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翌日。
茂みのなかから、そっと祠を見つめてみた。
祠のまわりには人も動物もいない。
ドキドキしながら池のほとりを歩き、祠へ近づく。
きょろきょろと見まわして何もいないことを再確認すると、凜はふところから布を取り出して祠をごしごしと拭いた。
布が真っ黒になるまで拭いても古びているけれど、拭かないよりはマシだろう。
自己満足だけれど、凛は何かしたかった。
そして持ってきていた木の実の葉を開き、それを供える。
それを見たとたん、ぐうとお腹が鳴ったけれど少しの動揺のあとで気をとりなおした。
手をあわせようとしたときだ。
『そんなものは必要ない』
「か、かみさま!」
昨日の声にぱあっと凛は喜色を浮かべた。
はじめてだと自分でも思うくらいの笑顔が広がる。
『……』
「か、かみさま、昨日は、ありがとうございます」
つっかえながらも身を乗り出すと、凜はやっぱりはじめて大きな声を出した。
「あの、これ」
『いらぬ』
木の実をと言いかければ、ぴしゃりと言い切られてしまった。
やっぱり木の実なんかじゃ、としょんぼりと顔を下に向けたけれど、祠の向こうから小さなため息が聞こえた。
『腹を鳴らしただろう。私は食べる必要が無い。お前が食べろ』
「た、食べなくても、へいき?」
『そうだ。さっさと食べろ』
促してくる声に、凛はぎこちなく頷いた。
そしてほんのりと嬉しさで目尻が色づく。
やっぱり凛の考えに間違いはなかった。
この声は悪いものなんかじゃない。
きっと、とても優しい神様だ。
祠の前に座ると、凛は木の実をのせた葉を自分の膝へと移動させた。
そして小さな実を口に入れる。
ぽりぽりと食べていると『おい』と声をかけられた。
『腹を鳴らしていたが、もしかして飯はそれだけか?』
「き、きのうの、ご飯」
『昨日? 昼はどうした』
すでに午後をだいぶ過ぎている。
村のなかも昼食なんてとっくに終わっているだろう。
「い、いっかいだけ」
『まさか食事は一日一度か?』
「うん」
『……人間は食わねば死ぬだろう』
そのとおりだ。
だから村人は最後の温情で凛に食べ物をくれる。
それが一日一度、数個の木の実でも。
ぽりぽりと木の実を食べ進めると、すぐに無くなってしまった。
空腹なんて全然まぎれないけれど贅沢は言えない。
『……魚の食べ方はわかるか?』
「魚?」
『食べ方はわかるかと聞いている』
「わ、かる」
何故そんなことを思いながら頷くと、後ろでばしゃんと音が鳴った。
慌てて振り向くと、池のほとりにびちびちと魚が一匹転がっている。
凜が目を丸くしていると、再びばしゃんと音がした。
池の水が跳ねあがり、魚がそれに押し上げられるようにぼとりへと投げ出されて地面に落ちる。
凛はありえない光景に目を瞠った。
『大人しくなったら持っていけ』
声の言葉に勢いよく祠へ振り向くけれど、やっぱり誰もいない。
でも、と池のほとりを見れば魚が二匹びちびちと元気に跳ねている。
「す、ごい」
ぱちぱちと何度も睫毛を上下させると、凛は祠へ深々と頭を下げた。
「あ、りがとう、ございます」
『貧相すぎて見苦しいからだ』
やっぱり辛辣だ。
でも、とても優しい。
「うれしい、です」
『……』
笑ってそう言うと、何ともいえないような沈黙が返ってきた。
それにまた笑ってしまう。
『お前、何故そんな身なりをしている』
声の質問に凛は自分の体を見下ろした。
胸までの黒髪は痛んでいる。
村の同年代の子たちはそんなことはないし、裕福な家の子など専用の油を使っているらしく艶々だ。
着物もほつれて古ぼけた、丈の短いもので窮屈なもの。
足もとなどボロボロの藁の草履で、履く意味があるのかわからないものだった。
体もやせ細り、棒切れで肌もガサガサのみずぼらしいものだ。
いまさら恥ずかしいなどと考えたりはしなかったけれど、この声の人物にそんなふうに見られたことが酷く恥ずかしく感じて凛は俯いてしまう。
「あ、あばずれの子って……」
言いたくはなかったけれど、祠の声には嘘をついたりしたくなかった。
『あばずれ?』
「お、お母さん、村にきた商人と私をつくったって……でも、べつの商人と村を出ていっちゃったから」
『それであばずれか。母親と子供は別物だろうに、くだらぬ』
「べ、べつもの?」
『別物だろう。お前は母親と同じように男を追いかけるようなことをしているか?』
「し、してない!」
慌てて凛は首を振った。
祠の声にそんな風に思われたくない。
『だったら別物だろう』
言われた瞬間、ぼろぼろと涙が溢れた。
そんなことを言われたのははじめてだった。
いつもあばずれの子と言われて、何もしていないのにいやらしい子と言われる。
そして侮辱的な目で見下されるのだ。
あとからあとから、あふれてくる涙を凜は両手で何度も拭う。
『おい』
とまどったような居心地悪そうな声は責める響きはなくて、いつもの「泣かない泣かない」という言葉がまったく出てこない。
結局、凛はわんわんと泣き続けて声にいい加減に戻れと言われるまで祠の前にいた。




