2 地鎮祭をしましょう
俺はどうにか先輩の誤解を解いた。正確に言えば、いつもの笑顔を浮かべながら、丁寧な口調で否定したのだ。そうすることで、先輩はようやく納得した。
また赤信号でブレーキを踏みながら、俺は笑顔で先輩に話している。
「…やっぱり、ちょっと神道系の特殊な学校なんて行くと、いろいろ影響がありましてね」
「はい」
「修行じみたこともやりましたから、この目つきはその結果なんです」
「はい」
俺はさっきから、どうしてこんなに目つきが悪いのかについての説明を、淡々と続けていた。どうしても、この目つきのせいで誤解されることが多いのだ。誤解を解くためには何より説明が必要になる。だから俺は丁寧な説明を続けているのに、どうにも反応が悪い。
「…だから、俺はどうにも怖がられるんです。誤解されやすいんでしょうね」
「はい」
「つまり先輩のも誤解なんですよ。反応が鈍かったのは、ちょっと考え事をしていたんです。うちの行事が近いんで、この後もやらないといけないことがありまして」
「はい」
「…先輩、聞いてますか?」
「…はいぃ!」
さっきから「はい」しか言わなかった先輩が、素っ頓狂な声を上げる。俺はいぶかしげに先輩を見た。
「大丈夫ですか?」
「はい! 大丈夫です!」
なんで敬語なんだろう? 俺は納得できずに首を傾げた。さっきから先輩は、まるでブリキのおもちゃのように、ギシギシとぎこちない動きをしている。俺は疑いの視線で先輩を見た。
「本当に、大丈夫ですか? これから仕事です。具合が悪いようなら…」
「いや! 大丈夫! 大丈夫だから、そんな目で見ないで、イヤ見ないでください! お願いします!」
「はあ…?」
別に、新島先輩が変なのは、今に始まったことではない。悪い先輩ではないのだが、こればかりはどうしようもない事実だ。
まあ、向こうにつくまでには、いつも通りになっているだろう。俺は大して気にしない。
経験上、先輩は今日の仕事を優先するというのを知っているからだ。太陽建設が事故物件まがいの仕事を受けるのは、今に始まったことではない。そのたびに先輩はガタガタ震えている。さっきの怖がりようなら向こうに着くころには、震えることに忙しくなっているだろう。
俺は運転に意識を戻した。もう先輩が下手なことをすることはないだろう。それならば問題ない。雰囲気がギスギスしていると、さっきのように、変なモノが寄ってくる。連中が寄りつきそうなコト以外なら、別に気にすることはないのだ。
信号が青になったのを確認すると、俺はブレーキをゆるめた。クラッチをつないで、アクセルを踏み込む。
「…あのー、田山さん?」
「なんですか?」
走り出すトラックのなか、先輩が声をかけてきた。俺はきちんと応じる。今も視線を感じているからだ。もちろん先輩は気づいていない。俺が一番憂鬱になる瞬間でもある。
この辺りには地縛霊以外にも、厄介な連中が居憑いている。よく言われる名前で、モノノケとか言われる連中だ。
別に、これは幽霊に限ったことではない。モノの気配がするから、モノノケ。昔の人間のネーミングセンスはシンプルで良いと、俺はいつも思っている。
モノの気配なのだから、この言葉にはいろいろな連中がひとくくりにされている。内訳は様々。さっきの奴のような幽霊や、狐狸妖怪、魑魅魍魎、あらゆるものが含まれている。そして、奴らは気配なのだ。
気配というやつには強弱がある。どこへいてもひと眼で分かるような人種がいるだろう? なぜかそこにいるだけで、存在感を発揮するような奴だ。
モノノケにも、この強弱がある。そして厄介なことに、連中はもともと気配が形になったモノなのだ。その強い弱いが、いろいろな意味で、直接的なモノとなる。
弱い奴は問題ない。こういうやつらはやってもせいぜい、家をきしませてみたり、急に後ろに気配を感じたりする程度だし、それくらいしかできない。大抵の場合にはヒトにも見えず、気疲れもしない。何か悪さをされたとしても気のせいかと思う程度だろう。俺もたいがいは、そのままにしている。厄介なのは強い方だ。
連中は、何かの理由で、その気配が強い。その何かというのはいろいろだ。幽霊なら、さっきの奴のように、うらみが強い。狐狸妖怪なら長生きのしすぎ。魑魅魍魎だったら、何かウワサになるようなものなど、かなり個性的な理由だったりもするのだ。トイレの花子さんなんかの怪談タイプは最近弱くなったらしいと小耳に挟んだが、どうなのだろう? まあ、弱くなってくれているのなら、それに越したことはない。強い奴らはいつでも厄介だ。
強い連中もまた弱い奴らと同じように、人間にちょっかいをかけてくる。しかもそれは、連中の尺度で測ったちょっかいなのだ。以前遊び相手欲しさに子供を殺して回っていた幽霊がいたが、連中にとってみればそれも遊びのうちだ。ただ遊びの中身というか、完成というか、そういうものがずれているだけで。そんなモノに巻き込まれたくもないだろう? 俺だってそうだ。
しかし、見境なく連中は寄り憑いてくる。本人たちは寂しかったりなんだったりと理由は様々だが、気づいてもらえると思うとなおのことそれはひどくなる。おかげで逃げ回るのも大変なのだ。…というか、なぜ先輩は敬語なんだ?
