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これからも。

 高級鉄板焼きは、高級なだけあってとても美味しかった。ああいう店には初めて行ったのだが、目の前で塩や胡椒が入った細長いケースをくるくる回すパフォーマンスがあり、中々面白かった。


 学校は、ナミカが退学したこと以外はなにも問題なく授業が進んでいる。ジュエイは学校に残るか迷ったようだが、室長が話をすると案内人を目指してがんばります、と結論を出した。


 室長と俺、そしてヨジュンは、相変わらず学校での業務をこなしながらお巡りさんとしても働いている。

 戻って来た日常の中で、俺はある日室長に呼び出された。場所はミーカ。数時間前まで学校で会っていたのに。というか、しょうもない話をしていたのに。


 出された水に手も付けず、室長はこう切り出した。

「私はもう駄目かもしれない」

「室長…」

「死ぬ前に、きみに伝えておきたいことがある。聞いてくれたまえ。きみにだけは誤解されたくない」

 その真顔に、俺はうなずくしかない。重々しく、室長は続けた。

「私は……。私は、地毛なんだ…!」

「……へー」

「なんだね、その薄い反応は」

「いや別に室長の頭髪とかけたわけではありませんからご心配なく」

「誰もそんな心配はしていない。遺言だと思って神妙に聞きたまえ」

「室長。先ほど学校でも言いましたが、残念ながらヒトは口内炎では死にません。残念ながら」

「なんで残念を二回も言うのか是非問いただしたい」

「黙秘権を行使します」

「口内炎など産まれて初めてだ。こんなに痛いとは知らなかった。このまま食事が摂れなかったら死ぬだろう」

「大の男が口内炎くらいで取り乱さないでください。みっともない」

「きみ、私に対する辛辣度が上がったな」

「すみませんね、かわいくなくて」

「なにを言う。きみはとても美しいぞ?」

「……へー」

「だから、なんなんだね、その薄い反応は。もう一度言うが、きみはとても美しい。ただその美しさが、普段は意地や強がりや粗暴さや頑固さや根暗さや後ろ向きさやあれやこれやそれやどれやの陰に隠れて全く微塵もひとかけらもナノレベルでさえ目に映らないだけだ」

「それもう、隠れているというより消えてますよね」

「ともあれ、そういうことだ」

「どういうことですか」

「髪、そのまま伸ばすのかね?」

 突然の方向転換。意味が分からないが、俺は一応うなずいた。俺の髪は、今は頭の下の方で無造作に結べるくらいには伸びている。


 その髪をなんとなく触りながら、俺は逆に質問した。

「駄目ですか?」

「いや、どちらでも似合うが。男装は辞めるということかね?」

 なるほど、と俺はうなずいた。本題はこちらだろう。

「迷っています。男だと偽り続けても意味は無いな、と悟ったくらいで。元々ただの意地ですけど、ふるまいはそう簡単には戻せませんし」

「ふむ。きみは成長したな」

「どうも」

「ということで、プレゼントだ」

「は?」

 室長は、胸ポケットから掌に乗るくらいの小さな箱を取り出した。

「なんですか、これ」

「開けてみたまえ」

 言われるまま、箱を開ける。ガラス細工の付いた、髪ゴムが入っていた。ガラス細工の色は、室長のループタイと同じ色だ。深い深い、ブルーグリーン。和名は確か、蒼玉。


「これ…」

 ぽかんと見ていると、室長が不思議そうに言った。

「その色、気に入ったのだろう? ユノ殿から聞いたが、違ったかね?」

「ユノ殿と連絡取り合っているんですか?」

「先日の一件での報告書を作るためにな。ずっとこれを握っていたというから、余程気に入ったのかと」

 これ、と言いながら室長は自分の胸元にあるループタイを指した。

「そんなに気に入ったのなら譲っても構わんのだが、今のきみならループタイよりも髪ゴムにしたほうが使うだろう」


 気に入った、というか、あれは違う。そういうのとは、なんか違う。

 しかし、俺の複雑な気持ちを室長は知らない。


「……お気遣い、どうも…」

 結局、消え入るような声で、俺は応えた。

「きみにだけ渡したら不公平だからな。ヨジュンにもなにか作ろうかと聞いたのだが、彼は服飾品よりもお菓子がいいと言っていた。だからきみだけ呼び出したのだ。学校で渡しても良かったのだが、一応私用だからな」

