73話 きっとこの世で一番暖かい別れの言葉
「さっみしいなぁ、せっかくだから今日一日くらい泊まっていってくれてもいいのに」
「ごめんなさい、おじさま。でもやっぱりいつまでもここにいる事は出来ないので」
「ん~でもねぇ」
「だめ……困らせちゃ……」
見送りに来た店の前で名残を惜しむジムの服をパタタ軽く引っ張りなが首を左右に小さく振った。
「……そうだね、困らせちゃいけないね。でも、今日ここでアンヌちゃんに会えて良かったよ、明日からしばらく店を閉めなくちゃいけなかったからね」
「お店を閉めるってどうし――」
言ってか気がついたんだろう、口にしかけた言葉を途中で飲み込んで姫さんは目を伏せた。
明日の朝にはこの辺りに住む人達には避難勧告が出される事になっている。
「……ここ最近何があったのか、これから何が起こるのか少しなら分かっているつもりだよ。しがないパン屋でしかない私達には想像も出来ないけれど、きっとアンヌちゃんも今日まですごく大変だったんだろう?」
「ごめんなさい、私が至らないばかりにこんなことに」
そういって落ち込む姫さんにパタタさん不意に歩み寄り。
「……ぎゅ」
そう言って静かに抱きしめた。
どうでもいいい事だが、姫さんの胸に抱かれていた俺は必然二人に挟まれて押しつぶされる形になる、いやまぁだからなんだというわけじゃない。
そうして時間にして一分くらい柔らかな圧迫に悶々……じゃないっ! 耐えていると、パタタは静かに姫さんから離れていった。
いや何も言わないのかよとは思ったが何も言わずとも姫さんには何か伝わる物があったんだろう、その表情は少しだけさっきよりも穏やかな様に見えた。
そんな様子を見届けて、ジムのおっちゃんが一際威勢のいい声を上げる。
「さてっ! 正直まだまだ名残惜しいけれど、これ以上引き留めるのもよくないね。アンヌちゃんはこれからあ・そ・こ・へ行くんだろう? だったら気をつけてね、この辺りの治安もおかげで大分マシになったけれど、あの辺りにはまだ物取りまがいのチンピラが出るそうだから」
「はい、分かっています。でも大丈夫です私には頼れるナイト様がが付いてくれていますもの」
そう言って姫さんが俺に微笑みかける。
ナイト様だなんて言われた事が、こそばゆくってフンッと俺がそっぽを向くと姫さんはまた柔らかく微笑んだ。
ジムとパタタに別れを告げて姫さんは歩き出そうとしたその時。
「……アンヌちゃん」
後ろから声を掛けられて姫さんが振り返ると、パタタさんが小さく手を振っていた。
「いってらっしゃい」
控えめな笑みを浮かべてパタタさんは、一言そういった。
「ああ、そうだね。いってらっしゃいアンヌちゃん、体には気をつけるんだよ」
続いてジムのおっちゃんを優しい笑みを浮かべながらパタタさんよりも大きく手を振る。
いってらっしゃい、いつか帰ってくることが前提のそれはきっとこの世で一番暖かい別れの言葉なんじゃないだろうか。
見送るジムとパタタ、そしてそんな二人を見つめ手を振り返す姫さんの顔を見ていたらそんな風に思えた。
ジムとパタタの二人はいつまでもその姿が見えなくなるまでずっと店の外で俺達を見送ってくれていた。
「なんつうか騒がしい人達だったな」
二人の姿が見えなくなったところで、俺は姫さんに話しかける。
「いや騒がしいのはほぼ百パーセントをジムのおっちゃんの方か。体感一人で三人分くらいのテンションだったろうありゃ。逆にパタタさんの方はびっくりするぐらい静かなもんだったが」
随分対照的な夫婦だったが、なんだかんだあれはあれでバランスがとれているのかもしれない。
「そうですね、少し変わったお二人かもしれませんね。でも、優しくて素敵な方達だったでしたでしょう?」
「ああ、まぁ……そうかもな」
なんつうか姫さんの知り合いらしい人達だったよ、ていうのは口には出さず胸の中だけにとどめる。
姫さんの抱える秘密がなんなのかはまだ分からないが、それでも俺の知らない彼女のことを少しだけ覗けた様な気がする。
「そういや今気づいたけど、姫さんはあの二人の前で話すときはちょっと声が低くなるんだな」
「えっ? そうでしたか?」
「ああ、普段より口調も子供っぽかった気がするし、ひょっとして普段はキャラ作ってたりしてんのか?」
「別にそんなつもりはないのですが……もう、からかわないでください」
姫さんの視線がふいっと逃げる、これはひょっとして照れてるのだろうか? だとすればこれは珍しい。優越感で思わず口元がニヤつく。
「でも、とっても嬉しいです」
「は? 何が?」
「だって、そんな些細な変化に気がついてくれるほど私の事を見ていてくだっさているのでしょう? それが嬉しいのです」
そう言って、姫さんはまた本当に嬉しそうに笑うのだ。そんな顔をされてしまうとまたむずがゆくって俺の方がふいっと視線を逃がす羽目になる。
むっつりと黙り込んだ俺の頭を姫さんはいつものように撫でようとしてくる、せめてもの抵抗にそれを尻尾で弾いて阻止するがそれでもその微笑みは崩れる事は無い。
まったく、この人には敵わねぇなあ、そう思うのはいつもこういうときだった。