俺が内心首を傾げていると、先輩がおずおずといった。
「さっき言ってた、うちの行事ってさ。やっぱり神社?」
「ええ、今年も押し迫ってきましたからね。いろいろと、やることがあるんですよ」
さっきの説明は、別にウソではない。幽霊のことは省いたが、実際今日も帰ってからやるべきことが、山のようになっている。うち、つまり俺の実家である神社の用事だ。年末なんてものになると、それは特に悲惨だ。仕事を終えた後に待ち構える、また別のさらに厄介な仕事。それを考えると憂鬱だ。俺は思わずため息をついた。憑かれたときのように、どっしりと、肩に重みがのしかかってくる。
先輩は、そんな俺をしげしげと眺めていた。そして、ポンと、思いついたように手を叩く。
「…やっぱり、貧乏神社ってのも、大変なんだなぁ」
決して、この人は悪い先輩ではない。悪い先輩ではないが、単純なのだ。つまりデリカシーとか、難しいことを考えられないだけなのだ。このセリフだって、悪気があっていったわけじゃない。その目はどこまでも純粋だ。しかし、イラッとくるのも事実だ。決して、図星を突かれたことが痛いわけでは、ない。
俺はじっと、この誤解されやすい目つきで先輩を見つめた。先輩が少しばかりおびえた顔になったが、良い気味だと思ってなんかない。絶対に。
―――俺は、名前を田山光雲という。仰々しい名前だと思うかもしれないし、名乗る俺も同感だが、これが本名だ。
別に親が変だったわけじゃない。単に名前の最後に「雲」とつく名前を名乗るのが、当主のしきたりということだ。
そう、当主だ。四十五代白雲神社、宮司、田山光雲。それが、俺の名前だ。
白雲神社は、木崎町の外れにある、歴史は古いが小さな神社だ。そこで、俺は宮司、やさしく言えば、神主をやっている。
もちろん、俺は神社の仕事だってする。寒い朝に起きて参道を掃き、本殿に雑巾をかけ、おみくじの準備をし、頼まれれば祝詞だって読む。一応親父も現役だが、神社の仕事は親父と俺が共同でやることになっている。
ところで、考えてみてくれ。自分の家の掃除をして、その用事を済ませ、ちょっとしたお使いに言った程度のことが仕事になると思うか? なるわけがないのだ。ちなみにこれは、親父のことも含まれる。どれもこれもカネにならない仕事ばかりだし、実際、カネにならない。
正月番組の投げ込まれる賽銭を見て、ああ儲かってるなと思うノーテンキがいるのは知っている。投げ込まれる賽銭の音は、いつ聞いても良いモノだ。俺だって毎日その音を聞いている。毎朝、近所のキヨ婆が入れてくれるのだから、当たり前だ。その金額五円。毎朝うちの神社には、五円玉の音が響く。
「今の時代が悪いんだ」
うちの親父は、そう言うたびに肩を落とす。
だいたい、うちのような小さな神社に、賽銭のアテはない。初詣はもっと大きな神社に参拝客を取られる。うちはしきたりがあるためテレビでやるタイプの、派手な新年の祭りはできない。それなら誰だって、楽しい方に行きたがるものだろう? 日ごろの参拝客にしても同じことだ。最近パワースポットとかで拝みに来るやつらがいるが、そんな程度では全く神社をやっていくには足りない。しかし、ここまでは良い。
もともと、賽銭なんて神社の収入にしては、たかが知れている。それに、あれは神様への供えものだ。うちでもあれは、すべてきっちり神社の改修費用(なにせ築三百年でボロい)に当てている。
ではなにが収入になるかといえば、うちのような小さな神社での本当の収入は、祈願だ。
誰でもニュースで、スポーツ選手の必勝祈願くらいは見たことがあるだろう? あれの類だ。他にも、七五三、安産祈願、地鎮祭に、神前婚、そしてお祓いなどなど。そして、それらをやって渡される祈願料。これが収入になる。
もちろん、うちのような小さな神社に、大きな祈願依頼が来るなんてことはない。どれも地元の住人からの小さなモノだ。もちろん金額も小さいが、塵も積もれば山。これが結構な金額だったのだ。
うちの神社も元々は、それをやって食いつないできた。ここで時代に話になるわけだ。
考えてもみろ? 少子高齢化の時代だ。しかもこの辺りの様子なんて、駅前を見れば分かりそうなものだろう?
