62話 黒い影が
「…………守護竜様?」
虚ろだった瞳に光が戻るどうやら正気に戻ってくれたらしい。
「大丈夫か?」
「はい……ごめんなさい、私……」
「今はいい、気にすんな」
正直に言えば一体なにがどうしたというのか気になるところだった、でも今はそれどころじゃない。
「落ち着かれましたか? 大変失礼いたしましたアンヌ様には少々刺激が強すぎたご様子で、大変配慮に欠けておりました申し訳ございません」
姫さんとは対照的にぶち殺した当の本人はなんてこともない様に、けろっとした様子でそんなことをほざく。
「どうして……どうしてそのように平然としていられるのです、今……今あなたは人を一人殺めたのですよ」
それはあの温和で朗らかな姫さんが初めて見せた明確な嫌悪の込められた言葉だった。
しかしそれを受けてもライレイは何食わぬ顔ではて? と首を傾げて。
「どうしてと訪ねられましても、ただうるさいので黙らせたまでのこと。ワタクシはこの男の生死になどいっぺんの興味関心がございませんでしたので」
その言葉に姫さんは言葉を失った。
信じがたい何かを相手にしている時の様な明確な拒絶反応。これまでにないほどの恐怖を、姫さんが感じているのが俺には分かった。
徐にライレイの銃口が姫さんへと向けられるが、その前を即座に朱い毛皮が遮った。
「やめときなさい、今の私にそんな豆鉄砲は通用しない」
アカネがその長い体で俺達やスバル女王をかばうように立ち塞がる。
確かに今のアカネなら銃弾をいくら食らったところで傷一つ付かないだろうし、何よりライレイが銃の引き金を引くよりも早く奴を戦闘不能にすることなんて簡単なはずだ。
「あたし無駄なことって好きじゃないの。だからさっさとその銃を捨てて投降しなさい、さもないとまた痛い目にあうことになるわよ」
ドスのきいた声で脅すアカネだったが、ライレイは怯える様子も見せず銃口を向け続ける。
「無駄、ですか……案外そうでもないかもしれませんよ?」
ライレイの奴から飛び出た何やら意味深なその言葉に俺達は一様に怪訝な顔を浮かべる。
「先ほども言いましでしょう、ワタクシは自身の役目を現在進行形で遂行中ですよと。守護竜と女王の分断とその足止め、ですが実はそれとは別にもう一つ、ワタクシには役目がございまして。それはこの国を混乱の坩堝へ落とすこと、どれくらいの混乱かと言えばそう――」
空から黒い影が、音もなく俺達のすぐ後ろに舞い降りた。
「――侵入者をうっかり見落としてしまう程度でしょうか?」
とんっ、と押された様な感覚。
すぐ隣にいたスバル女王が俺達の事を突き飛ばしたんだと気がついた時にはもう手遅れだった。
空からやってきた黒い影がその翼でスバル女王を地面へ押さえつけるのと俺を抱く姫さんが尻餅をつくように倒れるタイミングはほぼ同じだった。
「スバルッ!」
焦りが滲むアカネの声を聞いてハッとする。さっきまでスローモーションだった世界に元の速度が戻った様な感覚。
そう錯覚するほどほんの一瞬で状況がめまぐるしく変わったのだ。
「久しぶりだね、フィロール王国の守護竜」
鴉を思わせるフォルムにうろこと羽に覆われた体、そして両腕と一対となった巨大な漆黒の翼。
その姿は間違いなく覚醒体となったデインの守護竜だった。
「スバルを放して!」
「やめておいたほうがいい」
アカネの周囲で朱い稲妻がバチバチと弾ける。その様はまるであふれる怒りが可視かされている様だったっが、対照的にデインの守護竜は落ち着いた様子で言葉を返す。
「今ネネイル女王の命は文字通り僕が握っている。彼女が殺されるよりも前に同じ守護竜である僕をどうにかすることは、いくら君といえども不可能だ」
