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14 青春とは

   14  青春とは



 文化祭を無事に終わらせてから少しして、観音と望月がマスクをして生徒会室にやってきた。

 コロナからこっち、風邪をひいていなくてもマスクをしている人は、生徒だけでなく教職員にも大勢いるが、観音も望月もマスクはしない派だった。

 富士雄などは、観音や望月のようなスーパーマン、スーパーウーマンは風邪のような世俗的な病気にはかからないだろうと、心のどこかで決めてかかっていたので、驚きとともに安心した。

 やっぱり観音さんも望月さんも自分と同じ人間なのだ、と。

 勿論、だからといって心配にならないわけはない。


「風邪ですか?」


 マスクで顔の下半分は隠れているが、目を見れば風邪でも重いほうだとわかった。


「ああ。小学生のとき以来だ。クマゴローも正木君も、マスクを持っているならつけたほうがいい。用心するにこしたことはないからな」


 そう言われて、ふたりはバッグからマスクを取り出し、装着した。


「文化祭が終わって気が抜けたのかしら。私は熱は微熱なんだけど、咳とのどの痛みがあって。テストまでには治さないといけないわね」

「私はこれから点滴を受けに行くよ」

「そんなにひどいんですか?」

 と言った正木の声から、意外だと思っていることがわかった。

「いや、早く治したいからね。念には念を入れる。それだけだよ」

「観音さん。簡単に風邪を治す方法って知ってますか?」

「いいや。どんなだい?」

「風邪って人にうつすと治るっていう迷信は知っていますか?」

「ああ」

「じゃあ、風邪ってキスすると治るっていう迷信は、知っていますか?」

「まさか、クマゴロー」

「そのまさかです。観音さんの風邪は、僕は引き受けます」

「何を言っている。気がふれたか」

「観音さん」


 富士雄が唇を突き出して観音を追いかけて、観音は笑いながら望月の後ろに隠れた。

 富士雄がしたおちゃらけで、生徒会室の空気は軽くなった。


 だが、天罰が下った。

 二日後、富士雄は風邪をひいた。

 九度を超える高熱と、高熱からくる倦怠感におそわれたのだ。

 咳や鼻、のどの痛みはなかったのが不幸中の幸いだ。

 バスで話をする三年生が富士雄の風邪を観音に報告してくれたおかげで、二時間目前の休み時間に、観音が座薬を持って富士雄のクラスにやってきてくれた。

 その観音というと、点滴が効いたのか、風邪は次の日には治っていたのだ。

 やっぱりスーパーマンじゃないか、と富士雄は思った。

 観音を間近で見られた女子生徒たちは、目を潤ませていた。


 もう十月だというのに残暑の厳しい東京に、一陣の風が吹いた。

 体育の授業のために校庭に出ていた生徒たちは、ある者は髪の乱れを気にし、ある者は目に砂が入らないようにと手で顔を覆った。


「今日は体育は見学なのだろう?」

「はい。先生には話してあります」

「大事にな」

「はい。ありがとうございます」


 背中越しに手を振って、観音は帰っていった。

 座薬は効果抜群で、熱は下がった。

 勿論、風邪が治ったのとは同義ではないので、富士雄は努めて安静にしてすごした。

 が、富士雄がかかった風邪のウイルスはしつこく、テスト勉強も怠るわけにはいかず、その結果、風邪は二学期の中間テストが始まっても、治りはしなかった。


「クマゴロー」

 その声は久しぶりのはっちゃんこと、神宮八城のものだった。

「はっちゃん」

「今日は少し、歩かないか?」

「はい」

 富士雄の風邪はまだ全快とはいかなかったのだが、断るに断れなかったのだ。


 駅前から、バスには乗らずに、学校までの道を、はっちゃんのペースに合わせて、富士雄は歩いた。

 はっちゃんのペースと言っても、カクシャクたるはっちゃんの歩くスピードは、平均的な若者のそれとは、オリンピックの走り幅跳びの決勝でメダルを獲る者と逃した者の差くらいしかなく、富士雄はわずかばかりの感傷を覚えながら、はっちゃんの横を歩いた。