そもそも人がいないのだ。その上の、少子化だ。七五三の健康祈願にくるような子供は少ない。もし子供がいたとしても、その子供の親ときたら、二〇代かそこらの若い連中だ。そんな連中が、初詣以外に神社に来るか? 安産祈願にしても同じことだ。
昔なら、この二つはその家のジイさんバアさんが、なんだかんだと連れてきたそうだ。年寄りは行事にうるさいというイメージは、ここからきているのだろう。
しかし、今のジイさんバアさんは高度経済成長とかいう夢物語の中を、働きづめに働いてきたような連中なのだ。年中行事やら健康祈願やらなんて、ろくすっぽ気にかけもしない。たぶん、まともに知らないんじゃないかと思う。
おかげで、うちに来る祈願依頼はどんどん減った。
ここまでなら、まだ地鎮祭という収入もあった。しかし、ここは首都圏から外れた田舎なのだ。地鎮祭は建物を建てるとき以外には、やる必要が無い。本当はほかの時でもやるべきなのだが、そんなことを知っている奴らがどれだけいる? そして、ここには家を建てる奴もなく、建てる必要さえない。閉店の張り紙とともに、家は腐らせるほどある。
もし建てるとしても、地鎮祭の料金をケチるくらいには、地元の建設業界も不景気だ。これで、収入源は断たれた。たまにお祓いを頼まれるが、もはや神社としての収入源は、たまにしかない。
こんなことで食べていけるのかといわれれば、無理と答えるしかないだろう。ならばどうするのだと言われれば、働くと答えるしかない。おまけに神社は衣装代やら、細かい品の管理やらで、なかなか金を食う。おまけに、うちはいわくつきの品が多いので、管理するにしても一筋縄ではいかない。それ以外にも出費はかさむ。
ただでさえも少ない賽銭だけで管理していたのでは、すぐに足が出てしまう。もちろんそれはどこか別の所から補てんしてやらないといけないし、その補てん先はといえば、我が家の小さな財布からとなる。もちろん神社を放棄するということは出来ない。そのまま放っておけば、あっという間にうちは破産だろう。ほらな? 選択支が無い。
だからこそ、俺は今日も働いているのだ。ちなみに親父は地元のスーパーで雇われ店長をしている。たぶん今日も残業だろうと、今朝は諦めたように言っていた。神社の仕事? 俺と親父の仕事は朝の早い時間、昼間は母さんが番をしてるし、午後は放課後を使って妹がと、分担してやっている。どちらにしろ、うちの神社はヒマなのだ。何の問題もない。
だからこそ、今日も気兼ねなく働けている俺は、アスファルトの地面に降り立ち、今日の現場を見据えていた。
「―――ここ、か」
そこは、何の変哲もない空き地だった。住宅街のど真ん中で、たま見かけるような空き地だ。周りは、すでに建ててから古いのだろう、色あせた家が建ち並んでいる。昔の住宅にありがちな、整然とした家の隊列。よく訓練された軍隊のように家が整列する中、あるべきものが欠けたように、ここだけぽっかりと、正方形の空間ができている。それは、まるで閉じ込められるように、コンクリートの塀で囲まれていた。
もう長いこと、手入れもされてないらしい。冬になり、生えほうだいだった草は枯れ、地獄の針山のように、入ってくるモノを拒んでいる。そして拒んでくるばかりではなく、この土地は外へ這い出ようとさえしている。それを阻もうとしたコンクリート塀は、茶色のツタに侵されてしまっている。ツタの隙間からのぞくコンクリートは痛み、はがれ落ち、ボロボロになっている。崩れるのも、時間の問題だろう。
これを見れば、大抵の人はウワサと相まって、薄気味悪いと感じるに違いない。しかし、俺からすれば、ここは何の変哲もない空き地だ。他の連中がどういうかは知らないが、実際のところ、何も見えない。
「来ちまったなぁ…」
助手席からノロノロと降りてきた先輩が、ため息のような声をだした。日焼けした顔から血の気が引いて、まるで泥のような色になっている。かぶったヘルメットの黄色とコントラストを作っていて、余計に変に見える。何の変哲もない空き地を怖がる様子は、実に気の毒だ。俺は小さく息をついた。
