5月22日③:僕だって、何も考えていないわけじゃないからね〜
華道部がある部屋の前で、俺たちは静かに息を呑む。
「…入っていいんだよね」
「入って、言い筈なんだが」
「なんか空気が拒絶してくるって感じ〜。でも開けちゃお〜」
廉が先行して、部室に突入してくれる。
こういう時の思い切りの良さは見習うべきなのか…そこは流石に分からない。
「失礼します!写真部です!」
「撮影に来ました」
「お邪魔します」
「あら、悠真君。いらっしゃい」
今まで部員に対し、話をしていた椿さんが顔を上げる。
こうして見ると、本当に藤乃にソックリ。
顔のパーツは勿論なのだが、表情が藤乃そのものなのだ。
瓜二つで、親子らしい。
「先生、知り合いですか?」
「我が家のお向かいさんなの。座布団を用意しているから、付き添いのお二人はそこで待っていて」
「そうさせてもらいまーす」
「ありがとうございます。じゃあ、悠真。私達は…」
「ああ。待っていてくれ」
二人が座布団に腰掛けるのを一瞥してから、俺は撮影に入る。
充満した生花特有の香り。
花の甘ったるい匂いと、草特有の匂い。
俺はこの匂いがそこまで好きではない。
何というか、独特というか…生っぽい匂いが苦手なのだ。
花屋の娘をしている絵莉はこれを毎日嗅いでいるんだよな…。
どう思っているんだろう。ホント…。
椿さんが何か話しているが、俺には何も届かない。
この苦手な香りの中で、抵抗感の残る人物撮影を行わなければいけないのだ。
誰かの話に耳を傾ける余裕はない。
本心に従うように、生け花だけを撮影してしまいそうになるが…意識をしっかり保って、生けている本人と生け花の撮影に切り替える。
「…悠真、大丈夫かな」
「大丈夫だよ。ここは長居する気ない。悠真だって早く仕事を終えてくれるさ」
「長居する気ないの?藤乃ちゃんのお母さんのところだから…てっきり」
「悠真、生花の匂い好きじゃないんだよ」
「そうだったの?」
「うん。だから普段通り人物写真の撮影で具合悪くしてる上に、苦手な香りに包まれてしんどそうにしてるでしょ?」
「た、確かに…」
羽依里が心配そうに俺を見てくる。
不安げに、大丈夫かと駆け寄りたそうに。
けれどそれは廉が止めてくれる。
廉なら、止められる。
彼女が動き出す瞬間を、読みきれるから。
「おっと、動いちゃダメ。この部屋は狭いから、動き回るのは控えておかなきゃ」
「でも…」
「不安なのは分かるよ。でも、悠真だって頑張っているところを見せたいものさ」
「…でも、無理してる」
「無理をしているけれど、それが悠真の役割だもの。自分の時間を得る為に、学内での自由を対価に差し出した。それが写真部なんだからさ」
廉の視線が俺に向けられる。
———ここは大丈夫だから、撮影に集中して。
そう訴えるように向けられた視線に、俺は小さく頷いて…撮影を続行した。
◇◇
撮影を終えた後、椿さんと部員さんに軽く挨拶をして…俺は羽依里と廉に支えて貰いながら華道部の部室を出る。
「ねえ、悠真君と一緒にいる…」
「なんでしょう」
「二人の名前、聞いていないなって」
「別に名乗るほどでもないので。行こう」
「…え、でも」
「いいから、ね?」
廉は冷たい目を椿さんに向けつつ、俺と羽依里を連れて部室を出る。
「…相変わらず、慣れていない人には塩だな」
「別に。普通でしょ。誰彼構わず甘い顔するほど僕もお人好しじゃないからね」
「そうなの?」
「そうなんだよ、羽依里ちゃん。僕だって、何も考えていないわけじゃないからね〜」
いつも通り、朗らかな笑みを浮かべながら、廉は近くの窓を開けて新鮮な空気を俺に浴びさせてくれる。
初夏の青い香りが周囲に漂い、蓄積されていた不快感が一気に拭われる。
「ふぅ…風が気持ちいい」
「次は美術部だっけ。また空気籠もってそ〜」
「今度は具合悪くならない?大丈夫?」
「油絵の匂いはなんか好き…」
「変わってるよね、これ。彼女的にはどう思う?」
「…私にはよくわかんないや」
新鮮な空気を浴びたことで元気を取り戻し、次の撮影場所へ向かう。
次は美術部だ。