第2話:それこそ箱推し感情
◆◆◆【アデル】
「婚約者失格かも」
パーティから数日後。
アデルは薔薇の咲き誇る艶やかな庭園のテラスで、バタークリームたっぷりのケーキにフォークを差し込んでいた。
見た目と違い、スッととろける甘さ控えめのケーキは、アデルの心とは正反対に軽やかな味わいだ。
アデルは貴族学校時代の親友の屋敷に招かれ、お茶の席で悩み事を溢していた。
「あら。でしたら、アデルも婚約をやめてしまわれたら?」
ケロリとした口調でそう口にする親友は、同い年の子爵令嬢で、名をコレットという。
知的な青い髪を指でいじる彼女は、先月に婚約破棄されたばかり。だが、まったく暗い様子を見せないことに、アデルは驚かされていた。
「女性をほったらかしにするクズ男なんて、こっちから捨ててやればよろしいのですわ。さようなら、婚約者失格男。もう会うことはないでしょう」
「違うわ! ユーリス様はクズ男じゃないわ。ただお仕事がお忙しいだけで……っていうか、婚約者失格は私のことよ!」
「まぁ、アデルが?」
コレットは小さく首を傾げた。
コレットはアデルの婚約事情について知っており、ユーリスの話をするたびに彼のことを「クズ男」と罵っていた。
彼女は可愛い顔をしているが、性格は割と苛烈。しかし、いつでもアデルの味方だった。
「ついに一発食らわせましたの? 『私と団長、どっちが大事なの?』と」
「そんなの決まってるわ。ユーリス様がバルドゥル団長を優先するのは、当然のことよ。幼馴染だし、国のためにもなるし」
「相変わらず、物分かりが良すぎますわ」
「うぅん、でもね――」
アデルはティーカップをスプーンで掻き回しながら、差し入れの一件を話した。
ユーリスへの差し入れを、彼は騎士たちに横流ししていたこと。
バルドゥルや部下の騎士たちが、それを美味しく食べたらしいこと。
それを知ったアデルは、悲しむどころか喜びを感じてしまったこと。
「本来は、ユーリス様に蔑ろにされて悲しむ場面でしょ? それか怒るとか悔しがるとか。でも、違うの。『ユーリス様、グッジョブ!』くらいに思えちゃって、騎士様たちの笑顔を想像するだけで、お釣りが山ほどくるくらい嬉しくなるのっ! 私、どうしちゃったのかしら⁉」
王国騎士団のことを想うと、勝手に頬が熱くなってしまう。
アデルが火照った薔薇色の頬に手を当てて、赤裸々に胸の内を吐き出すと、コレットは「アデル、あなた――」と息を吞んだ。
「――それは、“箱推し”の喜びではなくって?」
「はこおし?」
アデルのグリーンの瞳は、聞き慣れない単語にまん丸になった。
「“箱”は複数人の団体を指し、“推し”は、力になりたい、支えたい、見守りたい、そんな温かくて眩しい気持ちを向けたくなる憧れの対象。能動的な“推す”は、“推し”への肯定的な行動ですわ。つまり、“箱推し”は推し団体全体を応援することなのです」
「そ……そんなこと許されるの? 恋人や伴侶がいながら、他の誰かを応援するなんて。尻軽な女ってことにならない?」
「“推し”への感情は恋慕の情にあらず。恋愛感情に囚われず、自由に楽しく応援すること……――“推し活”は、人生を豊かにするのですわ!」
椅子から立ち上がり、顔の横でグッと拳を握りしめるコレットの相貌は、実に大きな自信に満ち溢れていた。
アデルは自分の知らない世界を堂々と楽しげに語る親友に、すっかり面を食らってしまった。
「まさか、コレットも推し活を?」
「えぇ! 私は“ルミエール歌劇団箱推し”。“リーダー単推し”だった時期もありますが、今は5人の絆がエモいのですわ!」
「待って! 知らない単語が増えたんだけど?」
「“単推し”は一人を推すことですわ」
コレットは劇場に足繁く通うだけでなく、事務局を通してプレゼントを贈り、歌劇団のテーマカラーの花を飾り、自室には公式グッズを並べ、浴室では歌劇団の歌を歌い、結成記念日には、お祝いの気持ちいっぱいでケーキを食べると話した。
そんな活動に精を出していたら、婚約者から見限られてしまったものの、コレット自身はむしろ推し活に専念できると、前向きに捉えていると言う。
アデルのもやもやとしていた気持ちは、コレットの推し活論によって、見事に蹴散らされていた。
アデルはコレットに釣られて、すくっと立ち上がった。
「じゃあ、私が王国騎士団に感じる熱い想いは? 王国騎士団に料理を食べてもらえて嬉しい気持ちも、できればナマの笑顔を拝みたいって願いも……?」
「えぇ。“騎士団箱推し”感情ですわ」
きっぱりと肯定され、様々なことがすとん……と腑に落ちた。
自分の感情に名前が付いたことに対する安堵だけでなく、婚約者のユーリスの言動についてもだ。
アデルの目に受かんだのは、バルドゥルにべったりなユーリスの姿だ。
「ユーリス様がバルドゥル団長を敬い、お力になりたいと尽力される純粋なお気持ちは……、もしやバルドゥル団長への――」
「単推しですわ! “バルドゥル団長単推し“。しかも、激推し‼」
「そっか……そっかぁ~!」
ふっと緩んだのは、アデルの表情筋だけではない。凝り固まっていた婚約者像が、するすると緩んで解けていった瞬間だった。
これまでアデルには、婚約者に振り向いてもらわなければ、自分には女としての価値がないのでは……と不安に思ったことが何度もあった。ユーリスの考えていることが分からず、接し方に悩むことなんて毎日だった。
けれど、アデルはアデルなりに理解した。
ユーリスは今の自分と同じように、“推し”への愛を持っているのだと。
ユーリスはずっと、熱いバルドゥルに推し活をしているのだと。
「私とユーリス様は、推し活仲間……。推し感情を差し置いて、よそ見をしろなんて……とんでもないわ!」
バチィィンッ!
アデルはコレットと魂の同胞が交わすような、力強い友情の握手を交わした。
「私、もうユーリス様に振り向いてほしいなんて思わない‼ それぞれが好きなように推し活を楽しめばいいのよ‼ 私、ユーリス様も他の騎士様も、みーんなまとめて箱推しする‼」
「ようこそ、こちら側の世界へ!」
「お邪魔します! 新世界!」
高温のお茶会を居心地悪そうに見つめている使用人たちの視線など、おかまいなしだ。
「ユーリス様、大丈夫かな……」
クズ男こと、ユーリスを案じる彼らの不安は、数日後に的中することになる。