「…で、先輩、今日の仕事なんですが」
「お前は少し悩めよ!」
「大丈夫ですよ、悩んでますから。とりあえず看板出しときますね」
もう工事日程の告知は出ているので、とりあえず『安全第一』の看板を引っ張り出す。近所への挨拶は先に済ませたから問題ない。いまのところ、俺らの仕事は工事のための下準備をすることだ。先輩はまだ何か言っていたが、とりあえず今は仕事の方が優先だ。だから、それとなく、先輩にそのことを、いつもの笑顔で諭してやる。そうしてやることで短く悲鳴を上げると、ようやく先輩は動き始めた。いちいち世話の焼ける先輩だ。
そんなことを考えながら、俺は引っ張り出した看板を、目立つところに設置する。そしてあたりを見回して、顔をしかめた。
「ん…?」
「どうした?」
立ち入り禁止の目印、赤色コーンを持っていそいそと動いていた先輩が、俺の様子に気づいて声をかけた。俺は少し、違和感を感じていた。
「いえ…。ところで先輩、この道路ちょっと狭くありませんか?」
「んん? ああ、大丈夫じゃないか?」
そう言って、中型トラック二台分ほどの幅の道路を見回す先輩。実際、社長が持ってくる手筈の重機を入れるには、少し狭いが問題はない。すこし妙な返事になったが、今俺が感じている違和感を説明するよりはマシだろう。これを見えない奴に説明するのは、恐ろしく骨の折れる作業だ。
また準備を再開した先輩を見て、俺はもう一度周りを見回した。
さっき感じた違和感が、どうしても気になったからだ。しかし、周りを見ても、その根源がつかめない。どうにも、イヤな感じだった。
厄介な連中は、独特の雰囲気を持っている。
たとえばさっきの名無し男なら、後ろをつけられていると、何か、ぞわっとさせられるモノがある。あえて何かといわれれば、背筋を冷たいモノで撫でられるような感覚が一番近い。鈴子さんの場合は、もう少し温かみがある。そんな感じだ。
あの手のモノは、それぞれが違う感じを持っている。ただ一つ共通しているのは近くにいると、その感覚がずっとついて回ることだ。すぐに、俺にはそれが分かる。これは魑魅魍魎の類でも同じことだ。また少し感覚は違うが、今もこの近くに一匹いるのが、俺にはわかる。
俺たち、まともに生きているモノたちと、あれらは全く別の存在なのだ。それはそこにあるだけで、独特の気配を振りまいている。
なら、この気配は、なんだろうか? 俺はもう一度、周りを見回した。
これは全く違う気配だった。今まで感じたことが無い。もちろん、まともなモノじゃない。しかも、一つ二つではない。もっとたくさんの、数え切れない何か。だがそれがなんなのか、俺の目は、何も見えていないのだ。前にもこの近くに来たが、こんな気配を感じたことはない。
俺が首を傾げていると、ガーガーという機械音が聞こえてきた。
「お、社長だ」
先輩が赤色コーンを置いて腰を上げる。
遠くから、会社の資材置き場に置いてある方の、俺たちが乗ってきた奴よりボロいトラックが走ってきた。荷台にショベルカーを積んでいる。
トラックはブレーキをギーギー言わせながら速度を緩めた。そのまま危なっかしい動きをして、俺たちが乗ってきたトラックの後ろ、ギリギリのところについて止まる。ガタンとドアが開き、運転席から、一人の作業着が降りてくる。
「よお、やってるな!」
「おはようございます、社長!」
先輩が勢いよく頭を下げる。かぶっていたヘルメットがこてんとずれて、目の所までずり下がっていた。その先輩の背中を、社長が勢いよく叩く。ズバン! と、痛そうな音がした。
「よお! 新島! 今日もやってくれよ!」
「はいぃ!」
雷に打たれたように、先輩がピシャンと立ちあがる。アレをやられると、しばらく背中がヒリヒリするのだ。高校の時の経験から知っているが、アレで社長は恐れられていたのだ。俺はそれに注意しながら、慎重に頭を下げた。
「おはようございます、社長」
「おはよう、田山!」
さっ!
