第三十六話 友達
食堂の空気は重かった。
レイ。
バートル。
柔術。
三人が同じ空間にいる。
第三回戦の最中とは思えない静けさだった。
誰か一人が死ねば終わる。
本来なら、この場で戦いが始まってもおかしくない。
だが誰も動かない。
バートルは黙々と食事を続けている。
柔術は本を開いている。
レイは食事を前にしながら、ほとんど箸が進んでいなかった。
剛のことを考えていた。
昨日から何度も。
考えたところで何も変わらない。
それでも考えてしまう。
そんな時だった。
食堂の自動扉が開く。
全員の視線がそちらへ向く。
リンだった。
「狭いな」
開口一番それだった。
レイはため息を吐く。
「帰れ」
「嫌だ」
即答だった。
リンはトレーを取り、食事を乗せる。
団子も取る。
そして当然のようにレイの隣へ座った。
「そこしか空いてねぇのか」
「空いてるから座った」
「向こう行け」
「断る」
いつものやり取りだった。
だがレイは気付いていた。
リンの動き。
ほんの僅か。
座る瞬間。
身体が強張った。
脇腹。
肩。
ライとの戦いで負った傷。
まだ残っている。
むしろ昨日より痛んでいるように見えた。
リンは何も言わない。
気付いていないふりをしている。
だからレイも何も言わなかった。
言えば面倒だからだ。
柔術が本を閉じた。
そして四人を見る。
「不思議だ」
リンが団子を口に放り込む。
「何が」
「四人いる」
柔術は言う。
「誰も戦わない」
静寂。
レイはスープを飲む。
バートルは食事を続ける。
リンは団子を噛みながら鼻で笑った。
「今じゃねぇだけだろ」
「何故だ」
「面倒だから」
「理由になっていない」
「なるだろ」
「ならない」
リンは露骨に嫌そうな顔をした。
レイは少し笑う。
柔術は本気で理解できていない。
だから聞いている。
「今なら終わる可能性がある」
柔術が言う。
「それでも戦わない」
リンは肩を竦めた。
「やりたい相手がいるからだ」
レイの箸が止まる。
柔術の目が細くなる。
バートルも顔を上げた。
リンは構わない。
団子をもう一つ口へ運ぶ。
「適当にやって終わるのはつまんねぇ」
柔術が聞く。
「強い相手か」
リンは少し考えた。
そして笑った。
「違う」
「では何だ」
リンは横を見る。
レイを見る。
真っ直ぐ。
「こいつ」
静寂。
食堂が静まり返る。
レイは視線を逸らした。
分かっていた。
いつかこうなることは。
リンは続ける。
「まだやってねぇだろ」
「何を」
レイが聞く。
「本気の勝負」
レイは黙る。
確かにそうだった。
何度も話した。
何度も会った。
だが本気で拳を交えたことはない。
「やめとけ」
レイが言った。
リンの眉が動く。
「何で」
「傷」
短い言葉だった。
リンは笑う。
「関係ねぇよ」
「あるだろ」
「ねぇ」
「ある」
「ねぇ」
子供みたいな言い合いだった。
柔術が黙って見ている。
バートルも何も言わない。
レイは低く言った。
「死ぬぞ」
リンは少しだけ驚いた顔をした。
それから笑う。
「優しいな」
「違ぇよ」
「友達だからか」
静寂。
レイは答えなかった。
だが否定もしなかった。
リンはそれだけで十分だったらしい。
嬉しそうに笑った。
「そうか」
レイは顔をしかめる。
リンは立ち上がった。
トレーを片付ける。
そして食堂の出口へ向かう。
途中で止まり、振り返らずに言った。
「行くぞ」
レイは深くため息を吐いた。
バートルが静かに聞く。
「行くのか」
「あいつが勝手に決めやがった」
「そうか」
バートルは頷く。
それだけだった。
柔術が聞く。
「お前は戦いたいのか」
レイは少し黙る。
それから正直に答えた。
「やりたくねぇよ」
柔術の目が少しだけ動く。
レイは続けた。
「でも逃げるのも違う」
それだけ言って立ち上がる。
食堂を後にした。
⸻
人工降雪エリアへ続く通路。
リンは前を歩いていた。
レイは少し後ろを歩く。
会話はない。
ただ足音だけが響く。
リンの歩き方はいつも通りに見えた。
だが違う。
脇腹を庇っている。
右肩も落ちている。
無理をしている。
レイには分かった。
「なぁ」
リンが前を向いたまま言った。
「何だ」
「本気で来いよ」
レイは答えない。
リンは笑う。
「お前まだ俺の傷気にしてるだろ」
図星だった。
レイは舌打ちする。
「当たり前だろ」
「嬉しいな」
「意味分かんねぇ」
「友達だからだろ」
レイは何も言わなかった。
リンは本当に嬉しそうだった。
それが余計に腹立たしい。
⸻
人工降雪エリア。
白い雪が静かに降っていた。
リンとライが戦った場所。
折れた木。
砕けた設備。
雪の下に残る戦いの跡。
リンは雪原の中央まで歩く。
レイは少し後ろで止まる。
風が吹く。
雪が舞う。
リンが振り返る。
レイの視線は自然と傷へ向いていた。
脇腹。
肩。
拳。
どれも万全ではない。
リンは苦笑した。
「だから気にすんなって」
「気になる」
即答だった。
リンは一瞬だけ目を丸くする。
それから。
本当に嬉しそうに笑った。
「嬉しいな」
レイは何も言えなかった。
リンは雪を踏む。
一歩。
前へ出る。
「なぁ」
「何だ」
「俺な」
静かな声だった。
「多分、お前としか出来ねぇんだ」
レイは黙る。
意味は分かる。
ライじゃない。
バートルじゃない。
柔術じゃない。
レイだから。
ここまで来た。
レイだから。
見せたい。
リンはそう言っている。
「だからこそだ」
リンが言う。
「全部見せる」
雪が降る。
静寂。
レイは息を吐いた。
やっぱり馬鹿だ。
どうしようもなく。
格闘技馬鹿だ。
だが。
そんなリンだからこそ。
ここまで来れた。
レイはゆっくり構える。
低く。
深く。
レスリングの構え。
だがもう、それだけではない。
リンはそれを見る。
そして笑った。
「そうだ」
リンも構える。
八極拳。
十年積み上げた全てが詰まった構え。
二人の距離は十メートル。
風が止む。
雪だけが落ちてくる。
リンが小さく言った。
「始めようぜ」
レイは頷く。
返事はしない。
必要なかった。
次の瞬間。
リンの身体が弾けた。




