はテレビを見ている。
「ご飯の時間じゃないのにあんたが降りてくるなんて、どうせ碌なことでもないんでしょ。もしかして、クロちゃんを妊娠させた?」
「何言ってるんだよ」
「まだ時期的に早いか」
「脳内妹をはらませるなんてヤバいやつじゃねえかよ」
すると、母親はウンザリとした目を俺に向ける。
「あんたはね、それほどヤバい人間なの。ヒキコモリなんて、ヒマラヤのビックフットなみに意味が分からない生き物なの」
「ヒマラヤはインドだからイエティだろうに」
「口答えしない」
それは指摘だと思うが。確かに、ヒキコモリは良くないとは思うが、この信用のなさは一体なんだろうか。
「母さん。パソコンが壊れたんだ」
「大きな音がしてたのはそれね」
母親は興味を無くしたように買ってきた野菜を仕分けて冷蔵庫に入れ始める。
「新しいのが欲しいんだ」
すると、思いっきり舌打ちをされた。
「あんたさ、一緒にご飯を食べたら学校に行くって言ったんでしょ?あんた、それも守れてないこと分かってる?なのに、パソコンを買え、だなんて」
「学校に行くからさ」
「それが言葉だけって言ってるの」
母親の怒りを含んだ声にクロはビクンと体を反応させる。突然のことに驚いた猫の様だったけど、その後、ひどく怯えるように体を震わせている。まだ、いや、きっと一生?クロはトラウマに悩み続けるのだろう。
「今度は本当に行くから」
「行ったら考えてあげてもいいわよ」
深くため息をついて母親は続ける。
「たった一日でも頑張ってみなよ。あんたにもいろいろあるとは思うけどさ、みんなはあんたがまた頑張って学校に行けるって信じてる。それに、クロちゃんもそうして欲しいって思ってるんでしょう?女の子を泣かせちゃダメよ」
「そうだな……」
クロの泣く顔を俺は二度と見たくはなかった。クロの涙を見た瞬間、心が苦しくなって、本当に死んでしまいたい衝動に駆られるんだ。だから、俺のためにもクロはずっと笑顔でいてほしい。
「明日、頑張るよ」
そう言って俺は部屋に戻っていく。
「大地の部屋になんか変なヤツが嫌がるデス」
「アリサちゃん。これ、うちのおにいちゃんなんだ」
「死亡フラグ調に言うなよ」
俺は大地の部屋に来ていた。大地の部屋には大地の友達らしい女の子がいる。金髪で青い瞳の女の子。どう見ても日本人ではないが、日本語ペラペラである。
「アリサは日本人デス」
「まあ、どうでもいいがな」
「コイツ、地味にウザいデス」
七三っぽくしたおでこが特徴的な少女だった。
「アリサちゃん。おにいちゃんは脳内妹にしか興味ないから気にしないで」
「なーんだ。そうだったデスか」
「納得するんじゃねえよ」
今、部屋にはクロはいなかった。だから、俺は大地に話した。
「俺、学校行こうかと思ってさ」
「頭おかしくなっちゃった?」
随分な言いようであるが、それが当たり前の反応である。
「パソコンが壊れておかしくなってしまったんだろうな」
俺は乾いた笑みで答える。本当に馬鹿々々しい。今さら学校に行くだなんて。
「色々とおにいちゃんの好きにすればいいんじゃない?」
前のように殴られでもするかと思ったけど、そうでもなかった。
「別に大地たちは助けはしないよ。ただ、やっぱり、ちょっと残念かな」
「何が」
すると、大地にもアリサにも溜息を吐かれる。
「アリサ様デス」
「おにいちゃんが家を出る理由が家族のためじゃないから、かな。そして、自分のためでもないんでしょ」
いや、俺は自分のために学校に行くのだ。新しいパソコンを手に入れるために。決して、この家から出られない少女のためではない。
「きっとあの日以来、大地たちはおにいちゃんについて怒ることを止めたんだと思う。だから、何も言わないし、手も貸さない。おにいちゃんはもう自分で何かをできる人だってみんな気がついたから」
妹の言うあの日とは、高嶋家に向かったあの日のことだろう。クロの本当の家。そして、未だ悲しみの残る場所。
「おにいちゃんがするべきことは、きちんとクロと話すことだと思う」
いつもお調子者の大地にしてはかなり真面目な話だった。
「で、だ。愚弟よ。どうして私の部屋でくつろいでいる」
「まあ、色々とな」
俺は天姉の部屋でくつろいでいた。天姉の部屋にはマンガ一つない。とてもまじめなのだ。今だって、机に向かって勉強している。
「……」
しばらく黙っていた天姉は大きくため息をついた。