俺は背中に来るであろう痛みから逃れた。空振りした手が風を切り、社長が不満の声を上げる。
「なんだよぉ、逃げるな!」
「イヤですよ。何だって好き好んで叩かれないといけないんですか」
「そう言うなって、私とお前の仲だろうが?」
「高校の先輩後輩は、決して背中をひっぱたくような間柄じゃないと思いますよ?」
俺は冷静に社長を見下ろしながら答えた。隙あらば背中をバシンとやられるから、社長と話すときは気が抜けない。
あっはっはっは!
俺がそう言うと、彼女は笑い声を上げた。いつものことながら良く通る大きな声だ。たぶん近所迷惑になっているんじゃないだろうかと、これを聞くたびに思っている。
太陽建設社長、荻久保絵里は、なおもおかしそうにクックと笑っている。そのどこか、女なのにイタズラ小僧のような顔は、高校の時から変わっていない。あの頃から、社長はいろいろな意味で恐れられる存在だったし、男勝りなのも相変わらずだ。彼女は俺の高校の先輩であり、今の勤め先の社長でもある。
この会社、太陽建設は、もともと宮大工で、彼女はそこの一人娘だ。今の会社は先々代、彼女の祖父が立ち上げた。うちの神社の改修工事もここに頼んでいて、この縁があって、俺は雇ってもらっている。
「いやー、しっかし、何もないなぁ」
目の前の空き地を見て社長は、ニシシッと笑っている。短い髪のせいと、かぶっているヘルメットがやたら大きいせいで、そうやっているとまさにイタズラ小僧だ。社長の乗ってきたトラックのドアがさらに開いて、工具箱を背負った、二人の壮年の男が降りてきた。
「ここですか?」
「社長?」
二人は社長の両脇に、そのガタイの良い体で並び立つ。彼らは太陽建設でもう何十年も働いている職人だ。二人とも宮大工としての技能も持っていて、なぜか交互に話をする。
「そうよ、今日も頼むわね! 兼さん、高さん」
「はい」
「わかりました」
社長の言葉を聞いて、二人は木彫りのような顔の鋭い顎を、まったく同じ動きで引く。これで、うなずいているのだ。
この双子の吉村兄弟は、どちらもそっくりな顔をしている。どちらかが兼次で、どちらかが高次だ。俺はいまだに見分けがつかない。二人とも大抵一緒にいるから、それで困ることもないのだが、社長がどうやって区別しているのかは分からない。二人はいつも社長の後ろに着き従っていて、とにかく従順だ。今日も狛犬のようにそっくりな顔で、社長の言葉に同時にうなずいた。
「おしっ! じゃあ準備はじめて! いつもどおり地鎮祭、最初にやっちゃうから!」
その言葉とともに、吉村兄弟と、新島先輩が動きだす。
まずこの枯れ草たちをどうにかしないといけない。いつものように地鎮祭をしてあと、一度掃除をして、工事に取り掛かるのはそれからだ。三人はてきぱきとその準備を始めている。俺がそれを見ていると、社長が俺の所に近づいてきた。いつでもその手をよける準備をする。社長はかぶったヘルメットをクイッと上げて、俺の顔を見た。
「田山、ここ、どう?」
そう言って俺の横に立つと、社長は空き地の方を向いて聞いてくる。俺は小さく首を振った。質問に答えず、社長に聞く。
「また事故物件拾って来たんですか?」
俺が呆れたように言うと、社長がニシシと笑う。
「おうとも! うちみたいな小さい会社でも、確実にとれる! ここの仕事、結構いい儲けなんだよ」
そう言って笑う社長の笑顔に、曇りはない。俺は小さくため息をついた。
すでに言ったように、地元の建設業界は不景気なのだ。それは太陽建設も例外ではない。それどころか、かなりの逆境だ。
ここの会社は小さい。小さいが、それでもバブルの時には上手くいっていた。その頃は建設業界も、ここのような住宅街を立てる仕事が山ほどあって、白雲神社の羽振りが良かったように、彼女の家も景気が良かった。
しかし、今は不景気なのだ。バブルのころの話を聞いても、俺にはまるで実感がわかない。それくらいに今と当時の状況がかけ離れている。この町の周辺に仕事は少ない。おまけにほとんどの仕事は大手に先に取られてしまう。もちろん、そのままではつぶれてしまっていたはずだ。実際、社長の父親はバブル崩壊の時に、無理が祟って死んでいる。そして太陽建設も、うちの神社と同じような状況になっているのだ。
