40話 ささやき
場所は庭園から城の正門へ。帝国へ帰るという二人を見送るために、姫さんはもちろんセリスを初めとした城の人間も何人かこの場に集まっていた。
エリザが詠唱を奏でると彼女の聖痕が輝き、その光がデインの守護竜に力を与え本来の姿を取り戻す。
「それではアンヌ様、フィロール王国の守護竜様またいずれ!」
「ええ、また」
最後の別れの挨拶を交わす姫さんとエリザ。この短期間でずいぶんと仲良くなったもんだなと思いながら二人のやり取りをなんともなしに眺めていたら、不意にデインの守護竜が俺の耳元に顔を寄せてきて。
「最後に一つだけ」
そう言って俺にだけ聞こえるようにある事をささやいた。
突然のささやきに答えを窮する俺を見て、なぜかデインの守護竜は小さく笑みを浮かべた様な気がした。
「それではフィロール王国の皆々様方、またいずれどこかで」
何倍にも大きくなったその背にエリザを乗せて二対の大翼が羽ばたき、鴉を思わせる漆黒の体が空へと浮かび次の瞬間にはあっという間に帝国の空へと消えていった。
「行ってしまわれましたね」
二人が去っていた空を見上げながらぽつりと姫さんがそう呟いた。
「少しお話しただけでしたが、ちょっと寂しい気がしてしまいます」
「姫さんは向こうの皇女様に随分と懐かれてたみたいだしな」
「まぁ!」
俺がなんともなしに言ったことに、姫さんがなんだか驚いてるような喜んでるような声を上げた。
「? んだよ」
気になって聞いてみると、姫さんは嬉しそうにニコニコと上機嫌な顔をして。
「だって守護竜様がヤキモチを焼いて下さるなんて、私とっても嬉しくて」
「はッ、バッ、 ふざけんな、誰が妬くか! 勝手な妄想も大概にしろ」
「大丈夫です、私の一番は何があっても守護竜様ですからね。それはたとえ天地がひっくり返っても変わる事はありません」
「だっかっらっ! 人の話を聞けって! 耳腐ってんじゃねぇのかテメェ!」
「あらあらまたそんな乱暴な言葉遣いをして。相変わらず照れ屋さんなんですから。よしよし」
あーもー! 人の話を聞いてるんだか聞いてないんだか。
いつもの様に俺の頭をなで始める姫さん。普段なら鬱陶しいと振り払ってやる所なんだが……まぁ今回は大目に見てやることにしよう。
言っておくがこれは別にデインの皇女に対して対抗意識を燃やしてとか、そんなことでは無い、一切無い! 断じて無い!
「さぁ、守護竜様。そろそろお城に戻って御夕食の準備を致しましょう」
上機嫌な姫さんがそう言って踵を返して城の中へ向かうその時、ふと俺の頭にさっきデインの守護竜が残していったささやきが蘇る。
あいつは去り際、俺にこう聞いた。
君は弟の顔を君は覚えているかい? って。
「くそ、最後まで訳の分からない事言いやがってあの鴉野郎」
どうして突然そんなことを聞いてきたのか、俺にはさっぱり意味が分からない。
デインの守護竜。俺と同じ別世界からの転生者。
俺は、あいつの事を信用しても良いのだろうか?
そもそもあいつは今日ここに何をしに来たのだろうか? 誘拐事件についての謝罪だと言っていたが本当にそれだけだったのか? いったいどこまでが本心なのか俺には判断がつかない。
すっきりとしないモヤモヤが胸の内に燻るのを感じながら、俺はデインの守護竜達が消えていった空を睨み付けた。
✣
デイン帝国上空、高度五千メートル附近。
フィロール王国から首都ハーゲンまでは陸路で向かえば一週間近くかかる距離だが力を解放した守護竜の翼ならばあと数分も掛からない。
現代世界で言う戦闘機と大差ない速度と高度で飛行しているにもかかわらず、守護竜はおろかその背に乗るエリザまで平然としていられるのは、魔導の力であたりの空気を操作しているからである。
「何か良いことがありましたの?」
高度数千メートルを高速で飛んでいるとは思えないような穏やかな様子でエリザは守護竜に語り掛ける。
「ん? どうしてそう思うんだい?」
「だって兄様、嬉しそうな顔をしてらっしゃるから」
デインの守護竜は内心で気分が高揚していた事実を指摘されたことに驚いたが、しかしだからと言って別に困るようなことでもない。
「そうだね、確かにちょっとしたサプライズはあってね」
「サプライズ? いったいどんな?」
「さぁ? 悪いけれどそれはエリザにも教えられないな」
今回デインの守護竜がフィロール王国へ出向いたの単なる様子見だった。
これから《《敵となる》》であろう相手が一体どういう人物なのか知っておいて損はないと思ったし純粋に興味もあった、だが実際に出向いてみればそこには思わぬ余禄が付いていた。
「むー、お兄様がお話になりたくないと仰るなら無理にと言いませんけれど……」
「ありがとう、ごめんね」
頬を膨らませてぶんむくれるエリザを取り成している内に眼下には帝国首都ハーゲンその王城が見え、守護竜は旋回をしながら速度を落とし着陸の準備を調える。
「エリザこそフィロール王国のアンヌ様と随分仲良くなったようだけれど――もし、私がアンヌ様とケンカをしたらエリザはどっちの味方をしてくれるのですか?」
「はい?」
守護竜から投げかけられたその質問にエリザはきょとんとした顔しながら可愛らしく小首を傾げた。ただそれは質問の意味が分からなかった訳でも、答えに窮した訳でも無い。
ただただ純粋にどうしてそんな分かりきったことを聞くのかと、不思議に思ったから出た所作だった。
「そんなもの、決まっていますわ」
そう言いながらエリザは自身が乗る守護竜の背に抱きつき、愛おしいそうにその頬を寄せる。
「わたくしはお兄様の味方でございますわ。たとえどんなことがあろうとも」
「……エリザならそう言ってくれると思っていたよ」
迷いの無い答えに満足しながらデインの守護竜は着陸態勢に入り、ゆっくりと高度を下げていく。
きっとまたすぐに会うことになる。
徐々に城の屋上が近づく中で、守護竜は懐かしいある人物へと思いを馳せる。
本当に懐かしい、自分がまだ人間だった頃の記憶、その中でしかもう会うことは無いだろうと思っていたけれど。
もしかしたら神様はいるのかもしれない。
信じてもいなかったそんな存在を感じずにはいられない、だって何者かの意図が無ければこんなことが起こる訳が無い。
あなたは僕の事を忘れてしまったみたいだけど、僕はあなたのことを忘れたことは一度だって無かったよ。
背に乗るエリザに聞こえない程の小さな声で何かを呟いたたその口元には、三日月に似たあの笑みが浮かんでいた。




