第四十六話 双生
残り、十八日。
康二は。
いつも通り。
レイと朝食を食べた。
「康二」
「ん?」
「今日、変だぞ」
康二の箸が止まった。
「どこが」
「知らん」
「知らんのかよ」
「でも変だ」
レイは卵を口へ運んだ。
「寝てないだろ」
「寝たよ」
「嘘だ」
「二時間」
「それは寝たって言わない」
康二は笑った。
「九歳のくせに細けぇな」
「もうすぐ十歳だ」
「知ってる」
知っている。
あと十八日。
「誕生日」
レイが言った。
「何くれる」
「欲しいもんあんのか」
「ない」
「じゃあ聞くなよ」
「康二が考えろ」
「横暴だな」
レイは。
少し笑った。
康二も。
笑った。
そして。
その顔を。
覚えた。
目。
鼻。
口。
笑う時。
少しだけ。
右の頬が。
先に上がる。
十年間。
毎日。
見てきた。
でも。
覚えた。
忘れないように。
康二は。
もう一度。
覚えた。
◆
残り、十七日。
康二は。
移植装置の制御系へ。
侵入した。
停止。
できない。
物理的に。
独立している。
なら。
誤作動。
無理。
監視AIが。
異常を。
検出する。
データの。
破壊。
不可能。
複数の。
バックアップ。
「……用意いいな」
康二は。
笑った。
兄らしい。
だから。
次。
人格データ。
最高峰の格闘家たち。
保存された。
人生。
記憶。
技術。
感情。
康二は。
それを。
消そうとした。
拒否。
権限。
一光。
康二は。
椅子へ。
深く。
座った。
「全部」
「俺がやること」
「知ってるみたいだな」
「知っている」
声。
康二は。
振り返らなかった。
「いつからいた」
「七分前」
「気配消すの上手くなったな」
「お前が鈍った」
一光が。
研究室へ。
入ってきた。
康二は。
画面を。
閉じなかった。
「止める?」
「何を」
「俺を」
「必要ない」
康二が。
笑った。
「余裕だな」
「お前には」
「何もできない」
「ひでぇ兄貴だ」
「事実だ」
一光は。
康二の隣へ。
立った。
画面を見る。
「移植装置」
「人格データ」
「電力系統」
「保存サーバー」
「随分」
「調べたな」
「褒めてくれる?」
「無駄だ」
「知ってる」
一光が。
康二を見る。
康二は。
笑っていた。
「だから」
「別の方法を」
「探している」
「そうだよ」
「見つかったか」
「まだ」
一光は。
康二を。
見た。
「諦めろ」
「嫌だ」
「結果は変わらない」
「やってみないと」
「分かる」
「兄貴にはな」
康二は。
椅子を。
回した。
兄と。
向き合う。
「俺には」
「分からん」
「だから」
「やる」
一光は。
しばらく。
弟を。
見ていた。
「昔から」
「そうだった」
「何が」
「お前は」
「答えが出ていても」
「試す」
「兄貴は」
「答えが出る前に」
「決める」
「だから」
「俺の方が正しい」
「そういうところ」
「嫌いだったわ」
一光は。
何も。
言わなかった。
◆
残り、十五日。
引き継ぎ。
「レイは」
康二が。
言った。
「嘘をつく」
カレノフは。
資料から。
顔を上げた。
「記録にはない」
「今」
「俺が教えてる」
「どのような状況で」
「痛い時」
「苦しい時」
「寂しい時」
「平気だって言う」
カレノフは。
記録する。
「対処法は」
「信じるな」
「本人の申告を?」
「そう」
「非合理的だ」
「人間は」
「そういうもんだ」
カレノフは。
また。
記録した。
「それと」
康二は。
少し。
迷った。
「もし」
「もし?」
「レイが」
「誰かを」
「本気で憎んだら」
カレノフの。
手が止まった。
「止めてやってくれ」
「なぜ」
「こいつは」
康二は。
ガラス越しに。
レイを見た。
一人で。
本を読んでいる。
「真っ直ぐだから」