それでも会社がつぶれずに続いているのは、社長と、社長の母親が努力した結果だ。そしてその努力のために、俺は何とかここで働かせてもらっている。
俺はため息をついて、コキコキと首を鳴らす。そして、もう一度空き地を見た。
「ちなみに、ここはどんないわくが?」
俺がつかれたような顔で言うと、社長はうんうんとうなずいた。
「最初にここを工事しようとした業者、事故が続いて工事が続けられなくなった」
「…へぇ」
事情を話す社長の言葉に、俺は少し目を細めた。目に意識を集中する。何も見えない空き地を見ながら、質問を続ける。
「他には?」
「その次の業者でも同じ。その次もそう。そのまた次は、持ってきた機械が壊れて使いものにならなくなった。んで、そのつぎは…」
「あー、もう良いですよ。ちなみに、うちは何件目の業者なんですか?」
俺は社長を遮った。これでも見る能力は高いつもりだったが、やはり何も見えない。ふふんと、社長が鼻を鳴らす。
「八件目」
俺は目を閉じた。今度は肌だ。近くに何か、その手のモノがいないか。肌の感覚を探っていく。
隣で社長が息をひそめているのが分かる。近くの道祖神にいる、古だぬきの気配が分かる。この近くにいる幽霊がふらふらしている。そして、目の前の空き地に、たくさんの気配がある。やはりなんなのか分からないが、ここには確かに何かいる。
俺はようやく目を開けた。
「どうだった?」
社長が横に立ったまま俺を見る。目を揉みほぐしながら俺は言った。
「やっぱり、何か、いますね」
「お祓い、必要?」
「しておいた方が、いいでしょうね。ひょっとすると、少し時間をもらうかもしれません。なんなのか分からないんで…」
「そっかぁ…」
うんうんと、納得するようにうなずく社長。俺は両腕を上げ、大きく伸びをした。肩の骨がボキボキと音を立てる。
「とりあえず、地鎮祭をさっさとやっちゃうんで、作業に入るのはそれからにしてください」
「んー、了解」
そう言って社長は、さっきから機材を出している三人の方に歩いていく。何か指示して、俺の仕事の邪魔にならないようにするためだ。それを見て俺は自分の荷物を取りに、乗ってきたトラックの方へと足を向ける―――俺が雇われた理由を全うするために。
俺は、その手のモノが見える。そして、うちは神社だ。あまり公にできることではないが、その手のモノへの対処法も伝わっている。そして俺はそのほかにも、いろいろ教わってもいる。
まあ、対処といっても、この辺りで産土神をやっているやつに工事の安全祈願をして、少し気にかけてくれるように頼むだけだ。しかし、やるとやらないではまったく話しが違う。連中が見てくれるだけで、ほとんどの事故は起きなくなる。もし、それで間に合わないようなら、ほかのやり方もする。工事の最中も俺が目を光らせているので、アフターケアもばっちりだ。
俺はまともな仕事に着くことができない。ある種の大学は出ているが、あそこの学位を持っていても、何かの役に立つようなことはない。おまけに神社の仕事もあるので、不定期に休むことが多いのだ。今時こんな奴を雇ってくれる、殊勝な会社は少ない。そしてこの太陽建設は、そんな俺を雇ってくれる、数少ない会社の一つだった。
この太陽建設は、あらゆる仕事をしている。ちょっとした改修工事から、修理、リフォーム、ペンキの塗り替え。どれも実入りは少ないが、数をこなすことで儲けている。そして、そんな中でも特に大きな割合を占めるのが、事故物件の工事だ。
事故物件といっても、別に住人が死んだというだけではない。ちょっと工事中に問題があって、企業の方で手放した案件のことだ。どこにでも、なぜか工事が続けられなくなる案件がある。なぜか事故が起きる。なぜか会社が立ち行かなくなる。そこに関わると、なぜか不幸に遭う。その結果として、いつまで経っても工事ができない仕事のことだ。