 季節上、朝はさすがに涼しくなってはきたが、それとは関係なく、富士雄は悪寒を感じるので、スクールベストを着ていた。

 はっちゃんは初対面のときと同じく(と言っても同じ物ではない)ハンチング帽をかぶり、ベージュのチノパンにオレンジのTシャツ、灰色のカーディガンを着ていた。

 鮮やかな緑色のスニーカーを履きこなし、かっこいいなあとお世辞ではなく富士雄は思った。


「生徒会、後期も立候補したんだね」

「はい」

「今度は生徒会会長か」

 と遠くを見るようにはっちゃんは言った。

「はい」

「風邪をひいていると聞いたんだが、調子はどうだい?」

「はい。まだ完全には治ってはいないんです。しつこくて」

「そんなクマゴローにはこれをあげよう。滋養強壮剤だよ。飲むといい」

「いただきます」

 と素直に富士雄は受け取り、ひと息で飲み干した。

「どうだい?」

「治った気がします」

 かっかっかとはっちゃんは笑った。

 その様を見て富士雄も笑った。

「テストはどうだった? 手ごたえは」

「できる限りはやったつもりなんですけど。でも、風邪は大学の入試のときに『風邪ひいてるんで点数おまけしてください』なんて言えないですから、やっぱり自己管理能力がまだ足りていないんだと、反省して今後に生かしたいと思います」

「うん。いい心がけだ」


 バスが横を走り抜けていった。

 富士雄を気に入ってくれたなかの何人かと目が合った。

 富士雄は短く手を振った。


「今のは友達かい?」

「……はい」

 と少し躊躇ってから、富士雄は答えた。

 違うなら後日訂正すればいい。

「ここだ。私はここで君を見ていた」

「はい」

 あの横断歩道だ。

「観音君を一言で言うなら完璧。望月君は才色兼備。なら、クマゴローは?」

「……何でしょう?」

 はっちゃんはにかっと笑ってから言った。

「純粋だ」

 返事に困っている富士雄を見て、はっちゃんはまたにかっと笑い、続けた。

「青春は昇る太陽だ。町に、人々に、朝を告げる。活発に動き出し、毎日の生活を、力強く始める。眩しい。そして尊い。たったの一度きり。その青春を生きるクマゴローよ。君の人生に幸多からんことを」

「僕の人生は、がらりと変わりました。はっちゃんが話しかけてくれたあの日から。まるで、はっちゃんは福の神です」

「福の神」

 とはっちゃんは目を丸くした。

「はい。僕は独りでした。高校生になったら、なんて淡い期待は打ち砕かれました。またこういう日々に耐えながら、生きていかなきゃいけないのかって、落胆していました。でも今、僕は笑えます。学校に来るのが楽しいって、そう思えています。僕はそう思わせてもらえるような人たちと巡りあうことができて、だからそう思えるんですけど、巡りあうことができずに部屋に閉じこもっている人たちには、逃げてもいいって、逃げてもいいけど、自分の人生をバラ色にするために、あなたのできるペースでいいから、一歩ずつ、一歩ずつでいいから、前に進む努力をしてほしいって、僕は言いたいんです。そうしたら、いつの日にか、笑えるからって、僕は言いたいんです」

 富士雄を真直ぐに見ていたはっちゃんは

「うん」

 と肯いた。

 天から降りてきた光の玉をごくりと飲みこんだように、笑顔で。





 二学期の中間テストの結果が貼りだされ、富士雄はなんとか一位の座を守った。

 すぐに後期の生徒会選挙の投開票が始まる。

 つまり、観音と望月はもう生徒会の会長、副会長ではなくなるのだ。

 その事実は富士雄の心をぬかるみのなかへと引きずりこんだ。

 無論、だからとて富士雄も、されるがままではいない。

 這いずり出て、顔をあげ、光のほうへとどしんどしんと歩いていく。

 胸に希望を抱いて。

 その力はひとから与えられたものであり、だからこそ自分の胸から心から、温かい手となって背中を押してくれるのだ。

 富士雄自身で富士雄を奮い立たせる励ましの言葉となるのだ。

 それが優しさだ。


 果たして、富士雄は生徒会の会長に、正木は生徒会の副会長に、就任した。

 こうして、時は移ろいでいくのだ。




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