言いながらデインの守護竜が翼腕で押さえつけたスバル女王を軽く躙ると、その口からは苦悶の声が漏れそれを聞いたアカネが悲鳴上げるように彼女の名前を呼ぶ。
「状況は分かってもらえたかな? 分かったなら矛を収めてもらっていいかな?」
ぎりりとはを食いしばる音が聞こえてきそうなほどに悔しそうな顔をするアカネだったが、彼女の周りで帯電していた稲妻が徐々に小さくなっていき、そして完全に消え去った。
「うん。分かってもらえてうれしいよ」
満足げにそう言いながらスバル女王を躙る翼腕の力が緩むと、姫さんがデインの守護竜へ向けて声を上げる。
「エリザ様!」
姫さんがその名前を呼んだその時、デインの守護竜の背で何かがびくりと動いた。
「エリザ様、そこにいるのでしょう? どうして……どうしてこんなことを……」
今にも瞳から涙が零れそうな悲痛なその声を受けて、デインの守護竜の背からひょっこりと小さな人影が顔をのぞかせる。
金色の髪にその小さな体には不釣り合いな豪奢な黒いドレス身にまとったその少女は、現デイン帝国の女帝であり守護竜の巫女であるデイン・エリザリンデその人だった。
姫さんとフィロールの城で無邪気にお茶会を楽しんでいたはずの少女は申し訳なさそうな顔を浮かべていた。
「……約束を破ってごめんなさい、アンヌ様」
まるで悪いことをして母親に叱られる子供みたいなそんな顔をして謝るエリザ。
だがそれでもその小さくてかわいらしい口は迷いなく言葉を紡いだ。
「でも……これが兄様の望みだから」
そう言い残して、エリザはまたデインの守護竜の背に隠れてしまった。
「……目的はなに」
デインの守護竜を油断なく見据えながらアカネが訪ねる。
「この騒ぎも貴方がライレイを使って焚き付けた事は分かってる、ここまでの事をして一体なにがしたいの? 侵略?」
「いいや、今回の目的はそう事じゃない。でもそうだね、せっかくだし一つずつ説明しようか」
腹立つくらい余裕な態度でデインの守護竜が話すが、スバル女王が人質とられている以上こっちは軽々には動けない。
ムカつくが、今は大人しく話を聞くしか出来る事しかできなかった。
「まず一つ目に僕がどうしてライレイ君を通して保守派にクーデターを起こさせたのか。それは一重に僕が気づかれずこの国に侵入し女王に近づきやすくするため。知ってのとおり僕を含めた守護竜には自身やその周囲に対しての敵意や殺意と言った害意を察知する能力がある。平時に害意を持って侵入すればたちまち気づかれて警戒されてしまう、でも今はどうだい?」
デインの守護竜が周囲を見渡すように視線を巡らせる。
その視線の先にはクーデターによって破壊され戦場同然と化したネネイルの街が広がっている。
「今この場には敵意や殺意、そして恐怖と混乱が満ちている、気を隠すには森の中。事実君達はこうしてすぐ近くまで接近するまで僕の存在に気がつけなかった」
次に二つ目。そう言ってデインの守護竜は話を続ける。
「なぜそこまでして僕が女王に近づこうとした理由についてだけど、それを話す前に……ライレイ君」
「はい、何でしょうか」
いつの間にかすぐ近くへと移動していたライレイへデインの守護竜が視線を向ける。
「君との約束を今果たそう。せっかくだ是非フィロールやネネイルの皆さんにも聞いてほしいな」
「太古の禁忌についての研究は堅く禁じられ、それに関わる資料も当時の人々によって闇に葬られているはずだ。いくら守護竜である貴方でも、当事者であったはずのオレ達ダークエルフですら知らない事実を知るわけがない!」
地に押さえつけられながらも反論するスバル女王だったが、その言葉に大した反応を示すこともなデインの守護竜は話し始める。
この世界で起きた太古の禁忌その真実について。




