52.レコーディング、挫折。そして、お待たせ! ASMRオタクの出番だ!
「今日はよろしくお願いします」
私はまるで崖の上から飛び込むような緊張感に包まれていた。
ヘッドフォンをつけて、最終レコーディングを行っているのだ。
姿勢に気を付けて、ブレス箇所を守る。
今日は自分にぴったりの下着だって着ている。
先日の下着屋さんでエリカさんが暴走したのは、ここでは言うまい。
『よろしくでーす!』
『頑張るティ!』
立ち会ってくれているのはSpring Worldさんと、ミスティ先生。
二人は同じ場所で協力してくれるとのこと。
お忙しい中、時間を確保してもらっているのだ。
今日一日で絶対に終えたい。
「それじゃ、行きます……」
マイクの前に立つと、心臓の音まで拾われている気がする。
ヘッドフォンから聞こえてくる音にあわせて、歌を歌っていく。
一音一音、外さないように、慎重に。
『今のテイク、いい感じです! 取り急ぎミキシングにかけます』
『行けそうティ! いったん、休憩入っていいティ!』
最初から最後まで3テイクほど録音すると、Spring WorldさんからOKのサインをもらえた。
私はあまり詳しくないのだが、録音してもそれで終わりではない。
ミキシングという作業を通じて、ボーカルと曲のバランスを調整したりするのだ。
特に今回はASMRパートとして、ささやき声もいれている。
この編集作業でも結構、大変になると思う。
私はヘッドフォンを外すと、防音室を出る。
一時間近く神経をとがらせていたせいで、どっと疲れが押し寄せる。
だけど、心は期待でいっぱいだ。
「ふぅ……、あ、うたうさんの曲だ」
休憩がてらスマホをチェックしていると、先日、コラボでご一緒させていただいた音葉うたうさんのMVが配信されているのに気づく。
曲名は「Starship Prelude」。
サムネイルをタップすると、静かなピアノの伴奏が始まる。
そして。
私は思わず息をのんでしまった。
これが、歌だ。
そう思ってしまった。
うたうさんの持っている幅広い音域を活かした歌唱力で、夢に向かう女の子の姿を歌い上げていた。
たぶん、そこまで加工さえされていない、まるで生歌のような迫力。
自分には出せない透明感ある高音。
思わずため息が漏れてしまう。
胸の中に歌声が響いて、自然と涙がこぼれてきそうになる。
「たはは、自信なくしちゃうなぁ」
一方の私はどうだろうか。
歌の努力は続けている。
だけど、うたうさんの世界に入っていけるんだろうか。
私はただの勘違い野郎なんじゃないだろうかと震えてしまう。
『ゆめめさん、どうかしたっティ?』
ふらふらと防音室に戻ると、ミスティ先生から声がかかる。
まろまゆを八の字に私を心配しているような表情をしていた。
「実は……」
相手が親しみやすい獣型のアバターだからか、私はつい本音をしゃべってしまう。
ミスティ先生は私のために来てくれているのに、ぼやくなんて絶対しちゃいけないことなのに。
『……ゆめめさん、歌は誰に届けたいかっていうのが大事なんです』
「は、はい? 誰に届けるかですか?」
『その、ゆめめさんがこの歌を聞いてほしいって人をイメージして歌ってもらうといいと思いますよ』
『聞いてほしい人……』
ミスティ先生は真剣に答えてくれた。
私は考える。
この曲を聴いてほしい人って誰だろうか?
リスナーさん? それはもちろん、その通り。
お姉ちゃん? それももちろん、聞いてほしい。
それに……?
