20.来栖彗、これは……恋?
「あ、ごめん。ありがと」
消しゴムが俺の足元に転がってきて、拾い上げたと同時に音海の手と微かに触れあう。
波乱のカラオケから一週間。
音海は何事もなかったかのように、自然な笑顔を俺に向ける。
一方、俺はほんの少し彼女と手が触れただけで、かぁっと身体が熱くなり、どうやら頭と心がおかしくなってしまったみたいだ。
昼休みは坂野と音海と俺と三人で、いまだに中庭で昼飯を食べている。
その前に毎日のように秋森からもランチのお誘いがあるのは言うまでもないが。
秋森のまだまだ諦めないって圧が言葉の端々から迸っていて、それを浴びせられる度に、俺の背筋は冷水をかけられたようなゾクゾクした戦慄が走る。
「ねぇ! ぼーっとしちゃってどうしたのよ?」
おにぎりをパクつきながら音海が俺を心配そうに覗き込む。
「なんでもないって!」
そんな近くで見んなよ!
また、呼吸が苦しくなるだろう?
「それにしても、最近来栖君おかしいよね。特に雫と会話してる時」
坂野に鋭いツッコミをいれられて、俺は硬直する。
「おか……おかしくなんかねぇ」
「ほら、おかしいじゃん」
ぷぷっと坂野がからかうように吹き出した。
「おやおや、ついに私の魅力に気がついちゃったかな?」
てへぺろみたいな顔してふざけてくる音海に、やっぱり俺の心臓は大きな反応を示すんだ。
「………」
言葉がなかなか出てこない。
一生懸命に頭の中で話題を探しているのに。
「ゆりの言う通りやっぱり来栖君、なんかおかしいね」
「でしょ? もしかして……雫に恋しちゃってる?」
ビシッと指を指されて、あまりの動揺!
飲もうと口に運んでいる途中だった缶コーヒーが、手からするりとスボンの上に抜け落ちた。
「うわっ!」
「ちょっと、大丈夫?!」
慌てて音海がハンカチを差し出してくれる。
「本当何やってんだろうな、俺」
深いため息が口から漏れる。
「なんかあったの? カラオケの時からおかしいよ」
一生懸命コーヒーの染みにハンカチを当てる俺の手からそっとそれを抜き取り、代わりに音海の小さな手が、膝下まで広がった汚れを優しく拭き取ってくれた。
「汚いからいいって!」
声上擦ってんな、俺。
「別にいいよ、このくらい。来栖君お弁当持ってるし拭きづらいでしょ?」
とっくに食べ終わっていた音海は、なかなか箸が進まない俺の失態を呆れたようにクスクス笑いながら、一生懸命世話を焼いてくれた。
きゅん。
心が締め付けられるようなこの感覚……
切なくて、苦しくて、嬉しくて仕方がない。
……恋??
好きなのか?
まさか、この俺が、音海を??
いやいや、ここねさんは?
他の人とコラボばっかやってて、放ったらかしにされてるから心変わりするなんて、ファン失格だろうが!
自分を戒めるように追い詰めていく。
そもそも恋ってなんなんだよ?
簡単に言えば好きって事だろ?
だから俺はここねさんの歌に恋してるんだ。
音海は……?
音海への気持ちはなんなんだろう?
俺だけに見せる笑顔……
天使のような歌声……
意外と優しい……
あれ、やっぱり……好きなのか?
よく見てみろ。
特別可愛いわけでもないんだぞ?
「なに? なんか付いてる?」
恥ずかしそうに胸ポケットから小さな鏡を出してチェックする姿……
「……可愛いな」
やべっ!! つい言葉に出ちまった!
「本当にどうしたのよ? 熱でもあんの?」
スッとおでこに手を当ててくる。
柔らかくて温かい手のひらが、俺のおでこを包み込んだ。
「熱なんかないって! 可愛い手鏡だなって思っただけだ」
よ、よし!
慌てて額に当てられた手を振り解きながら、完璧な言い訳!
「100均なのに? どういう趣味??」
あははとおもしろそうに笑った。
「いいだろ……別に」
ここねさんにずっと抱いていたと思っていた恋心。
今目の前の音海に向けられたこの気持ちと何が違う?
一体何が……?
コロコロとよく笑う彼女の顔から目が離せず、あの日から俺の身体の中に音海の存在が間違いなく増殖していた。