「憎しみまで」
「真っ直ぐになる」
「危険なのか」
「強くなる」
「ならば」
「問題ない」
「あるよ」
康二は。
笑った。
「強くなりすぎる」
カレノフは。
理解できない。
康二は。
それでいいと。
思った。
いつか。
分かればいい。
◆
残り、十三日。
人格記録。
進捗。
二十七パーセント。
康二は。
自分の人生を。
記録した。
幼少期。
一光。
両親。
研究。
失敗。
笑ったこと。
泣いたこと。
怒ったこと。
レイ。
十年間。
すべて。
ただし。
ひとつだけ。
削除した。
命令。
自分の人格データに。
命令を。
入れなかった。
レイを守れ。
一光を止めろ。
復讐しろ。
何も。
入れなかった。
「俺の記憶は」
「俺の命令じゃない」
康二は。
画面へ。
言った。
「使う奴が」
「決めろ」
◆
残り、十一日。
康二は。
零のところへ。
行った。
男は。
以前より。
痩せていた。
「よう」
零は。
顔を上げない。
「身体」
「どうだ」
「違う」
「そうか」
「違う」
「分かった」
「違う!」
「分かったって」
康二は。
ガラスの前へ。
座った。
零が。
康二を見る。
「お前は」
「誰だ」
「康二」
「違う」
「何が」
「俺だ」
康二は。
黙った。
「お前が」
「俺だ」
零は。
自分の胸を。
指差した。
「じゃあ」
「俺は」
「誰だ」
康二は。
答えられなかった。
零が。
笑った。
「分からない」
「俺も」
「分からない」
康二は。
ガラスへ。
手を置いた。
「悪かった」
零の。
笑みが。
消えた。
「俺の遺伝子を」
「使った」
「俺が」
「やったわけじゃない」
「でも」
「俺の顔だ」
「だから」
「悪かった」
零は。
康二を。
見た。
「俺は」
「零だ」
「ああ」
「零しか」
「ない」
「ああ」
「それでも」
康二は。
言った。
「お前だ」
零の。
目が。
動いた。
「誰の身体でも」
「誰の記憶でも」
「今」
「そこにいるのは」
「お前だ」
長い。
沈黙。
零は。
ゆっくり。
ガラスへ。
手を。
置いた。
康二の手と。
重なった。
ガラスを。
挟んで。
同じ手。
「……遅い」
零が。
言った。
「何が」
「言うのが」
康二は。
笑った。
「悪い」
「俺」
「結構」
「馬鹿なんだ」
零は。
ほんの少し。
笑った。
◆
残り、九日。
人格記録。
五十四パーセント。
康二は。
自分の研究データを。
ひとつずつ。
削除し始めた。
完全には。
消せない。
でも。
欠けさせることは。
できる。
一光が。
最も嫌う。
不完全。
康二は。
笑った。
「どうだ」
「気持ち悪いだろ」
◆
残り、七日。
一光が。
康二の研究室へ。
来た。
「やめろ」
「何を」
「データの破損」
「事故だよ」
「七十二件」
「運悪いな」
「康二」
声が。
違った。
康二は。
初めて。
兄が。
怒っていると。
気づいた。
「何」
「お前は」
「自分が」
「何をしているか」
「分かっているのか」
「分かってるよ」
「人類が」
「到達できるはずだった」
「技術を」
「お前は」
「感情で」
「破壊している」
「そうだよ」
康二は。
即答した。
一光が。
黙った。
「人間の技術を」
「人間のために」
「人間が壊す」
「何が悪い」
「愚かだ」
「知ってる」
「後悔する」
「するだろうな」
「なら」
「やめろ」
「嫌だ」
康二は。
兄を。
見た。
「兄貴」
「俺」
「怖いんだよ」
一光の。
目が。
わずかに。
動いた。
「お前が」
「怖い」
康二は。
笑った。
「だから」
「止める」
「恐怖は」
「判断を誤らせる」
「違うよ」
康二は。
首を振った。
「恐怖は」
「逃げるためだけに」
「あるんじゃない」
「守るためにも」