頭の中に沸いた顔ぶれに私は思わず笑ってしまいそうになる。
だって、私は透子さんやエリカさん、そして、ふみさんを想像してしまったのだ。
もちろん、彼女たちに私がVtuberであることはおろか、ASMRが好きだってことは言ってない。
だけど、この曲を聞いたら、少しだけASMRって面白いのかもって思ってもらえる自信がある。
三人の顔を思い浮かべるだけで、胸の奥がムズムズしてきた。
『思い浮かんだティ?』
「はいっ! 私の大好きなお友達の顔を思い浮かべて歌ってみます!」
『お、お、お友達ティ!?』
ミスティさんはそういうなり、アバターをぐらんぐらんと揺らす。
嬉しいような、悲しいような、驚いたような、そんな顔をしていた。
『で、できましたっ! これ、仮バージョンですけど、聞いてみやがれくださいっ!』
そうこうするうちに、Spring Worldさんがmp3ファイルを共有してくる。
大急ぎで作業をしてくれたみたいで呼吸が荒い。ありがとうございます。
ごくりと唾をのんで、再生ボタンをクリックする。
さぁ、どうだろう。
「……すごい……ですね」
『えへへへ~、ですよね? 我ながらびっくりしましたっ! このささやきパート脳髄にしみますよねっ!』
『サビもしっかり伸びているティ!』
ミキシングというのは魔法だ。
私の声が全然違う響きを持って鼓膜に迫ってくる。
静かに立ち上がって、一気にサビ。
それから、ASMRパートに急転する様子は、まるで映画を見ているかのようだ。
だけど。
私はここで少しだけ欲を出したくなってしまった。
空想の中だけど、あの三人を驚かせたいと思ってしまったのだ。
そのためには?
「あ、あのぉ、もっとASMR的な演出ってしてもいいですか? たとえば、バイノーラル録音したりとか、スライムを使ったりとか」
差し出がましいとは思うけれど、私は音作りについて意見してみた。
現状のささやきパートはステレオではあるものの、左右差はほとんどない。
それに、もっともっと面白い音を入れてみたい。
『バイノーラルにスライムですかきゃあぁああっ! いいですねぇっ! いいですよぉっ!』
『リアクションが素で気持ち悪いティ……。でも、音数増やすのはいいかもしれないティ』
二人は即座にOKを出してくれる。
私は急いでASMR用の小道具を取りに行く。
スライムは購入して練習したものの、配信には使っていなかったのだ。
「ありがとうございます! いろいろ試してみましょう。わ、私、すごく楽しくなってきましたっ!」
『ゆめめさん、音で楽しめば音楽ですよ!』
『ASMR要素を入れて、最高の音を作ってやろうティ!』
私にはうたうさんみたいな歌唱力もないし、お姉ちゃんみたいな明るい天性のキャラクターもない。
だけど、私にはASMRがある。
音のグルメである、ASMRオタクの真骨頂を見せつけたい。
こんなヘンテコな、だけど、気持ちのいい音があるんだぞって。
「スライム音、行きますね!」
マイクの前にスライムを置いて、思い切り鷲掴みする。
ぬぽ、ぐぽみたいな変な音がする。
『ゆめめさん、さすがに今のスライムの音はセクシーすぎるっティ!』
『えっ、今の、よかったですけどっ!? もっとヌチャらせましょうよ!』
『あんたは黙ってるティ! 18歳未満が見れなくなるティ!』
途中、スライム音がセンシティブ過ぎるということで調整することもしばしば。
さらにはバイノーラルマイクのMEUMANNまで持ち出して、ささやきパートや吐息パートを録音してしまったのだった。
心がハイになりすぎていた気もするけど、どんなものが出来上がるんだろうか。
すごく、すごく、楽しみ。
「……すごく……いいと思うんですが、どうですか?」
朝10時に始めたのに、時計はもう20時を指していた。
時間的にも体力的にもこれ以上、続けるのは難しいと思う。
だけど、Spring Worldさんはほぼ最終版と言えるものを出力してくれたのだ。
聞いた瞬間、鳥肌が立った。
『これ、これ、これ、これですよぉぉおおっ! こういうのが作りたかったんですっ!』
『ひゃはぁああああっ! 私、この日のために生まれてきたぁあああ』
二人の声があまりにも大きいので、私は思わずヘッドフォンを外してしまうほどだった。
これからいよいよMVとして完成していくとのこと。
私の歌はどこまで届くだろうか。
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