「クロとなにかあったのか」
「天姉はクロのこと見えないんだよな」
ああ、と天姉は返事をする。
「俺には天姉がクロのことが見えているように見えたからさ」
「そう言う風に接しているからだよ」
「どうして」
「お前と同じ理由だ」
それはどう言う意味なのか俺にはよく分からない。俺はうるさいクロに仕方なくつきあっているだけだ。クロが見えないのにクロに優しく接している天姉とは違う。
「クロってどんな子なんだ?」
クロの過去を知った。でも、それだけなのだ。俺はクロの何一つ理解しちゃいないんだ。
「それはお前の方が分かっているだろう」
つまらない話をするな、という風に天姉は言った。
でも、クロがなにを考えているかなんて分からない。
「聞きたいのはそれだけか」
天姉は興味なさそうに聞いて来た。
「クロは俺が学校に行ったらどう思うかな」
「寂しがるだろうな」
天姉は即答した。その答えに俺の胸は軋む。
「でも、それ以上に喜ぶだろう。クロもお前もバカだからな」
「どういうことだよ」
ふふ、と天姉は笑う。そんな風に天姉が笑うところを俺は久々に見た。
「本当にお前たちは似たもの同士だ」
どうも天姉は俺をからかっているらしかった。
クロは部屋のベッドでごろごろしていた。もうそこが定位置といった風にずっといたりする。寝る時も俺のベッドで寝るので、俺は床に布団を敷いて寝ている。
きっともう何度も読んだであろうマンガを読んでいるクロに俺は尋ねる。
「なあ、大地や天姉のところには行かないのか」
「だって、二人とも私のことが見えないじゃん」
クロの姿が見えるのは俺だけ。俺はクロにとっての特別な存在だ。クロと現実を繋ぐ要。だから、俺は怖くなる。俺がいないと、クロが俺の目の前から消えてしまうと、あの日のようにすっと消えていなくなってしまうんじゃないかって。
「もし、だ。俺が学校に行くとしたら、行ってしまうとしたら、どうだ」
「どうだって?」
クロは分かっている。俺が聞きたいことが何であるかを。
でも、きっと、これは俺が勇気を出して言わなくちゃいけないんだ。
「俺が学校に行ったら寂しくないか」
「学校に行けるの?」
「真剣に答えてくれ」
俺はクロを睨む。クロは少しうんざりした素振りを見せながら、ベッドに座るように腰かけ、俺を見つめる。
「ねえ、明。私のパンツの色、知ってる?」
「し、知るかよ……」
クロの意図が読めず、俺は戸惑う。こう、上目遣いに見られると嫌な雰囲気になってしまう。俺はこの部屋に男と女が一人ずついるということを認識してしまっていた。
「私、心配だよ。女の子の今日のパンツの色も知らない、気にならない男が急に学校に行くなんて。それは動物園から逃げ出した狼が羊の群れに飛び込んでいくようなものなんだから」
「つまりは、クロ。お前は俺を性欲に飢えた狼だとでも言いたいのか?」
「違うの?」
当たり前だ、といった顔をされて俺はひどく落ち込む。
すると、クロはキャハハハと笑いだす。
「冗談だよ。金色のバカ。そう。金色のバカは金色のバカなんだから大丈夫」
なんだか勝手に納得されてしまった。
「私は自分の不安を明の心配だと偽ってた。誤魔化していた。でも、明は、金色のバカはもう大丈夫だ。ずっと大きく成長してしまった」
それは俺も同じだ。学校に馴染めるか不安なのを、クロがいることを理由にして、クロが心配だと偽って誤魔化した。
クロが前へ進む決意をしたんだ。
ここでやらなきゃ、男が廃る。
「ちなみに、私は穿いてないぞ」
「な、何が……」
クロはちらりとスカートをたくし上げる。
「おおぉ」
俺は白くて柔らかそうな太ももを見て、その先を見ようと身をかがめる。だが――
「そんなわけないだろう」
「……」
ぱたり、とクロはスカートを下ろす。そりゃそうだよな。
「不安かって言われるとそりゃ不安だよ。私も。でも、明が頑張るって言うなら、私だって頑張る。だって、まろはパライソス星の姫だからな!」
「その設定、まだ引っ張るのかよ」
でも、クロの言葉に俺は元気を貰えた。
「寂しくて死ぬんじゃねえぞ」
「もう死んでるもーんだ」
ははは、と俺たちは笑い飛ばす。
もう、笑い話になってしまうほどの話になっていたのだ。
俺は、明日、学校に行く。
「ようやく上り始めたばかりだからな。この通学路をよ」
「打ち切りじゃねえか!」




