41話 戦争が始まろうとしていた
クルーゲル領帝国との国境付近、そこには国と国とを仕切るように高い障壁が地平線の彼方まで続いている。
その壁を越えた先には広く見通しの良い平原が広がり、地平線の向こうには見る人を威圧するような白く巨大な山が見えた。
大陸で最も高いその山はディルデアと呼ばれ、デイン帝国の象徴とも言える存在なんだそうだ。
そんな山を、俺と姫さんは障壁の上から静かに眺めていた。
下に視線を降ろしてみれば数えるのも馬鹿らしくなる数のフィロール王国兵士達、それが障壁を背にしてずらりと並ぶ。
兵士達の緊張や恐怖そして闘争心が辺りに満ちて空気がヒリつく、頬を撫でる風がまるでカミソリの様で気を抜くと肌を引き裂枯れるんじゃないかと錯覚する。
曇天に光を遮られた空が何か不吉なことを暗示しているように思えてならない。
戦争が始まろうとしていた。
「こんなことにだけはなってほしくありませんでした、それなのにどうして……」
俺を抱く姫さんの腕が僅かに震える。その震えはこれから始まる戦いに対しての恐怖から来るものなのか、それとも争いを止められなかった自身の不甲斐なさから来るものなのか。
いや、きっと両方なんだろう。今、姫さんの胸中で渦巻く感情は一言でくくれるようなもんじゃない。
「守護竜様……私はどうすればよかったのでしょうか?」
この問いも、いったい何度目だったか。でもたとえ何百回聞かれた所で俺の答えは変わらない。
「姫さんは何も悪くねぇよ、絶対に」
ハッキリと迷いなく、確信を持って俺は何度でもそう応える。例えその言葉が姫さんの不安を拭うことが出来なくても俺はぶれねぇ、そう決めていた。
地平線の向こうに旗を掲げた大勢の兵達の姿が微かに見え始める、開戦の時が近づいている。
「さって、そろそろだな……姫さん」
俺を抱く腕からぴょいっと飛び降りて、姫さんへ向き直る。
この姿のままじゃ戦えない。覚醒体になるためには姫さんの儀式が必用だった。
しかし姫さんは聖痕の刻まれた右手をひしと捕まえて胸に抱いたまま動こうとしない。
「姫さん……」
もう一度俺が呼びかけると、姫さんは唇を震わせながらゆっくりと言葉を紡ぐ。
「このまま戦うことになれば、きっと守護竜様は沢山傷付く事になります」
「……」
震える姫さんの声は、今にも泣き出しそうだった。
いくら覚醒体になったとしても、今回の戦いは無傷という訳にはいかない、いやそれどころかきっと……。
その事に姫さんは怯えていた、多分実際に戦いに赴こうとしている俺以上に。
「……一国の女王として間違っている事は分かっています、でも私は守護竜様に戦ってほしくない、あなたにもしものことがあったら私は――」
まったくどこまで過保護なんだか。こんな状況なのにそんなことが少しだけ可笑しい。
「……怖いと言って下さい、逃げたいと言って下さい、そうすれば私は」
「姫さん」
三度目の呼びかけ。いつの間にか下を向いていた姫さんの瞳が俺の事を見る。
不安に揺れて今にも涙が零れそうなその瞳を真っ直ぐに見つめる、ぶれることなくただひたすらに真っ直ぐに。
「……分かりました」
ゆっくりと枷を解かれるように離された姫さんの右手が俺の額に触れる。
「――――」
姫さんの口から詠唱が紡がれると聖痕が光を放ちその光が力となって俺の体に流れ込んでいく。
「――――――異界の世より流転せし魂よ、今、御身を縛るその枷を解く」
流れ込んだ光は溢れ出し俺の体が姿を変えていく。小さかった体は大きく力強く、背中の翼は天を覆う程に大雄々しく。
「――――――紡がれし盟約の元、誓いを告げる。我が身、我が生、我が魂は御身の為に、ゆえに我が願いを聞き届けよ」
溢れるほどの力と圧倒的な万能感が駆け巡り、俺の体を守護竜本来の姿へと作り変えていく。
「災禍を払へ、円環の護り手よ―――」
姫さんが儀式の文言を終えると、俺の体は完全に変化を終えていた。
覚醒体への変身が終わって俺は改めて地平線の向こうに見える軍勢へと視線を向ける。
「守護竜様……」
後ろから、不安そうな姫さんの声が聞こえた。
何か応えてやりたかったけれど、こんな時なんて言ってやれば良いのか分からなくて、結局何も言わずに俺は迫り来る軍勢へと向かって飛び出した。
光の矢となってこれから戦場となる平原の空を真っ直ぐに駆ける……本当にどうして、こんなことになっちまったのか。
そうそれは、ネネイル王国からの使者が王国を訪ねて来た所から始まった。