「そう、ですか」

「ちなみに私は、どちらでも構わんよ。きみが男装しようと女性に戻ろうと、カロスくんであることに変わりは無いからな。好きにしたまえ」

 どう応えるものか迷って、俺は逃げるように珈琲に口を付けた。思えば、あの一件以降室長と二人きりになるのは初めてかもしれない。


 意を決して、俺は顔を上げた。

「室長、ありがとうございました」

「なにがだね?」

「なんか…色々」

「またふわっとしたことを」

「色々は色々です。……俺の、疑いを晴らしてくれたことから全部」

「あれは別に疑いを晴らしたことにはならんよ。きみも知っての通り」

「あと、あの…。俺を、マーテル家に連れてってくれたこととか」

「あの家ではきみに飛び蹴りされたな。ユノ殿には羨ましがられたが、実はけっこう痛かった」

「う…。すみません」

 ふっと、室長は笑った。

「ちょっかいをかけた私も悪かったということにしておこう。きみが飛び蹴り出来るくらい元気になって、嬉しかったしな」


 俺は今でも後悔している。初めて会った時、室長に「助けて」と言ってしまったことを。


 今となっては直感としか言いようが無いが、あの時俺は思ったのだ。このヒトなら、俺をあの部屋から――ユーリィ家から助け出してくれるのではないかと。

 大丈夫だ、容疑は晴らすよと頭を撫でてくれた室長が、幼い俺には救世主に見えた。

 直感は当たっていた。室長は俺を助けてくれた。それは、今も。

 けれど成長するにつれ、思うようになった。


 室長は、本来なら背負う必要の無かった「俺」という重荷を背負い込んでしまったのではないか?

 あの時一緒に来たまえと言ったのは、俺が寂しそうにしていたからではないのか?

 俺のせいでマーテル家そのものがユーリィ家から疎まれているではないか。

 もう手放したいのに、責任感から俺を手放せないのではないか?

 今回、室長は俺の為にハスマ家に怒ってくれた。あれは、本当に今後の為になるのか?

 学校には、もっと優秀な助手が必要なのではないか?


 ――同情では、ないのか?


 考え始めたらきりがない。

 室長は優しいから、要らなくなっても要らないとは言わないだろう。俺が室長に出来ることと言えば、引き際を見極めて自分から離れることくらいだ。


 暗い気持ちになる。こんな思いをするくらいなら、助けてなんて言わなければ良かった。

 室長がくれたこの日々に、必死にしがみついている。そんな自分が憐れで滑稽だと思うことがある。


「室長、俺…」

「しかし、しみじみ思うが、私の直感は確かだったようだ」

「はい?」

「私ときみとヨジュン。これ以上のチームは中々無いと思わんかね?」

「え」

「人間界で働くと決めた時、きみ以外の助手は思いつかなかった。思えば、きみの部屋で初めて会った時から、こうなることは予見していたように思う。ヨジュンを拾った時もそうだった。直感だから、理由を聞かれると困るのだが――カロスくん?」


 俺はうつむいていた。

「カロスくん、どうかしたかね?」

「室長。俺、助手を…」

「うん?」

「助手を、していても、いいんですよね? これからも」

「もちろんだ。なにを言っている。今更辞めたいと言われても、私が困る」

 その言い方に、口元がほころぶのを自覚していた。

「ただ、これからも助手をしてもらうにあたって、一つだけ言っておきたいことがある」

「なんですか」

「私は地毛だ。今までもそしてこれからも」

「しつこいです」


 珈琲が、やたら美味しく感じた。

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