「あるんだよ」
一光は。
何も。
言わなかった。
◆
残り、五日。
人格記録。
八十一パーセント。
康二は。
カレノフへ。
小さな。
記憶媒体を。
渡した。
「これは」
カレノフが。
聞いた。
「俺」
「意味が分からない」
「俺も」
「全部は」
「分からん」
「なぜ」
「渡す」
「お前に」
「選んでほしいから」
「何を」
「使うか」
「使わないか」
「捨てるか」
「残すか」
カレノフは。
記憶媒体を。
見る。
「命令か」
「違う」
「任務か」
「違う」
「では」
「何だ」
康二は。
少し。
考えた。
「……遺言」
カレノフが。
顔を上げた。
「お前は」
「死ぬのか」
「人間は」
「いつか死ぬ」
「回答になっていない」
「人間は」
「そういう答え方もする」
カレノフは。
黙った。
「カレノフ」
「何だ」
「レイを」
康二は。
一度。
言葉を。
止めた。
「頼む」
「育成は」
「予定通り」
「違う」
康二は。
首を振った。
「レスリングを」
「教えてくれって」
「言ってるんじゃない」
カレノフを見る。
「レイを」
「頼む」
カレノフは。
長い。
沈黙の後。
「了解した」
康二は。
笑った。
「それ」
「命令を受ける時の」
「返事だろ」
「では」
「何と言えばいい」
「知らん」
「お前が」
「決めろ」
カレノフは。
記憶媒体を。
握った。
「……分かった」
康二は。
目を。
細めた。
「ああ」
「それでいい」
◆
残り、三日。
人格記録。
百パーセント。
康二は。
完成した。
自分を。
見た。
一つの。
ファイル。
容量。
数字。
作成者。
康二。
対象。
康二。
それだけ。
人間一人が。
数字になった。
康二は。
笑った。
「兄貴が」
「好きそうだな」
そして。
全データを。
閉じた。
その時。
扉が。
開いた。
一光。
その後ろ。
研究員。
警備。
康二は。
椅子に座ったまま。
兄を見た。
「早かったな」
「終わりだ」
一光が。
言った。
「何が」
「お前の反乱が」
康二は。
笑った。
「そうか」
一光は。
康二を見る。
「隔離する」
「人格移植終了まで」
「お前を」
「全研究区画から」
「排除する」
「レイは」
「予定通り」
「カレノフへ」
「引き渡す」
「カレノフは」
一光が。
言った。
「予定通り」
「完成させる」
康二は。
立ち上がった。
「兄貴」
「何だ」
「俺たち」
「双子なのにな」
一光は。
黙った。
「同じ日に」
「同じ腹から」
「生まれたのに」
「なんで」
「こんなに」
「違うんだろうな」
一光は。
康二を。
見た。
「違わない」
康二の。
笑みが。
止まった。
「お前も」
「私と同じだ」
「違う」
「同じだ」
一光は。
康二の。
研究端末を。
見た。
「自分の人格を」
「データ化した」
康二は。
黙った。
「人間を」
「情報として」
「保存した」
「私と」
「何が違う」
康二は。
何も。
言えなかった。
一光は。
初めて。
ほんの少し。
笑った。
「双子だよ」
「康二」
警備員が。
康二の腕を。
掴んだ。
康二は。
抵抗しなかった。
ただ。
兄を。
見ていた。
そして。
笑った。
「そうだな」
一光の。
目が。
細くなる。
「だから」
康二は。
言った。
「俺が」
「お前の」
「一番嫌なことを」
「知ってる」
一光の。
顔から。
笑みが。
消えた。
康二は。
連れていかれた。
その手に。
もう。
記憶媒体は。
なかった。
それは。
すでに。
カレノフの。
手の中にあった。
残り。
三日。
反乱は。
失敗した。
計画は。
止められなかった。
それでも。
康二は。
笑っていた。
まだ。
一つだけ。
兄の知らない。
選択肢が。
残っていた。