そして、そういう物件には、何かがいることが多い。そういう場所の事故といわれているモノは、やつらの悪さ、ちょっかいが、原因になっているのだ。そしてここで、俺の出番となる。そういう連中と、神社流のある種の交渉をして、どうにか工事を進められるようにすること。それが太陽建設で、俺がしている仕事だ。
もちろん出来る限り工事の仕事もするが、俺の仕事は基本的に何かがらみだ。工事を進められるようにする代わりに、俺は不定期に休みを取ることが認められている。何かがらみの仕事はできる俺と、それを必要とした社長の利害が一致したのだ。
なんで社長がこのことを知っているか? 社長の父親のことで、俺がいろいろやったことがあるからだ。それが良かったんだか悪かったんだか、いまだに俺は判断がついていない。
荷台に積み込んでいる一抱えほどの、お札を張った木箱を俺は運び出した。中身は簡易の御社と、ちょっとした衣装や道具の地鎮祭セットだ。こんな小さいモノでも、御社は結構造りが凝っていて、百年くらい前の名工の作品だそうだ。うちに昔から伝わるモノで、これを通して産土神の奴に頼む。
俺は木箱を、空き地の前に運びだした。そこには社長と、その後ろに並ぶ三人がいた。社長以外の太陽建設の人間は、俺のやっていることを知らない。そして知る必要もない。彼らには俺が、一応神社の宮司として、地鎮祭をやると説明されている。その三人は神妙な顔で、社長の後ろに整列していた。吉村兄弟は昔気質なのでそういうことを気にかけるし、先輩はあの通りだ。
別にこれをやっているからといって、特別給が出ているわけでもない。しかし、三人とも俺が不定期に休みを取ることも認めてくれている。休みを取っても気にしない。ここの会社は宮司の働きやすい環境なのだ。
だから俺はいつものように、気兼ねなくこの箱を開けた。とりあえず、地鎮祭だけやって様子を見る。それで何かあるようなら少し工事を待ってもらい、俺が夜に戻ってきて、必要なことをやっておく。
いつも通りのことだ。相手が何か分からないようなモノでも、この辺りの産土神なら、ある程度は抑えてくれる。足りなければ俺がやる。いつも通りのはずだった。だからこそ、俺は驚いた。
目を見開き、思わず体が固まった。固まった俺を不審に思ったのだろう。先輩の、恐る恐るの声が聞こえた。
「どうした?」
俺は箱の中身を睨んでいた。その目を、そのまま並んでいる連中に向ける。
「…今日は中止にしましょう」
「どうして?」
社長が小首を傾げて聞いてくる。俺は箱を持ち上げ、その中身を見せた。それをいぶかしげに見た四人の表情が、固まる
「…なに、それ?」
「さあ…?」
社長の固い声に答えながら、俺はそっと箱を下ろした。なんだかんだ、これでも長いこと世話になった道具たちだ。どんなに状態になっていても、愛着が無くなるわけじゃない。それがたとえ、ガラクタにされたとしても、同じことだ。
先輩が顔をしかめて、箱の中を覗き込んだ。
「ひでえな、こりゃ。誰かのいたずらか?」
そう言って、その日に焼けた顔を嫌悪の情でゆがめる。
吉村兄弟は無言だが、その木彫りのような顔を、そっくりな形でしかめている。そこに怒りの色が混じるのは、二人が宮大工としての技術も持っているからだろう。まるで、自分たちが造ったモノを壊されたような気分になっているに違いない。
それは組み立て式の足を付け、立てられるようにした神棚だった。これだけ言えばマヌケに聞こえるかもしれないが、それは樹齢三百年の桃の木から彫られた品だ。その屋根には一片の木から彫り出された鳳凰が置かれ、足の一つにしても一つ一つに唐草模様の意匠が施されていた。
そしていま、その御社は、バラバラの木切れにされている。御社の残骸の上で、首だけになった鳳凰が、恨めしげに俺を見つめている。
俺は思わず舌を鳴らし、空き地の方に目を向ける。気配は変わらずそこにある。まるであざ笑うように、ザワリザワリと揺れている。
「…やってくれるじゃないか」
俺は小さな声に、怒りを押し込め、呟いた。
突然吹いた風が、空き地に残る枯れ草を、カサカサと鳴らしていく。それは住宅街の中に響き渡る、誰かの哄笑のように聞こえた。