第二十一話 双子
二十年前。
会議室は静まり返っていた。
数時間前まで続いていた怒号はもうない。
レスリング。
柔道。
ボクシング。
ムエタイ。
空手。
サンボ。
八極拳。
どの格闘技が最強か。
世界中の専門家が議論した。
そして。
最後に一光が出した答え。
それが。
NULL PROJECTだった。
巨大スクリーンにはDNA配列。
培養槽。
胎児。
そして計画書。
誰も喋らない。
誰も理解できていなかった。
いや。
理解したくなかった。
その時だった。
椅子が吹き飛んだ。
ガンッ!!
全員が振り返る。
一人の男が立ち上がっていた。
一光と同じ顔。
同じ背丈。
同じ声。
双子の弟。
だが。
目だけが違った。
怒っていた。
本気で。
人生で見たことがないほど。
「ふざけるな」
静寂。
誰も動けない。
弟は資料を掴む。
培養槽。
胎児。
育成計画。
そして。
机へ叩き付けた。
バンッ!!
「これが人間か?」
誰も答えない。
「違うだろ」
声が震えている。
怒りで。
悲しみで。
「お前らが作ろうとしてるのは人間じゃない」
「格闘技だ」
会議室が静まる。
一光は座ったままだった。
ワイングラスを揺らしている。
「違いは?」
弟の顔が歪む。
「全部だ!!」
怒鳴り声が響いた。
「こいつらはレスリングじゃない!!」
「柔道じゃない!!」
「ボクシングじゃない!!」
「子供だろうが!!」
研究者達が顔を見合わせる。
一光だけが平然としていた。
「感情論だな」
その瞬間。
弟は笑った。
怒りを通り越した笑いだった。
「当たり前だ!!」
「人間なんだからな!!」
静寂。
弟は資料をめくる。
そして。
あるページで手が止まった。
顔色が変わる。
「……なんだこれは」
一光が答える。
「ベース個体だ」
「全育成個体の元となる遺伝子」
弟が読む。
数秒。
そして。
ゆっくり顔を上げた。
「俺か」
静寂。
誰も喋らない。
一光だけが頷いた。
「無作為抽出の結果だ」
「平均的だった」
その瞬間。
弟の拳が机へ叩き込まれた。
ドォン!!
会議室全体が揺れる。
「ふざけるな!!」
今までで一番大きな声だった。
「勝手に使うな!!」
「俺の人生だぞ!!」
「俺の身体だぞ!!」
研究者達が息を呑む。
弟は震えていた。
「俺を複製して」
「勝手に産んで」
「勝手に戦わせるのか!?」
一光は即答した。
「そうだ」
静寂。
弟は本気で殴りそうになる。
だが。
殴らない。
兄だから。
知っている。
殴っても止まらない。
一光は昔からそうだった。
決めたら止まらない。
だから余計に腹が立つ。
「狂ってる」
弟が呟く。
「知ってる」
一光は笑った。
「だが必要だ」
弟は顔を覆う。
怒り。
無力感。
嫌悪。
全てが混ざる。
そして。
しばらく黙った後。
ゆっくり顔を上げた。
「生まれるんだな」
一光は頷く。
「生まれる」
「止めないんだな」
「止めない」
静寂。
弟は目を閉じた。
長い沈黙。
やがて。
小さく息を吐く。
諦めだった。
そして。
決意だった。
「だったら俺が育てる」
会議室がざわつく。
一光の眉が初めて動く。
「何?」
弟は真っ直ぐ兄を見る。
「誰かが親にならなきゃいけない」
静寂。
「お前には無理だ」
一光は鼻で笑う。
「私は研究者だ」
「だからだよ」
即答だった。
「お前は格闘技しか見てない」
弟は資料を見る。
そこに並ぶ胎児達。
まだ名前もない命。
番号だけが振られている。
「でも俺には見える」
静寂。
「こいつらは格闘技じゃない」
「人間だ」
会議室が静まり返る。
弟は続けた。
「泣く」
「笑う」
「怒る」
「恋もする」
「友達も作る」
「反抗もする」
一光が首を振る。
「育成環境を管理する」
「管理できない」
「できる」
「できない」
二人の声がぶつかる。
弟が兄を指差した。
「絶対にお前の思い通りにはならない」
静寂。
一光が目を細める。
弟は止まらない。
「レスリングだけ教えても」
「レスリングにはならない」
「柔道だけ教えても」
「柔道にはならない」
「必ず誰かに憧れる」
「必ず誰かを真似る」
「必ず変わる」
「必ず混ざる」
会議室は静まり返っていた。
弟の声だけが響く。
「お前はそれを汚染と呼ぶ」
「俺は成長と呼ぶ」
一光は黙る。
弟は資料を閉じた。
そして。
最後に兄を見る。
「覚えとけ」
低い声だった。
だが。
今までで一番強かった。
「こいつらは格闘技になんかならない」
「人間になる」
静寂。
「だから絶対に」
「お前の思い通りにはならない」
弟は踵を返す。
扉へ向かう。
そして。
最後に振り返った。
「せめて一人くらいは」
「俺が人間として育ててやる」
扉が閉まる。
会議室に残ったのは一光だけだった。
静寂。
窓の外では雨が降っている。
一光はしばらく動かなかった。
研究棟。
培養室。
青白い光。
無数の培養槽。
弟――神代康二は一人で歩いていた。
研究員が後ろをついてくる。
「担当個体を選択されますか?」
康二は答えない。
培養槽を眺める。
No.01
No.02
No.03
……
No.14
……
No.22
全員同じ顔。
全員同じ遺伝子。
まだ何も違わない。
本当に何も。
だが。
康二の足が止まる。
⸻
No.14
⸻
研究員が端末を見る。
「14番ですね」
康二は頷かない。
否定もしない。
ただ。
その培養槽を見つめる。
小さな命。
兄が格闘技と呼ぶ存在。
康二にはそう見えなかった。
ただの子供だった。
研究員が尋ねる。
「選定理由を伺っても?」
康二は少し考える。
そして笑った。
本当に少しだけ。
「知らん」
研究員が首を傾げる。
康二はガラスへ手を置く。
静かに。
優しく。
「でも」
小さな声。
誰にも聞こえない。
「お前だけは」
長い沈黙。
そして。
決意するように呟いた。
「人間にしてやる」
培養液の中。
小さな指が動いた気がした。
康二は目を細める。
⸻
同じ頃。
世界の反対側。
巨大なレスリング施設。
一人の男がマットの中央に立っていた。
巨体。
潰れた耳。
鋭い眼光。
誰もが知る伝説。
世界最強のレスラー。
男の元へ黒服が近付く。
封筒を差し出す。
男は無言で受け取る。
中を見る。
一枚の紙。
そこには短く書かれていた。
⸻
NULL PROJECT
協力者募集
発信者
神代一光
⸻
静寂。
男の目が細くなる。
その名前を知っていた。
格闘技科学の異端。
天才。
そして狂人。
男は紙を折り畳む。
「神代一光か……」
小さく呟く。
興味なのか。
警戒なのか。
自分でも分からなかった。
だが。
その招待状を捨てることはしなかった。
⸻
雨はまだ降っていた。
神代一光は未来を作ろうとしていた。
神代康二は人間を守ろうとしていた。
同じ遺伝子。
同じ顔。
同じ日に生まれた二人。
だが。
向いている先だけが違った。
そしてその日。
誰も知らないまま。
一人の少年の運命が。
静かに動き始めていた。




