72話 もし……もし今俺が
「そういやさっき子供達がどうのって話をしてたけど、なんかあったのか?」
「うんやあれはパンの事さ、ちょうど今釜で焼成中でね目を離したく無いんだそうで。残念ながら私達は子宝には恵まれなくてね、だから昔はアンヌちゃんの事を娘として迎えようかってかみさんと話したりしてね」
「えっ! そうだったのですか?」
さらっと出てきた話だったが姫さんは知らなかったのか驚いているようだった。
「ああ、そうともさ。でもまぁその子がまさか守護竜の巫女様で、国の女王様になっちまうなんて思いもしなかったけどねぇ」
昔を懐かしみながらしみじみおっちゃんは語るが、俺には別の疑問が浮かぶ。
この町のスラムで生まれたことは前に姫さん自身から聞いていた、だから俺はてっきり、ここの二人が姫さんの実の親なんだと思っていた。
でも今の話を聞く限りどうもそういうことでは無いらしい。
「なぁ、あんた達と姫さんは一体どういう関係なんだ?」
素直にそう聞いてみるとジムは驚いた様にその目を丸くする。
「なんだ聞いてないのかい? アンヌちゃんはねぇこんなちっさい頃からウチの店にお手伝いに来てくれててね」
「へぇ、バイトみたいなもんか?」
「バイト? ってのはよく分かりゃしませんが、そりゃもうお客様からも評判のいいウチの看板娘でね。まったくどうしてあんなろくでなし親父にこんな出来た子が生まれたのか」
「ジムおじさま……お父さんの話は……」
不意に姫さんに名前を呼ばれジムは言葉を詰まらせて、すぐに気まずそう苦笑いを浮かべる。
「ああ……ごめんよ、父親のそれも亡くなった人の悪口なんて言うべきじゃないよね。失言だった、許しておくれ」
「亡くなったって?」
「ああ、今から二十年前くらいだったかな? 私も詳しくは知らないけれど、噂では強盗に殺されたとか」
「殺されたって……」
思いもよらなかった事実に俺は思わず犯人はどうしたのか聞いたがおっちゃんゆっくりと首を左右に振った。
「当時のスラムじゃ人死になんてさほど珍しくもなかったからね、憲兵さんもあまりまともに取り合っちゃくれなかったみたいで……本当にごめんよ、辛いことを思い出させてしまって」
「いいえ、おじさまが謝る様な事では……」
さっきまで和気あいあいと楽しそうな雰囲気で話していたのに、あっという間に空気が冷えてしまった。
どうもその親父は褒められた様な人間ではなかったらしいが、それにしても姫さんがここまで特定のだれかの話題を嫌がるのは珍しい。
もしかしてと、ある可能性が俺の頭をかすめるが、すぐにそれはありえないと考えを改める。
いくらろくでもない父親だったとはいえあの姫さんが直接なにか手を下すようなまねをするとは、とても思えない。
とはいえ直接的にではないにせよ何か姫さんの秘密に何か関係はあるかもしれない、とは思いつつもそれ以上のこと聞ける様な雰囲気じゃない。
あたりの酸素が薄くなったような息苦しい気まずい空気、それをかき消したのはふわりとひときわ強い小麦の香りだった。
「焼きたて……食べて……」
ぽつりと言いながらいつの間にかパンがいっぱいに入ったバスケットを抱えて二階へと上がってきていたパタタさんがその中から一つを取り出して姫さんへと差し出した。
グローブみたいな形をしたそれはクリームパンだろうか? 姫さんはそれを受け取りそのままパクリと一口。
「……美味しい、とっても美味しいです、おばさま」
「ふっふっふっ、自信作……」
姫さんから笑顔が零れると凍り付きかけていた場の空気が溶けて熱を取り戻し、気まずそうにしていたジムもホッと胸をなで下ろしていた。
それからはまた和気藹々とした雰囲気が戻ってきて、姫さんと俺はジムのおっちゃん達とたわいもない話をした。
「それで式の後、パタタに聞いたのさどうして僕と結婚してくれたんだい? ってそしたら――」
「……貴方の顔が、パンに似てて美味しそうだったから」
「だってさ、あっはははは! 笑えるだろう? この話は私達夫婦の鉄板なんだ」
「……パン屋さんだけに」
「もう、おじさまもおばさまも、その話は耳にたこができてしまうくらい聞きましたよ」
あきれた様にそんなことを言いながらもジム達と話す姫さんは終始楽しそうだった。
本当は姫さんの親父についてもう少し探りたかったが今度はもうさっきとは違う意味で聞ける雰囲気ではなくなっていた。
温かくてなんとも言えないほっとする空気、もしかしたら、遠く離れていた実家へ久々に帰ってきた時って言うのはこういうもんなのかもしれないなとそんなことを俺は思った。
血の繋がりはなくともニ人はやっぱり姫さんにとって気の置けない家族なんだろう、そんな人との時間に水を差すような真似はしたくない。
そんなことを考えていたらふと、元いた世界の家族のことが頭をよぎる。
もし……もし今俺が帰ったら父さんや母さんは今のジムやパタタさんの様に再会を喜んでくれるだろうか? ……いやあり得ないな。
あんまりにも現実味のない仮定に思わず苦笑いが漏れる。
あの両親のことだきっと今頃は俺の事なんて綺麗さっぱり忘れて、デキのいい弟をかわいがってることだろう。
そんなことは分かりきってたはずだろうに、チラリとでもそんな事を期待する程度には自分の中に家族への情みたいな物があったことに驚く。
それから軽く二時間近くジム達と話をしていたが、話も一段落したところで姫さんが行きたい場所があると言い俺達はパン屋を後にすることとなった。




